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第153回 ・我らが西部土木事務所のかくれた仕事~宕陰(とういん)自治連合会さんとの連携プレー

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黒: 左・黒井 賢司 氏(京都市建設局 西部土木事務所 所長)
藤: 右・藤井 那保子 氏(京都市建設局 西部土木事務所 次長)
石: 中・石塚 強 氏(京都市建設局 西部土木事務所 技術調整係長)
絹: 絹川 雅則 (公成建設株式会社)

 

絹: 皆様こんにちは。まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。
この番組は地元京都の建設屋の目から見た元気なまちづくりびとのご紹介や、その活動の最新のエピソード、特に隠れたエピソードをご紹介しております。いつものように番組のお相手は当まちづくりチョビット推進室 絹川がお送りいたします。
さて、本日のゲスト紹介に参ります。われらが京都市建設局から気鋭どころが、お三方お越しになっております。皆さんご存じの通り、私の本職は建設屋でございます。ラジオをやっているのは、仮の姿。ということで、今日は京都市建設局、西部土木事務所より、まずは黒井賢司所長、土木所長のほかに監察主任というサブタイトルもついていますが(笑)、監察というのは「お前、仕事ちゃんとせえよ」という監察ですか?
黒: 一応、所長の役割として、その監察という役割も担っております。
絹: そして監察される側(笑)ですが、同じく西部土木事務所の技術調整係長であらせられる石塚強さん。
石: はい、石塚です。よろしくお願いいたします。
絹: 監察されています(笑)?
石: はい、日々、所長から厳しく監察されております(笑)。
絹: そして紅一点というか、最も男前と言ってもいいかもしれません。当チョビット推進室のヘビーリスナーの方でしたらご存じかもしれませんが、今回4回目のゲスト登場です。われらが藤井那保子さん、次長をされています。
藤: はい。藤井と申します。ご無沙汰しております。よろしくお願いします。
絹: ご無沙汰しております。建設局がらみでスマートフォンや携帯のアプリを、建設局さんは京都市の高度技術研究所と一緒につくられたことがありましたよね。あれは何と言いましたっけ?
藤: みっけ隊アプリ」ですね。
絹: 一般の市民が例えば「道路に穴が開いているけど、大丈夫かな」とか、「電柱についている電灯が切れている」とか「フェンスが痛んでる」とか、「マンホールが傾いている」とか「溝蓋ずれているよ」というのを、写真でパチッと撮って、アプリケーションをダウンロードして、勝手に土木事務所に送ってくださるという、優れたシステムがあったんですよね。今も生きてますよね。
藤: 今、私は土木事務所の方にきて、作った側から利用する側に来ているわけですが、やっぱりヘビーユーザーの方がおられます。「区画線が消えています」という投稿をかなりたくさん送ってこられて、それを石塚係長と一緒に、予算の制約のあるなか、どこから直していこうかみたいなことを話し合っています。「使ってくださっている方は、使ってくださっているんだなあ」と喜んでいます。
絹: この番組リスナーの中にも「みっけ隊アプリ」をダウンロードして、市民の足元を支えるインフラについて興味を持ってくださったり、「サッカーのサポーターばかりがサポーターじゃないぞ」とばかり「京都市のインフラのサポーターだって、ここにあり!」みたいな人たちが、先ほどのヘビーユーザーの方のように、いらっしゃったり…。
藤: そうですね。ありがたいことだと思います。
絹: 実はあの番組を作ったとき、すごくうれしくて、建設屋の目から見ても、土木ファンというか、インフラファンが増えるのはありがたいなと思った、かつての記憶です。
さあ、今日の番組タイトル、テーマです。「我らが西部土木事務所のかくれた仕事~宕陰(とういん)自治連合会さんとの連携プレー」と題してお送りします。
 

■エピソード1 山間部の道路を考える

●右京区は実は非常に広いんです
絹: それではエピソード1「山間部の道路を考える」から入らせていただきます。すごく素敵なエピソードが拾えましたので、建設局西部土木のお三方のお口を通じて、教えていただこうと思います。
石:   西部土木事務所は色んなことをしているのですが、日常は道路や水路などの維持管理をさせていただいています。管内で言いますと、中京区、右京区の両区を管轄しているのですが…。
絹:  右京区はやたら広くないですか?
石: 右京区は広いですねえ。街中もありますし、高雄や中川、一方では亀岡の手前の宕陰までが右京区ですので、その全域をカバーしております。
絹: 宕陰地区と言いましたら、どんな字を書きましたでしょうか。愛宕さんの「宕」でしたっけ。宕陰地区というのは、ひょっとすると亀岡周りで行った方が早いケースすらあると。京都市内の西部土木や右京区役所から車で行くと、結構遠いですよね。
石: 40~50分くらいはかかりますね。
絹: 皆さん、「右京はすごく広いですね」と言ったのは、そういう時間感覚です(笑)。京北町がごく最近、右京区に編入されましたよね。
 

●台風や大雨、被害が多いのは山間部の道路です

石: 中京区と右京区を管理しているわけですが、その中でも山間部と言われる地域、先ほどお話にありましたような宕陰地区、水尾地区、高雄、中川あたりまでやっています。特に山間部については、そこに対するアプローチと言いますか、やはり道路が市内のようには整っている状況ではなくて、その中でもこの西部土木事務所としては、街中と同レベルの公共土木施設の維持管理をやっていきたいと思っているところでございます。
絹: ところがお財布は限られていると。いつも行政の方が悩まれるのはそこですね。
石: そうですねえ。
絹: 162号線と日吉美山線というのが大事なパイプというか、道であるわけですけれども、リスナーの皆さんは162号線と言ったらイメージできますでしょうか。あるいは日吉美山線と言ったら、景色が出てきますか?車で走っていてどういう景色が162号線、日吉美山線、見えてきますか?
石: 162号線であれば高雄地域とか集落がありまして、日吉美山線であれば水尾地域や宕陰地域など集落があるのですが、その集落との間が山間地域ということで、細い道で、風などがあると山から結構倒木が多いというところで、他にアクセスする道路がないので、そこが止まってしまうと、そこの集落が孤立状態になってしまうというところが最大の課題というところがあります。
絹: 最近は台風や大雨があって、倒木被害がたくさんあったのもこのルート沿いでしたか。
石: そうです。162号と日吉美山線というのはやはり多いです。
 

●緊急出動の難しさ

絹: 実は私の本職であります建設の仕事の中で、「単契」というチームがあって、緊急出動して倒木処理などをしてくれる人たちがいるんですけれども、そういう中でも西部土木の皆様との連携プレーが日々起こっているわけですね。
石: そうです。我々も西部土木の事務所の職員で対応できる倒木の処理、木を伐採したり、落ちている木を処理するということはできるのですが、やはり木の高さが高いところだったりすると、特別の高所作業車などを業者さんにお願いして、緊急的に出動していただくことは多々あります。
絹: 自分自身は職人さんとしてやったことはないのですが、緊張感はありますね。「内部応力」というのでしょうか、チェーンソーで切ったとたんにボーンと跳ねてくる映像を見たり、京都府の演習林で前の小石原副知事さんと一緒に間伐経験をしたことがあったのですが、「切りようを間違えると怪我をするから、細い木でも気を付けないとあかんで!」とものすごく言われました。そんな記憶が蘇ってまいります。
 

■エピソード2 大雪について

●平成29年1月の大雪と女子駅伝
絹: さて、平成29年の大雪について、那保子さん、お話しいただけますか?
藤: 実は今日、寄せてもらっている三人は、平成29年1月当時、大雪の時は西部土木事務所にいない状況ではあるので(笑)、いろいろ聞いたり、いろんな資料を見たりというところなのですが、ちょうど全国女子駅伝が開催するかどうかというのが、危ぶまれたタイミングでした。
絹: その当時のことはご心配なく。わがチョビット推進室はアーカイブの中に、女子駅伝の舞台裏を表現した番組がありまして、その当時は黒井所長の御前任の長尾課長が所長をされていて、長尾さんもここに出演されました。
藤: 平成28年度になるんですね。その時に大雪があって、大変だったみたいですね。私らはテレビで、「ああ、やってるな。スタートしたな」というふうに見てたんですけど(笑)。
絹: その時大変な目にあった、うちの中堅の名越マネージャーと、長尾さんにここでしゃべっていただきました。うちの土木部の元締めの籔田は駅伝の時、選手が走るのよりも、成績よりも選手の足元の道路ばっかり、テレビでジーっと見てたという…。やっぱり普通の車が通る除雪ではなくて、駅伝の選手がこけない、けがをさせない除雪を、みんなでやらなあかんということで…。
でも駅伝の区間だけを除雪したらいいのではなくて、西部土木が見ておられる区間は、他にいっぱいあったということですよね。
 

●大雪と山間地域の孤立

藤: そうなんです。どうしても駅伝がクローズアップされますけど、実は隠れた所で、山間地域、162号線や日吉美山線が雪で全く動けない状態になったというのが、その平成29年1月の大雪ですね。
絹: 今日のキーワードに繋がるお話です。除雪作業に手が追い付かない、162号が優先やと。宕陰地域の孤立が起こったということですが、孤立についてのコメントをいただけるとわかるやすいかなと思うんですけど。
藤: 宕陰はどちらかというと、国道477号という亀岡側に近いので、まだ孤立の時間が短かったんですが、実は水尾地域ですね。
絹: ああ、柚子の水尾。
藤: 柚子の水尾が、最後まで孤立していて、大変だったようです。
絹: 京都市の中心市街地にお住まいになっていらっしゃる方はなかなかイメージしにくいと思うんです。でも同じ右京区で雪のために孤立してしまうエリアが実際に厳然としてあったというのを、同じ京都市民としてイメージしていただけたら助かります。
藤: その孤立の時に、このままではいけないよねと考え、地元と除雪の契約を結んでいこうという話につながったようです。3~4日孤立していたみたいなので…。
 

●困難を極めた除雪作業

黒: 嵯峨側から順番に取っていくのですが、当然、積雪がかなりある上に、積雪だけではないんですね。やはり雪の重みで木が倒れますので、その処理もしていかなければならないということで、片側から攻めていっても能率が非常に悪い。除雪のスピードが遅いという現象が当時は起きました。
絹: ここに当時の写真資料が少しだけあるのですが、積雪状況、国道477号線回り、田池とあります。1月16日、これは平成29年ですけれども。あと定規の大きいような積雪を測る物で56.5㎝、それから愛宕小学校前、1月17日、60㎝。バス停の看板の柱に雪がびっしりついていますね。それから除雪状況は、越畑から477号、1号機、2号機とこれはブルですね。越畑から水尾にかけて1月19日、細い道を…。
※下記画像をクリックで拡大できます。
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藤: 結構な距離がありますのでね。
絹: 所長がおっしゃるように亀岡からと嵯峨野からと両方で攻めないとあかんと。大変やったやろなあと。3日4日缶詰めになったら、どうされるのか。電線もひょっとしたらいかれることがありますよね。
藤: 私は右京区役所にいたときに、水尾や宕陰地域の活性化に入っていたことがあって、それの経験からすると、やはり山間地域の人たちって、実はすごく強いんですね。食料も自分たちで作っておられますし、きれいな水もありますし、だから何とか3日~4日で開通できて持ちこたえてもらえたのかなと思います。でも高齢化が進んでいるので、もし病気でもされると、やはり生命線である日吉美山線はとても重要なのです。
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絹: そういう除雪のお手伝いをするのが、地元の建設業者の仕事の一部分でもあるわけです。たまたま西部土木さんの元でお手伝いをしているのがわが社であり、他の北部土木さんとかは別の会社が行ったりして、それは入札で決まるんですけど。
 

■エピソード3 地元との契約に至るまで

●道を熟知し、常時着手できるからこそ
絹: どうやら地元の人は地元の人で手をこまねいていたわけではなくて、西部土木さんが行政のお仕事として除雪をしてくださるのに、「協力しようか」という人たちがいるらしいと。そういう存在に気付かれたわけですよね。
石: 雪がそれだけ降ると、道路の状況とか突起物などが除雪の作業車に引っかかっていることも多々ありまして、そういう道路状況を熟知されている方や…。
絹: やはり地元の方が一番ご存じですからね。
石: また、除雪が必要な時というのは、休日も関係ないですし、特に早朝から作業に入らないといけないということもございまして、道路状況を熟知しておられることや常時着手していただけるということで、地元の自治会さんと協力させていただいて、除雪の作業の委託をさせていただいているというのが現状です。
 

●通常の除雪のプロセスは…

絹: 今ご説明いただいたのは、到達点の部分なのですが、それに至るまでの第一段階として、実は「たんけい(単契)」という仕組みで、地元の建設業者であるわが社が出動いたします。そういう時は西部土木さんから待機命令がまず出て、「天気予報では降りそうだから段取りして」と。そこで雪をどける能力を持った重機をそこへまず運んでいく必要があります。それからオペレーター、運転手さんを段取りする必要があります。今までは西部土木さんの指示で、地元の建設業者がそういう重機回送とオペレーターの手配をして運んでやっておりました。ただ、雪が降って運んでいくのも、実は大変な苦労をいたします。
藤: まず運べない。持っていけないという…。
 

●潜在能力の発見―こんな人がいる!

絹: 地元の道路状況を熟知しておられた人たちって、どんな方なんですか?
藤: もともと地元の方で、農業ももちろんやられておられる方なのですが、雪がよく降る地域なので、自分の家の前だけをちょこっととか、よくやられていたわけです。
絹: 農業用の機械を仕事で乗りこなしていた人がおられて、なんか似てるよなと。で、自分の町内とか、お隣さんとか、頼まれたらちょっと雪をどけたりしていたと。トラクターに雪を押すための鉄を湾曲したような板をくっつけて、雪をどける能力のある人がボランティアでやっておられたわけですね。
藤: そうです。それは昔からずっと地域の中でやってこられたわけです。
絹: それに目をつけた人がいた!地元の建設屋が市内から重機を調達して、オペレーターを調達して、汗かいて「どうやって接近するねん」という苦労をするよりも、もともと地元にそういう機械があって、それをお借りするなり、行政とそういう方が握手をされたら何が起こるかという発想をした人物がいたと。それがたまたまうちの籔田?(笑)
藤: おそらく当時の緊急業者であった公成さんが、「地元でこういうことをやっているよ」と。
絹: 情報として上げてきたわけですね。今は地元の方と協力の協定のようなものは、西部土木さんとあるのでしょうか。
石: 契約をさせていただいています。
絹: つまり地元の方が公共工事を請けておられるわけですね。
石: そうです。
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●地元の力とそれを活かす行政力と

絹: それは到達点ですけれども、そこに至るまでに建設業者の協力を地元の方々がしていただいている段階を通じて、今の握手になったわけですよね。ここは僕はすごいことが起こっていると思うんですよ。地元に元からあった潜在能力を西部土木さんは拾い上げてくださったと。
藤: 籔田さんを通じて(笑)。
絹: いやいや、でも「そんなもんあかん。全然ない」と言われたら終わりじゃないですか。今、日本全国、非常事態宣言中だと思いますが、インフラを整備して、一般の市民の足元を、便利な生活ができるように苦労しておられるなかで、これが起こるというのはすごいことだと。だから今日お三方に来ていただいたわけです(笑)。この出来事、どう思われます?
黒: 先ほど絹川さんがおっしゃったとおり、地元の方と契約するというのは、なかなか役所的にはハードルの高いことやったと思います。普通なら建設業者さんと契約するところなんですが、やはりこれから先は、今までのやり方とか、そういうものに囚われず、色んな広い目で見るとすごい結果が出てくるのかなというのが、正直な感想でございます。
石: 先ほども申し上げましたように、地元の道路というのは、地元の方が一番熟知されているということもございますので、今後も我々行政だけではなくて、地元の住民の方も一緒に維持管理していくような仕組みづくりが必要かなと感じております。
絹: 市民の在り方として、共に働く、協働という言い方がありますが、進化した市民と行政のタイアップの仕方の一つ、大変すごい例かなと。所長がおっしゃるように、これにとどまらず、色んな分野で行政と市民の助け合いが起こるといいですね。
リスナーの皆さん、今日のお話、本当に一端でしたけれども、お聞きになっていかがでしたでしょうか。人知れず皆さんの足元を支えるために働いていらっしゃる行政の方々の動きにも、時々注目していただけたらと思います。
この番組は心を建てる公成建設の協力と京都市景観まちづくりセンターの応援でお送りいたしました。ありがとうございました。
投稿日:2020/05/18

第152回 ・対話とまちづくり~総合企画局の悪だくみ 何やら面白い事が起こりそうです。

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佐: 佐藤 晋一 氏(京都市総合企画局 総合政策室 SDGs・市民協働推進部長)
絹: 絹川 雅則 (公成建設株式会社)
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        佐藤 晋一 氏

 

絹: 皆様こんにちは。まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。
この番組は地元京都の建設屋の目から見た元気なまちづくりびとのご紹介や、その活動の最新のエピソードをお届けしております。いつものように番組のお相手は当まちづくりチョビット推進室 絹川がお送りいたします。
さて、本日のゲストにお招きしましたのは、このラジオカフェのスタジオから結構近いです。京都市総合企画局で市民協働を担当されている部長さんです。佐藤晋一さんです。佐藤さん、よろしくお願いいたします。
佐: よろしくお願いします。こんにちは。
 

■エピソード1  京都市未来まちづくり100人委員会、ご存知ですか?

●出会いは100人委員会
絹: こんにちは。ということで、佐藤さん、実は「いがぐり兄ちゃん」と、失礼なんですが、自分の中では呼んでおります。出会ったのがだいぶ前ですよね。
佐: 平成21~2年くらいでしょうか。
絹: リスナーの皆さん、「京都市未来まちづくり100人委員会」というのがあったのをご存知でしょうか。実は最初に「いがぐり兄さん」こと佐藤晋一部長にお会いしたのは、その頃だったんですよね。で、この「100人委員会」をご存知でない方に、佐藤さん流に「100人委員会」を読みとくとどういう風にまとめられますか。
佐: 「100人委員会」は平成20年の9月から平成27年度まで5期にわたってやっていた、まちづくりの場みたいなものなのですが、市民の方々の市政への参加と自主的なまちづくり活動を応援しようという目的でやっていました。ワークショップみたいなものを開いて、対話を通じて、自主的なまちづくりの活動に繋げていこうという狙いで開催をしていました。
絹: これは高度に実験的な試みであったと記憶しております。そしてチョビット推進室の絹川自身が0期から3期まで事務局と3期は委員もやっていて、その中で佐藤さんと出会ったんです。佐藤さんは今、上手にまとめてくださいましたが、それを私流に敢えてくだけて、誤解を恐れずに表現しますと、「京都市による、やらずぼったくり詐欺企画?」(笑)。というのは、御池創生館と言って、御池中学の地下に大きなホールがあります。そこに月に一回の土曜日、100名プラスアルファの市民をほぼ公募で集めて、みんなで対話するんですよね。「京都市、どうしたらええ?」「京都市、何をやったはらへんと思う?」「京都市の何が問題やと思う?」というのを、行政の人が課題を出すのではなくて、市民が出すんですよね。そしてプロジェクトチームがワサワサ生まれて、勝手に動き出すと。そして京都市側がそのサポートに入るという、そんな位置づけでしたっけ。
 

●対話のプラットフォームとして

佐: そうですね。行政側が何か課題を提示するのではなく、課題を洗い出して、どんなことができるかも全て、市民の方々の対話の中から生み出していく、そういうプラットフォームでした。
絹: その事務局に在籍しておりましたので、生でその姿を見て、悲喜こもごも、紆余曲折、時々は議論が白熱して、「オモテへ出ろ!」という場面も引き起こしてしまったり…。でも声の大きい人も声の小さい人もちゃんと対話ができるような仕組みを、事務局員だとか、ファシリテーター(ちょっと専門用語かもしれませんが)と呼ばれる方々がリードするというか、プロデュースするというのか、縁の下にいましたね。
 

●対話って、なんだろう?

佐: 対話というのは、非常に場が大事かなと思っていて、結構今、対話、対話と使っていますが、改めて「対話って、何だろう」と考えると難しいんですよね。会話とか、対話とか、議論とか、色々コミュニケーションの手段はあると思うのですが、その中で対話って何だろうと考えてみると、まずはそこをちょっとご理解いただく必要があるのかなと思います。
絹: 佐藤さんの今のコメントに乗っかって言いますと、「100人委員会」は5期まで全部で7年くらいやったんです。その中では対話のマナーと言いますか、対話のルールが厳格に守られていたのではないかという思い出があります。
佐: 対話ってそもそも何かということなんですが、1つの事柄について議論を叩き合わせる、何か一つの結論を見出すというのが議論ですよね。行政だと市議会等で活発になされている、それが議論だと思うんです。何か事があって、それを理解してもらうようにしゃべるのは説明で、納得してもらうようにしゃべるのは説得ということだと思うんですけど、対話というのは、1つ課題だけ共有して、違う立場の人が自由にモノを言う、違う意見が並列して存在していていいんだと。決して相手の意見を否定して、消したり、収れんしたりしようとしない。これが対話のルールであると一般的に言われているのですが、なかなか日常の生活の中では難しくて、立場とか思い入れとか色々あって、ついつい「いや、そんなことではないんじゃないか」とか、「君の立場で何を言っているんだ」とか言い出してしまいがちなんですが…。
絹: 例えば私は本職は建設屋ですから、京都市の人たちと相対する時は、京都市は発注サイドになります。そうすると公共の仕事をする発注機関と受注する建設屋ということで、厳然として立場は違いますよね。その立場にこだわってしまうと、発注者ですから「はい、ごもっともでございます!」「なんでもやります!やらせていただきます!」というふうになるのか、あるいは「こんな発注の仕方で仕事ができるか!」と「工期はもっとちゃんと見てくれ!」「設計変更はどうやってするんだ。発注の準備ができてないじゃないか」とかいうことを声高に叫ぶのか、色んなパターンが考えられますけれども、ちょっと稚拙な例を出してしまいましたが、これは対話じゃないですよね。
 

●場をつくる、しつらえをする

佐: そうです(笑)。立場を背負ってしまって、立場でモノを言う、自分を押し込めてしまうというのは、対話ではないですよね。立場はもちろん外せないですが、その中でも自由に「何を言ってもいいんだ」というものが対話で、これって、やっぱりそのままにしていてはなかなか生まれなくて、対話を引き出すような場とか手法というのは要るんですよね。それがワークショップであったり、ファシリテーションと言われるものです。
絹: あるいは日本語で置き換えると、「場づくり」という言葉が、ちょっと専門用語っぽく使われていますが、場をつくる。あるいは「この場にいることが、安全なんだよ」というしつらえをして、何か自分の思いを表明したら、いきなり石つぶてが飛んできたり、椅子をひっくり返されたり、足を引っかけられたりということはないと。思いついたことを「本当にここは問題だと思う」と言っても怒られないんだというふうに、安全な場をつくることに苦労しましたね。
佐: そうですよね。そういう場って、すごく大切ですからね。
 

●門川市長の秘書をやっていました

絹: 佐藤さんとは、もうだいぶ前に、その「100人委員会」の1期あるいは0期の時に出会ったのですが、あの時は佐藤さんは秘書室のメンバーでしたっけ。
佐: そうです。秘書をやっていました。
絹: 当時も門川市長さんで、第1期目くらいですかね。だから僕、「あ、この人はボディガードや」と思ったんですよ。
佐: ちょっと体が大きいですから(笑)。
絹: 今もそうですが、「いがぐり兄さん」と言うくらい、スポーツ刈りと言いますか、短く頭を刈りこんで、市長のそばで荷物を運んだり、書類を持ったりして、常に来ておられました。「100人委員会」にも市長はすごくよく顔を出しておられました。
佐: ほぼ毎回ですよね。
絹: この「100人委員会」という、高度に実験的な対話、市民100人以上の人たちを集め続けて、京都市に対してモノを申すだけじゃなくて、「市民にできることはほっといてもやるぜ」みたいな連中が結構集まっていましたね。
佐: 一緒に訪問させていただいて、その熱気はすごかったですよね。
 

■エピソード2 100人委員会がもたらしたもの

●地下鉄の駅の「ドア地下」が生まれました
絹: この「100人委員会」の結果、どんなことが起きたのか、少しだけ事例を挙げさせていただきたいのですが、僕が覚えているのは、岡崎公園まわり、動物園周辺、平安神宮周辺、以前10年~20年前に比べたら、すごくすっきりと素敵になったと思われませんか。動物園なんかも僕、久しぶりに入ってびっくりしたんですが、かつての面影がないというか、素敵な場所に、大人になっても行きたいなという場所になっている。あれは「100人委員会」の1期の連中の中に、岡崎チームというか、あの辺をどういう風にしたらよくなるかをテーマにして語り合っていたチームが確かあったはずです。リスナーの皆さんがご存知ないところで、「100人委員会」の影響といいますか、市民生活に直結している部分がいくつかあるんですね。佐藤さんの目からも、そんな例を挙げられますでしょうか。
佐: 多くの方の目に触れているものと言えば、地下鉄の駅に「何両目がどこどこ駅の出口に近い」とかのマップがあると思うんですが、あれは「ドア地下」という名前で、これも「100人委員会」から生まれたものですね。
絹: あの「ドア地下」チーム、確か今は福知山公立大学の教授で行っておられる谷口知弘先生がチームにおられたかな。学生さんもいっぱいいましたね、あのチーム。すごい地道な活動をしていたんですね。
 

●様々なNPOも生まれました

佐: ほかにもNPO法人なども、その活動から生まれてきたりしています。
絹: どんなのがあります?
佐: 京都景観フォーラムさんとか。
絹: ああ、小林明音さんがおられるところですね。
※追記:小林明音さんもかつてのチョビット推進室のゲストなんです。(参照:第64回「世界の観光地、嵐山は誰が作るのか?」平成22年8月放送)
佐: あと、つながるKYOTOプロジェクトとかも生まれてきていますね。
絹: つながるKYOTOプロジェクトは、愛称「ツナキョー」と言っていたのですが、あの連中も僕、顔を覚えています。「ツナキョー」がどんな活動をしていたか、お手元に資料はあります?
佐: 今日はちょっと持ってきていないのですが、ホームページなどにも出ていますので。
絹: 小辻さんと言って、京都橘大学の助教授なのですが、そのチームリーダー的に動いていましたね。
 

●ムーブメントを起こした100人委員会

佐: 「100人委員会」の成果と言いますか、個別の取組もそうなのですが、こういう対話を通じて、色んなまちづくりをしていこうというムーブメントみたいなものが、「100人委員会」の段階では非常に挑戦的な取組だったと思うのですが、極めて一般的になってきている。この功績は非常に大きかったのではないかと思います。
絹: ステレオタイプで言う市民と行政の対立みたいなも事例をあげてみます。(これは誇張した事例なので、実際にあると思わないでくださいね)例えば「ワシは税金を納めている京都市民や。イチョウがうちの前にいっぱいで臭いんや。清掃局、掃除しに来てくれへんか」というのが、すごくステレオタイプの市民的要求だとしたら、逆の市民もおられますよね。「うちの前やから、門掃きしとくわ」と。これは「100人委員会」の初期、「みんなはどっちの市民になりたい?」と、そんな話をしたことがあります。「100人委員会」の集まってきている100人とプラスアルファの人たちというのは、結構「自分でやれることはやっておくわ」「京都市が困っているのなら、自分の職能で、あるいは得意なことで、お助けしてもいいよ」みたいなものがギュッと集まったような気がするんですね。
佐: そうですね。もちろん行政ですから、やらなければいけないことはたくさんありますし、ご要望にお応えするのは当然なのですが、やっぱり色んな立場、考え方、技術などをお持ちの市民の方々と取組を一緒にするとか、アイデアを出し合うことで、我々ができることもものすごく広がるわけです。それを広げてくれたなと思います。
絹: あ、私、えらいことに気が付きました。今日の番組タイトルを言うのを忘れていました。それでは気を取り直しまして、番組タイトルを申し上げます。お気づきのように、今日の通奏低音は「対話」です。「対話とまちづくり~総合企画局の悪だくみ 何やら面白いことが起こりそうです」と題して、お送りするはずでした(笑)。
では気を取り直して続きです。どこまで行きましたっけ?
佐: 「100人委員会」が色んな対話によるまちづくりを進める元になったということですね。
 

●その後、各区でまちづくりカフェができています

絹: それで、当時は非常に挑戦的な試みだったのが、今はだいぶ普通のことになってきていますよねと。「100人委員会」の残党たちというのは、未だに元気にあちらこちらで蠢いている気がいたしまして、それの例示として、各区役所版のカフェ事業というようなものが起こっていますね。
佐: はい、まちづくりカフェが各区で行われています。
絹: それについて少しご紹介いただけませんか。
佐: 名前がそれぞれ付けられていて、「100人委員会」と同じように対話をできる場になります。色んな方が参加をして、まちづくりについてお話し合いになり、これからの区政をどういう風にしていくのか、どういう行動がとっていけるのかという議論がされているプラットフォームになります。
絹: 「よかったら来て。コーヒーとか用意しておくし」と。行政の方とまちづくりアドバイザーさんの存在も忘れてはならないのですよね。まちづくりアドバイザーさんは、総合企画局から派遣していらっしゃるわけではないのですか。
佐: 文化市民局ですね。
 

●区政ならば「まちカフェ」、全市的な取組なら「みんなごとのまちづくり推進事業」

絹: そこにおられるまちづくりアドバイザーという人たちが、各区役所の担当として、地域力推進室…。
佐: そうです。そこも要望をお聞きするだけじゃなくて、区民の方々の自主的なまちづくりを支援すると。ここがミソでして、区政の場合はまちカフェとか、まちづくりアドバイザーがいらっしゃいますし、区だけでおさまらないような、全市的なまちづくりであれば、私たちは「みんなごとのまちづくり推進事業」と言いまして、「自分が取り組むんだ」というようなご提案を「まちづくりお宝バンク」というのに登録していただくと、我々のコーディネーターが行って、ヒアリングをして実現に向けて、色々ご相談に乗ったりして支援をさせていただくという制度もご用意させてもらっています。
絹: 坂巻さんに「登録して」と言われて、このチョビット推進室も登録するのを忘れているヤツですね(笑)。
※追記:坂巻さんもかつての番組ゲストです。(参照:第142回「“みんなごと”のまちづくり推進事業~ひとごとではなく、「自分ごと」、「みんなごと」としての協力とは?」平成30年11月放送)
佐: じゃ、是非よろしくお願いします(笑)。
 

●「お宝バンク」とは

絹: 今、佐藤さんがおっしゃったのは、「お宝バンク」と言って、アイデアをアーカイブしよう、保管しようというもので、総合企画局のホームページに、「こういうアイデアがありますよ」というようなものを登録します。個人でも、チームでも、あるいはNPOでも、企業でもいいんですか?
佐: 企業でもいいです。
絹: 登録すると、「行政の目から見て、行政の持つこういう機能をそこにサポートしに派遣することができますが、お受けになりますか」という打ち返しがあるんですよね。
佐: そうですね。
絹: ひょっとしたら試験的なサポートもあることはあるんですか。
佐: はい。これも登録いただいているのですが、“Readyfor”さんというクラウドファンディングをやっている会社さんで、クラウドファンディングの手数料をちょっと割り引いてもらうという協定を結んでいまして、「お宝バンク」に登録していただいた取組は、ちょっと割り引かれた手数料でクラウドファンディングができますというような特典もあったりします。
絹: ものづくりの担当部局でない総合企画局が、なかなか知恵を絞って…。
佐: お金がありませんので(笑)。絞れるものは知恵かなと(笑)。
 

■エピソード3 総合企画局の悪だくみは、組織改革へとつながる

●職員をファシリテーターとして育てたい
絹: そこでエピソード3に入っていきますけど、先ほど申し上げた「総合企画局の悪だくみ」と失礼な物言いをしてしまいましたが、佐藤さん率いる総合企画局の市民協働推進部署には、何やら面白いことを仕掛けようとしているフシがあります。
佐: はい。悪いことではありませんが(笑)、企んでおりまして、「対話」と申しておりましたが、私たち市役所職員そのものが対話を引き出されるような立場にならなければいけない。そういうマインドを持って、能力も身につけなければいけないということで、職員を対話を引き出すファシリテーターとして育て上げようではないかと。5日間の訓練を施して、その修了者を市民協働ファシリテーターという形で登録する。自分の仕事だけじゃなくて、市役所のあらゆる仕事でワークショップ等のファシリテーションのご依頼があれば、派遣するという取り組みをしていまして、今、90名ほどファシリテーターができました。
絹: 今、さらっと90名とおっしゃいましたが、結構すごい数字だと僕は思っています。と言いますのは、「100人委員会」の事務局、それぞれのプロジェクトチームにそういうファシリテーターとして訓練を受けてないけれども、やりながら学んでいったという連中がいるわけです。ファシリテーショングラフィックにしても傾聴訓練にしても、KJ法分類、アイスブレイクの手法だとか、オープンスペーステクノロジーの展開だとかというのを90名も育てている。さらに最新のファシリテーション技術も僕らの時と比べて、ずっと吸収しておられるフシがありますね。
佐: スキルに関しては、経験しながらというところなんですが、こういうマインドを持って、経験を積んでいく職員が、市役所の中に増えれば、市役所全体のマインドが市役所内部から変わっていくだろうと思っていて、実際そういう風にしていきたい。これは大事にしていきたいなと思っております。
絹: 私が生意気にも「悪だくみ」なんて称したのは、どうやら総合企画局の佐藤部長配下90名の良い悪だくみは組織改革でもあると。それは総合企画局に留まらない。部局の壁を越えて、例えば私は建設屋ですから、建設局、都市計画局、環境局などのお仕事をすることがありますが、それらの業者と発注者の対話というものは、どうしても必要になってきます。それから工事をおこないます。例えばうちの会社は今、御薗橋の架け替えなんかを担当しておりますが、工事をすると必ず地元の方がおられます。その地元の方との対話、発注者と地元の方の対話、地元の方と施工者の対話、色んな対話を推進するのに、その90名のファシリテーター軍団が出張って来る可能性がある。
佐: そうですね。市が関わる色んな方との対話には派遣していこうと思っています。
絹: 本当にさらっとおっしゃっていますが、これが動き出すと世の中変わるかもとすら思ってしまうのは、私だけ(笑)?
佐: 人口減少とか自然環境の話とかありますが、変わっていかざるを得ないと思っているんです。
 

●人口減少時代、どう助け合っていくのか、キーは「対話」です

絹: 佐藤さんがおっしゃるように、僕も背中が寒い部分がありまして、日本全国であらゆる業種で働き手・担い手というのが不足しています。ここ20年くらいは我慢して我慢していかないとやっていけないわけです。卒業しようとしている人たちも「もうちょっと元気で頑張って」、それから「女性の登場も助けて」、「若い人はもっと」と。でも働き手があらゆる業種で不足していますから、今まで以上に助け合わないと無理。そんな感じがします。その辺はいかがでしょうか。
佐: 人材不足は本当に深刻ですよね。人口が減っていく社会、担い手が減っていく社会にどう対応するのかというのは、なかなか明確な答えがあるようなものではない。どう協力し合えるか、どこに協力してもらえるような相手がいるかを見つけようとすると、それこそ「対話」というのが重要になってくるし、そこからしかなかなか答えは見つからないのではないかと思っています。
絹: そもそも「対話」という話をされましたが、僕と佐藤さんとの出会いは、だいぶ前の「100人委員会」の0期1期の時です。非常に実験的な試みを仕掛けたというのは、当時の門川市長の公約の中に埋め込まれていたということに端を発します。そのおかげで若い人たちが育って、今90名という自前のファシリテーターを総合企画局は育てつつある。彼らが経験を積んだ時に何が起こるのか。期待できますねえ。
佐: ありがとうございます。頑張ります。
絹: それでは佐藤さん、締めでこれだけはというコメントがもしあればどうぞ。
佐: 市役所はこれからも「対話」ということを切り口に、まちづくりに参加していただけるような方の輪をまずます広げていきたいと思っていますので、是非ご参加をいただきたいと思います。
絹: 皆さん、総合企画局の悪だくみ、何か起こるかもしれません。是非ご注目ください。例えば「お宝バンク」ですよね。
佐: そうですね。
絹: この番組は心を建てる公成建設の協力と京都府地域力再生プロジェクト、そして景観まちづくりセンターの応援でお送りいたしました。佐藤さん、ありがとうございました。
佐: ありがとうございました。
投稿日:2020/01/23

第151回 ・アトピーや自分とのつきあい方〜マインドフルネスと自分への思いやり

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岸: 岸本 早苗 氏(京都大学院 医学研究科 健康増進・行動学教室 客員研究員 臨床心理士)
絹: 絹川 雅則 (公成建設株式会社)
プロフィール写真_SanaeKishimoto
        岸本 早苗 氏

 

絹: 皆様こんにちは。まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。
この番組は地元京都の建設屋の目から見た元気なまちづくりびとのご紹介や、その活動の最新のエピソードをお届けしております。いつものように番組のお相手は当まちづくりチョビット推進室 絹川がお送りいたします。
さて、本日のゲストにお招きしましたのは、2年ぶり、岸本早苗さん。私にとっては師匠筋にあたられる方でございます。マインドフルネス、及びマインドフルセルフコンパッション、日本語に訳すと自分への思いやりというものの専門家です。岸本早苗さん、よろしくお願いします。
岸: よろしくお願いします。お久しぶりです。あ、お久しぶりでもないですね(笑)。
絹: 私はご縁がありまして、2年前、「マインドフルネスとはなんぞや」と聞いたら、「マインドフルネスなら、岸本早苗さんがいいわよ」と紹介してくれる臨床心理士の方がおられて、なんと8週間プログラム、週末の2時間半×8週間という体験をさせていただきました。そのご縁で、少しマインドフルネスとは何かという常識はついてきたかなと。そしてまた2年経ったらお会いしたくなりまして、つい最近も8週間プログラムを終了したところです。
岸: おめでとうございます。
絹: ありがとうございます。その内なる体験は、また置いときまして(笑)、本日のテーマと言いますか、タイトルは「アトピーや自分との付き合い方~マインドフルネスと自分への思いやり」と題してお送りいたします。さて、私と岸本先生の出会いをちょっとご紹介しましたけれども、ご自身からも補強して頂けますか?
岸: 私は今、京都大学大学院の医学研究科の中にあります健康増進・行動学教室というところで研究をしています。日本での免許は臨床心理士で、元々日本でもアメリカでも産婦人科で、心理臨床とか医療の質、医療安全全般の仕事もしてきました。
絹: 2年前に出会って、この京都三条ラジオカフェに出演いただいた時も、「え、ハーバードですか?」って、言ったことがありましたよね。マサチューセッツ州のハーバード大学院にもおられて、日本で臨床心理士を取られて、アメリカに行かれて、向こうでその後は附属病院みたいな所に勤務された。
岸: はい。チルドレンホスピタルとマサチューセッツ総合病院です。
絹: それもMBSRとかMSCの関係なのでしょうか。
岸: その時は医療の質の管理者として、産科婦人科の医師や看護師たちと医療の質が改善されるような仕組みづくりの仕事だったんです。マインドフルネスとか自分への思いやりのプログラムは、あくまで個人的な興味で、最初は受け始めました。ただ、医療者の燃え尽きの予防とか、離職の防止という観点からも、マインドフルネスを提供するところをサポートしたことはあります。
絹: また岸本早苗さんに対する認識が少し深まりました。要は医療現場の縁の下の力持ち的、ドクターもナースももちろん患者さんも大変よと。その人たちが少し楽になるバックアップができないかなという、そういうテーマかもしれないですね。
 

■エピソード1 アトピーがもたらす生活の質の低下

●私自身も重度のアトピー患者でした
絹: リスナーの皆さんに、是非お聞きいただきたいなと思ったのは、岸本早苗さんが非常に面白い研究を、ここ、京都でやっていらっしゃるという事なんです。アトピーとの付き合い方ということですが、まずどんな研究をしようとしているのかというところから、ご説明いただけますか。
岸: 慢性疾患のアトピー性皮膚炎というのは、もう20年以上前から言われていることなのですが、アトピーの重症度が重いほどに、患者さん本人のクオリティオブライフ(QOL)、生活の質、人生の質というのが低下するということが、研究で報告されています。
絹: 岸本さんは研究者なので、その辺は大事なのだろうと思います。僕には、身内にアトピー患者を抱えていた経験がありますから、実感があります。アトピーって、結構辛くて、実は私の嫁が結婚当初罹ったり、子どもたちが罹ったりして、結構お医者様に通ったり、薬を変えたりと苦労していますので、アトピーの研究をされているというのを聞いて、まずその時の思いがばっとわいてきました。
岸: 今、絹川さんがご家族のことをおっしゃっていただきましたが、私自身も子どもの時からアトピーがあり、治療法も混乱していたような時期が私の10代でした。10代と20代は暗黒の時代で、アトピーが重症で、学校を長く行くことができなかったり、顔も膿や血など、炎症で笑顔になることもできないし、首も動かせない、全身本当にひどい時期が何年もありましたね。
絹: うら若きお嬢さんにとっては、つらかったでしょうねえ。
岸: 本当に辛かったですね。
 

●重症であるほど、心理面でも大きな影響が出ます

絹: 女性は特にですよね。うちは息子たちで男ですからまだましでしたが、やっぱり見ているのは辛かったですね。
岸: ですから身体面とか、心理面とか、学校やお仕事、人間関係とか、社会的な面の生活に影響を及ぼしうる慢性的な疾患だと思います。
絹: ひどいと、顔の表情も崩すことができなくて、ニコっと笑ったら、ピキっとひび割れたり、かわいそうなくらい皮膚の色が変色したりとか、僕の先輩でも、仕事中に痒いものだからボリボリとして、皮膚がささくれ立っていくみたいな感じで、「アトピーやねん」と言いながら仕事をしておられた方がおられますけど、そういう辛さというのは、治療をしていくうえで、変な言い方ですけど、じゃまになると言うか…。それから先ほど教えていただきましたが、自分自身に対して、滅入っちゃうと言いますか、学校に行けなくなると、そんなふうになりますよね。
岸: やっぱり普通に生活ができるというのことがないと、色んな面で影響を感じたり、自分自身を好きになる事が難しくなるとか、自信を持てなくなるとか、周りの人は色々ジャッジメントというか、誤解があって色んな事を言ったりしますし、大変な状況にいらっしゃる方も多いのではないかと思います。
絹: 例えばアレルギー体質だとか、僕も小さい時は小児喘息でした。生後一年くらいで蕁麻疹が出て、それを強い薬で治したら、今度は喘息に変わって、そうすると私自身も入院して辛かったですけど、「俺はあれで、性格がちょっと歪んでいる」と自分で言うことがあります。その辺のことを岸本さんご自身も経験されていて、それがハーバードへ留学されたり、小児病院で医療の質を研究するバックアッパーとしての動きのなかで、研究したことがアトピーを楽にする(アトピーだけではないかもしれませんけど)、病気とお付き合いするご当人やご家族を楽にしてさしあげる何か手立てがあるんじゃないかという研究につながったのではないんですか。
 

●私自身の体験がベースにあります

岸: 自分自身のアトピー患者としての体験がベースになって、日本でのチーム医療、医師とか患者・家族の視点とか、チームのケアの質を上げるところに貢献したいなというところが原点になっています。2年前にこちらに招いていただいた時には、私自身の頭部外傷後の話をしましたけれども…。
絹: 2年前にお話しいただいた時は、岸本さん自身が米国在住中に頭に大けがを負われて、もちろん日常生活も、音楽を聴いたりすることも、ものをちゃんと考えることすらもできないところから、立ち直っていらっしゃったという経験をお話しいただきましたね。
岸: 今もリハビリを受けていて、この障害は続くのですが、ただその時にボストンでマインドフルネスとか、研究とか実践が進んでいたので、住んでいた時にマインドフルネスや自分への思いやりMSC(Mindful SelfCompassion)とか瞑想とかを深める大きなきっかけになりました。
 

■エピソード2 「スマイル」について
(アトピー性皮膚炎に対するセルフコンパッション及びマインドフルネス遠隔心理教育プログラム)

●「スマイル」とはこんな概要です
岸: 研究を通して、その効果を丁寧に調べていく中で、自分自身が子どもの時からずっと大変だったアトピーで悩んでいる方にマインドフルネスや自分への思いやりを統合したプログラムを、しかもオンライン(遠隔)で提供して、皆さんとそれがどんな効果があるのか、もしくはないならないで、見ていく研究ができたらと思って、今進めています。
絹: それもすごく新しい切り口で、色んなレッスンだとか、治療研究がオンラインで自宅から参加できる。中には対面でやりましょうというプログラムもあるようです。
取り組もうとしているアトピーの治療に関わる研究の骨格についてお話いただけますでしょうか。
岸: 今回の研究は18歳以上の方を対象にしていて、アトピーである程度生活に影響を受けてお困りの方を対象にしているんです。内容については、週に1回、1回90分、オンラインでご自宅から参加していただいて、それを8週間継続して、グループで、1対1ではなくて、同じようにアトピーで生活の質に影響を受けて困っている方々、だいたい私1人と参加して下さる方10名前後で、毎週オンライン上でお会いしていく。そして、毎日普段の生活の中で、マインドフルネスとか自分への思いやりを自分自身になじんでいくように練習を続けていただいて、どんな変化が起きているか教えていただくために、アンケートを取らせていただくようなものなんです。
絹: 手元資料を少し、リスナーの皆様のために、抜粋して読ませていただきます。「スマイル」という研究です。
岸: そうなんです。あだ名をつけました。
絹: 「スマイル」の意味は、「アトピー性皮膚炎に対するセルフコンパッション及びマインドフルネス遠隔心理教育プログラム」を略して「スマイル」と。京都大学では、マインドフルネスと自分への思いやりを統合したオンラインプログラムを、アトピー性皮膚炎で生活や人生の質に影響が出て困ったという人に臨床研究として提供されているんだそうです。京都大学さん、色んなところで頑張っておられます。その研究の最先端にいるうちのお一人が、ここにおられる岸本さんです。
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※2020年1月13日 京都新聞朝刊にて大きく取り上げられました。
 

●マインドフルネスストレス逓減法(MBSR)とマインドフルネスストレスセルフコンパッション(MSC)

岸: 元々私自身が研究を通してではなく、マインドフルネスストレス低減法というものと、マインドフルセルフコンパッションの両方を教えているのですが…。
絹: 略すと”MBSR”、つまり”Mindfulness Based Stress Reduction”、”MSC”は”Mindful Self Compassion”、コンパッションというのは、「自分への思いやり」と訳されていますけれども、自分を大事にしましょうねという、その2つのテーマを教えていらっしゃる先生です。
岸: 1つめの”MBSR”の方は、40年ほど前にマサチューセッツにある大学病院で慢性の痛みのある方への効果について、研究報告があるんです。それで色んな疾患に幅広く応用されているんです。1990年代には乾癬という他の皮膚疾患に皮膚科での標準治療と合わせて、マインドフルネス瞑想を毎日された方は、症状が消失するスピードが速まったという研究があるんです。ただ、アトピーに対してはまだ報告はありません。そのマインドフルネスストレス低減法を通じて、自分自身の普段無意識にストレスを感じる時に、思わず取っている行動とか、考えとか、気持ちとか、出てくる体の感覚とか、そういうものに批判をせずにそのまま観察してみる。そして自分が選択したい行動や対応をなるべく選んでいくということを、心や体の癖にやさしく気づいていくようなトレーニングがあるんです。それは疾患との新しい関係の持ち方のヒントとなるトレーニングで素晴らしいのですが、やはり最近マインドフルネスストレスが心や体の健康に良い影響があるという時に、「自分への思いやり」がとても重要な要素だということが研究でもわかってきています。 
絹: 心理学や精神科領域の研究者たちというのは、こんなところまでやっているんです。びっくりしませんか。自分への思いやりが、マインドフルネスが、心身の状態をよくしていくために、必要か必要でないかの実証研究をする。本当にまあ、研究者というのはすごいなあと。超地道ですよね。
 

●「スマイル」はMBSRとMSCの大事な要素を統合したプログラムです

岸: 私自身も”MBSR”と”MSC”の両方を皆さんにお伝えする機会がある時に、やっぱり両方にそれぞれ素晴らしい内容とか、こちらでは触れられないなという内容とかがあるんですね。ですので”MBSR”の大事な要素と「自分への思いやり」を主に扱う”MSC”、マインドフルネスセルフコンパッションからの大事な要素というのの両方を統合する。ただ絹川さんも参加してくださったように、8週間のプログラムは1回2時間半で、受けていただくと結構あっという間だったと思うんですけど、2.5時間を8週間のプログラムを研究としてするというのは、今回の研究で116人の患者さんの力をいただかなければいけないので、ハードルが高すぎるんです。ですから1回を90分にして、両方のプログラムの大事な要素をくっつけて、トータルで8週間という内容を作りました。
 

●「スマイル」参加協力者募集中です 

絹: でも参加する側としては、90分というのはありがたいのではないですかね。で、参加協力者募集中とあるんですよ。で、応募条件が18歳から64歳の男女のうち、これまでにアトピー性皮膚炎と診断された人をまず求めていますと書いてあります。2020年の3月までと。
岸: それくらいを目安にしています。どれくらいに皆さんが早くに集まってくださるかによって、時期が少し柔軟には変わります。 
絹: それと「参加費不要」、ここ大事ですね。ただし、「要インターネット環境」ということで、通信費などはそれぞれの研究ボランティアに参加してくださる方の負担になります。これは単なるボランティアではなくて、同じような病に苦しむ人たちの今後の大切なデータを集めるとともに、参加することで自分自身も(変な言い方ですけれども)何か良い影響が当然あるに決まっています!なんて、研究者ではない素人が言ってはいけないのですが(笑)。
私自身も「マインドフルネスとかマインドフルセルフコンパッションに何かある」と数年前に感じて、色んなデータを集めたり、スタンフォード大学のマーフィ・重松先生という教授が京都のインパクトハブに来られた時に、4時間の講義を受けるという僥倖を得ましたので、「何かあるどころではないぞ、色んな人がこの研究や実践に手を染めるべきだろうな」と感じたわけです。そこで私自身も2年前と今回の8週間の2回で、ちょっと楽になる部分が結構出てきて(行動様式まで即変化しているわけではないですが)、色んな気づきを頂いています。
ですからリスナーの皆さん、もしお身内にアトピー性皮膚炎の診断を受けた方がいらっしゃるなら、お勧めだと思います。興味があったらどこへ連絡すればいいのですか。
 

●「スマイル」にご興味を持たれた方は、smilestudy.jpのホームページへ 

岸: ありがとうございます。まず研究をご紹介するウェブサイトがあります。「smilestudy.jp」でホームページがありまして、そこにどんな研究かの説明も少し載っています。そして「研究に参加してもいいかもしれない」という方は(もちろん説明を聞いていただいてから、辞退していただくこともできます)、「まずは参加できるかチェック!」というのがホームページ内にありますので、ここをクリックしていただくと、この研究に参加協力していただけるかどうかの事前のチェック項目があるので、そこをまずはお答えいただきたいと思います。
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絹: セルフチェックできますよということですね。それから謝金です。完全ボランティアに近いのですが、「薄謝」ありと(笑)。
岸: すみません。本当に薄謝なんですけど(笑)。
絹: プログラム終了時に、アマゾンのギフト券ちょっと用意しますぐらいの(笑)。
岸: すみません。貧しい地道な研究でして、皮膚科での診療ガイドラインに載せるくらいきちんとした研究の作法で、皆さんへの倫理を守りながらしていく研究なのですけど、薄謝です。アンケートを何回か答えていただきますので、そちらに答えてくださった方には、本当に千円程度のギフト券をそういう時にお送りするようなことをしています。
(※絹川追記:本来MBSRとMSCの研究の受講料は、今の所かなり高額ですから、今回の研究協力する形のほぼ無料の研修は大変珍しいですし、得難い機会だと思います。)
 

●「スマイル」は京大病院倫理委員会の承認を受けたプログラムです

絹: 基本は自分のための学びとがくっついたボランティアです。追加情報として「本研究は、アトピーや臨床研究、マインドフルネスを専門にする大学教員、医師、臨床心理士によるチームが実施しています。本研究は、実施にあたり、京都大学大学院医学研究科・医学部及び医学部附属病院の倫理委員会の承認を受けております」とあります。怪しいものではありませんと(笑)。
岸: そうですね(笑)。やはり皆さん「マインドコントロールじゃないか」とか、「そのうち何か売られるんじゃないか」と、心配されるかもしれないので(笑)。
絹: 「何か壺でも送り付けられるのじゃないか」とか、そんなことはありません(笑)。というご紹介でした。
 

●「スマイル」を体験いただいた方の声です

岸: 体験していただいた方の声をちょっとご紹介したいと思います。この1年以上前に、この研究に先立って予備的な試験として、パイロットスタディで実際にアトピーをお持ちの方に参加していただいて、その方々の感想です。
自分がアトピーがあるなかで、どうしても自分を受け入れたくない、嫌いだと感じるところがあったけれども、アトピーのある自分もそのまま受け入れて、自分が好きになったという方、思いやりを向けると、優しい、あたたかいだけではなく、内面からの強さもわいてくるので、変化を起こしていく力がわいてきたという方もいらっしゃいます。また、結構オンラインでの参加って、途中で参加しなくなる方が多いことは、研究で問題点として挙げられているのですが、去年ご一緒した皆さんは全員最後まで8回とも参加してくださいました。
絹: なかなかのデータですね。
岸: そして今、参加してくださっている方ですが(もちろん個人情報でお名前などは触れられませんが)、痒みがある時の自分は本来の自分ではないという思いがあったけれども、研究に参加したことで、痒みを持っている自分も一部であると、完ぺきではない自分も許せたり、受け入れられるということも、結構おっしゃいます。
絹: ありのままの自分自身を受け入れられるようになる方が出てきつつあるということですね。
岸: あとは痒くなる時に、意識を向けていくことで、掻かない選択をすることが増えて、症状が楽になったという方も中にはいらっしゃって、それぞれの経験が皆さんあるかなと思います。
絹: 実際の研究協力者の声をお伝えしました。さあ、リスナーの皆さん、お聞きになっていかがでしたでしょうか。岸本さんの声をラジオを通じてお聞きになって、お感じになったと思います。こういう柔らかなお声で、素晴らしい間で、瞑想の、あるいは色んなワークのリードをしてくださいます。非常に居心地のいい空間が、彼女の声で現出すると思われます。もしよろしければ、協力をお願い致します。
岸: お待ちしています。
絹: この番組は心を建てる公成建設の協力と京都府地域力再生プロジェクト、そして景観まちづくりセンターの応援でお送りいたしました。ありがとうございました。
岸: ありがとうございました。
投稿日:2019/11/29

第150回 ・引きこもりシニア 生活訓練の日々@ハルハウス~兄の思い 自立をめざして

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丹: 丹羽 國子 氏(一般社団法人 まちの縁側クニハウス 代表理事)
絹: 絹川 雅則 (公成建設株式会社)
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丹羽 國子 氏

 

絹: 皆様こんにちは。まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。
この番組は地元京都の建設屋の目から見た元気なまちづくりびとのご紹介や、その活動の最新のエピソードをお届けしております。いつものように番組のお相手は当まちづくりチョビット推進室 絹川がお送りいたします。
さて、本日ゲストは久方ぶりのご登場です。当チョビット推進室、何と3回目のご登場、丹羽國子先生です。よろしくお願いします。
丹: 丹羽でございます。クニさんと呼んでください。お願いします。
絹: この番組のヘビーリスナーの方でしたら、ひょっとしたらご記憶かもしれません。「丹羽先生」と言ったら怒られるんですが、でも僕は佛教大学の教授でいらした時に出会っておりますので、ついつい「先生」と言ってしまいます。社会福祉学科の教授であらせられました。その前は看護婦さん?婦長?脳外科とか新生児病棟にもおられたとかおっしゃっていましたね。
丹: そうです。
絹: そもそも丹羽國子さんとのお出会いは、”まちの縁側 クニハウス””まちの学び舎 ハルハウス”でした。ご自宅を朝の6時から夕方の16時まで年中無休で開いていらっしゃる、とっても珍しい空間を運営していらっしゃるところに、私は入りびたるようになりました。“ハルハウス””クニハウス”検索していただくと、どんなすごいことをなさっているかわかると思います。ということで今日は”まちの学び舎 ハルハウス”の代表であられて、一般社団法人の代表理事である丹羽國子さんです。
それでは本日のタイトル、これ、どういうふうにしようと言っていたんでしたっけ。
丹: 「ひきこもりシニア 生活訓練の日々@ハルハウス~兄のおもいから 自立を目指して」ということでお願いします。
 

■エピソード1  引きこもりシニアとの出会い

●全国の精神科病院を巡り歩いて
絹: リスナーの皆さん、今日はちょっと重たいかもしれませんが聞いてください。さあ、どんなお話になりますやら。クニコ先生、エピソード1からまいりましょう。そもそもプライベートな 、非常に重たい問題ですから気を付けてお話しないといけません。御年58歳になられる男性が色々ご事情があって、30歳頃からご自宅に引きこもっておられました。そのお兄様が60代で、たぶん僕と同じくらいの年ですかね。僕は61ですけれども。
丹: お兄様は62歳です。
絹: そしたらほとんど同じ年ですね。そのお兄様がなんとか弟さんの面倒をずっと見てこられたんですけれども、丹羽先生のところへ、ハルハウスに来られたんですよね。なんで来られたのか、そのあたりから紐解いていただけますか。
丹: はい。今年の8月の下旬にお兄様が来られて相談になりました。「自分たちは先に死ぬ。弟一人になると困るだろう。嫁や息子たちはあてにはならないし、なんとか自分の目の黒いうちに自立してほしい。行きつくところにたどり着いたのが”クニハウス”でした」と。
絹: クニハウスやハルハウスの噂を、そのお兄様はどこかで聞かれたんですね。
丹: そうですね。本当に若い頃から”森田療法”で2回も京都の山科や左京区で入院して、治療も受けられたそうです。それから全国の精神科病院に入院したりして…。
 

●日々の暮らしと将来への不安と

絹: 色んな所にお兄様はお連れになったんですね。この間、教えていただいたところによりますと、お兄様はご自身の会社を経営されていらして、結構ご自宅にスペースがあったので、弟さんが住む離れの一階には、お兄様の息子さん夫婦がお住まいになって二階にその弟さんがお住まいになっていたと。
丹: そうですね。
絹: ただし、ほとんど外出されないし…。
丹: もう昼も夜も寝た切りと言いますか。おなかがすくと甘いものをコンビニに買いに行かれるくらいで。何もしなかったようです。
絹: で、やっぱり加齢臭と言うんでしょうか、匂いもするし…。その弟さんが30歳の頃にお母さまがお亡くなりになって、色々なご事情があって、それ以来引きこもるという状態になられた。当時は統合失調症と診断されていたと教えていただきましたね。
丹: そうですね。でも最近の病名は違って、うつ病という診断を受けているということでした。だから私は「お兄様が先回りしてやるよりもご本人の意思が必要だから、もう一回ご本人といらしてくださいませんか」とお願いしましたら、9月早々、お二人で見えました。
絹: なんかトランクを引きずって来られたということですね。
丹: そうなんですよ。もうこちらで宿泊できると思われたのか、着替えなども入れてお兄様に連れられて来られて、下向いて黙って座られただけですが、「私ではなくて、あなた自身がこれからの人生をどうしたらいいか、そのことをお兄様が心配されてこられたんですけど、そこはいかがですか」というふうに伺いました。
 

●ハルハウスのこと

絹: リスナーの皆さんのためにちょっと追加情報です。千本北大路下がる”ライトハウス”の東側の辺に、それから有名な船岡山の西側に、この”ハルハウス”は位置しております。先ほど申しましたように、非常に不思議な居心地のいい場所でして、朝の6時から16時まで年中無休で、朝雑炊という変わった美味しいお雑炊を提供していらっしゃるのは10時まで。
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丹: いえいえ、ずっと4時までやっております。
絹: 3.11など色んな災害があった時に、東北から避難して来られた方も泊まられたようです。3階のベッド数で言うと3つあるのですかね。
丹: 3つあります。寄宿ですね。
絹: 寄宿舎みたいな形で、例えば佛教大学のスクリーニングの人が止まりに来ることとか、あるいは、私みたいに嫁さんに追い出されたらあそこへ行って泊まればいいやみたいな、セーフハウス的に使う人がいるのかどうかわかりませんが、そういうお部屋もお持ちになっていると。そこへ今、泊まられているんですか。
 

●早寝早起き朝ごはん

丹: そうですね。本人が「お兄さんにいつまでも世話になっているわけにはいかないし、なんとか自分で働いてみたいと思っている」みたいなことをちらっと言われて、「これまでの生活で脳の神経細胞が栄養失調になっていますので、朝は女王様のように、昼は王様のように、夜は乞食のような食事で、生活訓練をやられたらいかがでしょう。90日で神経細胞が変わると言われていますので、100日くらいはかかると思いますけど、それでもあなたはそれをやる決心をされますか」と。「だからそれをきちんと決めたら、いらしてください。トランクは置いておいてもいいですけど」と言って引き揚げてもらいました。
絹: リスナーの皆さん、ここで一つポイントです。今おっしゃったのは丹羽先生の持論であります。「早寝早起き朝ごはん。それから読書」でしたっけ。うつ病などで引きこもりと診断されて薬物投与が始まりますと、脳の構造から言って、神経細胞がどうも痩せていくらしいという研究があるようです。私は門外漢なのでわかりませんが、これは丹羽先生の持論であります。そして生活のサイクルが狂ってしまった人に、早寝早起き朝ごはん、朝ごはんは女王様でしたっけ。
丹: 女王さまのように、昼ごはんは王様のように、夜は乞食のように。
 

●転地療養してみませんか

絹: というような基本的な食生活と、それから人とかかわること。さらに今回クニコ先生が思われたのは転地療養がいいよと。お兄様にそうおっしゃったんですね。
丹: そうです。お住まいの所から別の区域へ行った方がいいと。転地療養の方が本人もシャキッとすると思いますので、よろしかったら京都へお越しくださいということを伝えました。
そしてそれを決心したからということでお電話がありました。「ご本人から電話が欲しい」と言ったら、お兄様から本人と代わるということで、ご本人が「お願いします」と言われました。
絹: 今のは口真似ですね。
丹: そうです。ぼそーっと言われました。
絹: もう一度、追加情報です。なぜ長いこと引きこまれていた方の62歳のお兄様がわざわざ遠くからお越しになったでしょうか。というのは、噂が色々伝染しているわけです。今まで、ハルハウス・クニハウスでこういう転地療養をされて元気になった人がいるらしいというのが人口に膾炙していると解釈できるのですが。
 

●朝日をおでこに当てましょう

丹: そうかもしれません。実は日本人は西洋の方に比べて腸が1mも長いんですね。それは地球の中で住む所によって生活様式が違うし、一人ずつ違うから。それなのに西洋のマネをしても病気をつくるだけじゃないかと思います。それで日本人として本来の生活様式、それに農業とか、林業とか漁業の生活を基にした「早寝早起き朝ごはん」がきちんとありますので。それともう1つ大事なことは、前額部つまりは額に太陽が当たることなんです。特に朝日。
絹: はい、毎朝守っています!
丹: そうです。それが元気の素なんです。セロトニンという物質が出るそうですから、そのために京都は条件がそろっているわけですね。どういうことかと言いますと、朝6時に船岡山公園でラジオ体操クラブが活動しているんです。会員は120名ほどいますけれど、ボランティアで放送設備を整えていただいて、6時半からラジオ体操です。だいたい80人くらい、寒い日でも50人くらいは参加しています。ですからご本人は6時起床して、6時半からラジオ体操をやって、それから7時に朝食をいただきます。
 

●クニさんの京雑炊

丹: この朝食は「クニさんの京雑炊」と言って、商標登録も済んでいますし、京都市内164店舗のうちの唯一の「六つ星」を頂いた雑炊です。今日も和歌山県からご夫婦でみえて、「おいしいから持って帰れますか?」と言われるから、「フリーズドライの製法にして、ローリングストック食品として、この間日本災害食学会で発表したものですよ」と言いましたら、「こんな美味しいものなら」と10個買っていかれました。
絹: 追加情報です。ローリングストック食品という形で乾燥したもので、もちろんその場で食べる雑炊が一番旨いのですが、海外に遠征したり日本国内に遠征したりするスポーツ選手が好んで求めて持っていかれるそうですね。
丹: そうですね。毎朝食べていらっしゃいます。遠征時はその数だけ持って行って、そこで食べると。金メダルを一番初めに取られた時は、途中下車して見せてもらいました。今は3つ目を取って、東京オリンピックにリベンジしたいと言っておられます。バトミントンの選手です。
絹: 私もご縁がありまして。栄養指導を受けたり、生活指導、「朝、おでこに太陽を当てる」というのを受けて、100%実は守れていないんですけど、おかげでだいぶ元気になってきました。
さあ、ハルハウスの当該58歳の長らく引きこもっていらっしゃった方が転地療養をして、ハルハウスの寄宿がスタートいたします。そのあたりからお願いします。
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■エピソード2 クニさん式生活指導を体験して

●当たり前の生活を覚えましょう
丹: 一週間は毎朝6時にドアを叩いて、「起きてください」と起こしに行きました。そうすると帰ってきたままの姿でベッドに入って、起きたらベッドをそのまんまにしてラジオ体操という、そういう生活なんですね。ですからおじさん臭がムンムンとしています。お部屋いっぱい。それで窓を開けて、布団を干すという、もう日光が燦燦と当たる部屋ですので、それをやってもらいます。これを全部教えるんです。それで10日目くらいから、毎朝自分で行くようになりました。
絹: 船岡山のラジオ体操クラブへ。
丹: そうです。そしたら向こうの人も信用されたのか、ラジオ体操カードというのに印鑑を押してくださるようになっています。
絹: 始めは食事も早食いで、5分で食べて後はぼーっとしておられるだけだったとおっしゃってましたね。
丹: そうです。そのまんまベッドへ行って寝るんです。
 

●感謝の言葉、謝罪の言葉、出会いの言葉、別れの言葉を、言われた方がいいですよ

絹: それが8日目で出かけるようになられて、フォーベイシックワーズと教えてもらったのでしたね。
丹: 挨拶も何もせずに、黙って行って、黙って帰って来るわけです。「58年もそういう生活をやられたのだから無理かもしれませんが、世界共通のフォーベイシックワーズだけは言われた方がいいと思いますよ」というアドバイスをしました。フォーベイシックワーズというのは感謝の言葉で「ありがとうございます」、それから謝罪の言葉「すみませんでした」、それから出会いの言葉「おはようございます。こんにちは」、さらに「行ってきます」という別れの言葉です。別れというのは、もうその時に最後かもしれませんから。このフォーベイシックワーズというのは世界共通ですので、外国へ行かれるときには、行かれる国のフォーベイシックワーズを持っていかれるとうまくいくと思います。
絹: 本当にこれ、海外に行かれる時はいいですよね。これだけ覚えて行けば、まず溶け込めますよね。
 

●毎日、どこかへ出かけてみませんか

丹: そんなふうで、この方は寝てるということが好きなんだけど、まず睡眠が長いとどんなふうになるかということです。うつ病とか認知症になりやすいんです。それと糖尿病の確率もあがります。ましてや糖尿病のある方ですので、これは寝させておいてはいけないと。だから金閣寺、銀閣寺と毎日行ってもらいました。お金のいらない所で行ける所を探して。そしたら比叡山延暦寺に行かれた時に初めて、帰ってきて「よかった…」と言われたんです。
絹: 確かそれって、ハルハウスに寄宿して25日目あたりですよね。「比叡山行ってらっしゃい」「どうだった?」そしたら「よかったあ…」とおっしゃったわけですね。
 

●働いて、みませんか ー むつみの家のこと

丹: そうなんです。それで比叡山は先日も行かれまして、最澄の秘宝が展示された時も行ってました。何か気に入ったようですね。それでこれなら昼間、働ける所はないだろうかということで、”むつみの家”という所でB型支援事業というのをやっていらっしゃることを知っていましたので、そこへ行かせていただくようにお願いしました。
絹: “むつみの家”小山初音町、ハルハウスから歩いて30分。横山理事長、布富施設長がおられるところですね。
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丹: ここはお父様の代の時に、ボランティアで一人暮らしの人のために配食サービスをやってらっしゃるところなんです。私も設立の時からずっとボランティアで関わっていて、息子さんの代になってもずっと続けていらっしゃるので、これはいいんじゃないかと思ったわけです。それに昼ご飯が毎日違うということも大事なんですね。王様のようなご飯を食べていただきたいものですから。それで大学の食堂に行きなさいと言っても、なかなか行けないから、そこのほうがいいんじゃないかということで。
絹: “むつみの家”で昼飯にありつこうと。
丹: そうです。それで配食サービスの弁当持ちをやられたら、少しは人と関われるのではないかと。
絹: お手伝いして、まかないで食えるぞと。
 

●就労支援を受けながら、踏み出す一歩

丹: そうです。それで弁当代が580円とか600円とか要るんですけど、是非にとお願いしたら、京都市役所の障害の人の保健センターで許可をもらってほしいと言われたんです。そこで「私が主役じゃないのよ。あなたが主役だから自己紹介とか、書類もあなたが書いていただきたいから、私は同伴するだけですよ」ということを断わって、保健所へ二人で行きました。それで色んな書類とか面談とかありまして、一昨日許可が出まして、これで当分行けるようになりました。
絹: ということは、引きこもっていらっしゃった当該のシニアの方が”むつみの家”でB型支援のお手伝いをするということで、公的な助成が”むつみの家”に入るようになるということですね。じゃあ、サポートが始まったんだ。うわああ、30からずっと引きこもっていた人が実際にそこまで行ったんですね。
丹: 今度の18・19日は実家の方で月に一回のうつ病の受診日なんです。その時は一泊で行くのよと。その朝は天気が良ければシーツを洗いましょう。月に2回はシーツ交換して、全部を洗うのですが、その洗濯をやったことがない。洗濯機の使い方から糊付けから、全部教えて、もう3回か4回になりますけど、今度の18日の時も「あなた一人でできますね」と言ったら、「はい、やります」と言ったから見守りたいと思います。
 

●一つひとつ覚えてもらいました

絹: ワイシャツの糊付けも「やってみる?」と言われたそうですね。その時、笑えるエピソードがありましてね、糊があるじゃないですか。「ひと瓶全部使うんですか?」と(笑)。
丹: 「ひと瓶全部使って、それをまくんですか?」と言うから、「ここに注意書きが書いてあるから、それを読んで薄めて使ってください。それから洗濯機は二槽式だから、終わった後は必ず開けておかなきゃいけないのよ」とか、そういうことまで教えるんですね。生活指導ですから、苦にはなりませんけど(笑)。
絹: リスナーの皆さん、ここまでお聞きになっていかがでしたでしょうか。実ははじめ、このお話を教えていただいて、ラジオの番組で語っていいものか少し逡巡したところも正直ございました。さりながらどうもこのテーマは、この長いこと引きこもっていらっしゃったシニアの方お一人のことではないのではないかと思いあたりました。色々誰にも相談できずに、あるいは色んな病院を回ってもそれらしい改善がなかったという方が、最後にたどり着かれたのが千本北大路下がるのハルハウスでありました。着実に、でも生活訓練からフォーベイシックワーズとご飯を食べること、シーツ交換…、ゴミ屋敷におられた方ですよね。信じられない…。というふうに驚きました。
 

●まずはご本人の意思確認、そして信頼できる人をつくってください

丹: いや、布団干しは天気のいい日は毎日干して、9時にはきちんと出て行かれますし、「行ってきます」という声が大きくなっています。だからひきこもっている方は一日も早く決断されたほうがいい。ただし、ご本人がですよ。お父様お母さまが先回りしてやっちゃうと本人は縮こまりますので、まずはご本人の確認、そして生活訓練の信頼できる人をつくることが一番大事だと思います。
絹: 本人の自発性を引き出すためには、当人との信頼関係がベースにならなければならない。これは丹羽國子先生のお言葉です。確実に本人さんとの信頼関係を築くことを、長年なさってきた方がここにおられます。是非リスナーの皆さん、丹羽國子さん、ハルハウスという名前をご記憶ください。
この番組は心を建てる公成建設の協力と京都府地域力再生プロジェクト、そして景観まちづくりセンターの応援でお送りいたしました。丹羽先生、ありがとうございました。
丹: どういたしまして。
絹: 皆さん、千本北大路ハルハウス覚えてね!ありがとうございました。
投稿日:2019/11/21

第149回 ・若手土木技術者のためのハンドブック~現場監督のいろは編~

ラジオを開く

中: 中坊 傳 氏(京都府建設交通部指導検査課指導担当主幹兼係長)
西: 西村 浩孝 氏(京都府建設交通部指導検査課指導担当主査)
絹: 絹川 雅則 (公成建設株式会社)
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     (左:中坊氏 右:西村氏)

 

絹: 皆様こんにちは。まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。
この番組は地元京都の建設屋の目から見た元気なまちづくりびとのご紹介や、その活動の最新のエピソードをお届けしております。いつものように番組のお相手は当まちづくりチョビット推進室 絹川がお送りいたします。
さて、本日ゲスト紹介です。まずは京都府建設交通部指導検査課指導担当の中坊傳主幹。
中: はい、よろしくお願いいたします。
絹: その部下であらせられます、同じく建設交通部指導検査課の西村浩孝主査です。
西: よろしくお願いいたします。
絹: お二方ともバリバリの行政の方を呼んでしまいました。お願いします。
そして本日のタイトルは「若手土木技術者のためのハンドブック~現場監督のいろは編~」と題してお送りいたします。
まずはなぜこのお二人に来ていただいたのかという話を、少しさせていただきます。リスナーの皆さんは建設技術者ではないので、『日経コンストラクション』を読んでおられる方は少ないでしょうが、日経の雑誌の中で土木系に特化した雑誌です。その中で直近の『日経コンストラクション』の8月12日号、この特集のタイトルが刺激的で、「受注者が採点する発注者ランキング2019」というのがありました。これを見て僕、「これは読まなあかん!」と読んだら、その中になんと京都府建設交通部が載っていたわけです。ランキングには載っていなかったものの、編集部の取り上げ方が非常に好意的で、「京都府さんがなかなか良い工夫をしておられる」という数行があったんです。それを見たら、建設交通部で西村さんという名前があったので、旧知の理事さんの所へ行って、「紹介して!」というのが、中坊さんと西村さんにたどり着いた理由です。今日、『日経コンストラクション』に取り上げられた前向きな動きって、どんなのか教えてくださいというのが、今日のお話です。
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■エピソード1 若手土木技術者のためのハンドブックができるまで

●そもそものきっかけ いびつな年齢構成
絹: では、その『日経コンストラクション』の8月12日号に取り上げられていた「現場監督のいろは」について、中坊さんから口火を切っていただけますか。
中: そもそも若手技術者のためのハンドブックをつくるきっかけになったのは、京都府はベテランの職員がかなり多くて、今後大量に離職されるという状況が、ここ数年で迫っていることにあります。また、中堅の職員がかなり少なく、最近は新規採用で、若い方々が多く入っていただいているなかで、いびつな年齢構成になっているわけなんです。
絹: これは「京都府さんもそうなんですね」という感じですね。今、日本中であらゆる業界でその心配がなされていて、ご多分に漏れずわが社でも、30代あたり、つまりベテランと若手を繋ぐ所がゴソッと抜け落ちているという、ちょっと苦しい状況があります。それは発注者サイドの京都府さんも同じであると。
中: そうなんです。平成の29年と30年に大きな災害が京都府では起こりまして、その復興に今、一生懸命あたっています。復興するに当たっては、中堅の者がバリバリ仕事をしている状況で、若い方の教育になかなか時間を割けない現状があるというのが実態でございます。
 

●二年連続の大きな災害にあたって

絹: 初めに教えていただいたのは、若い人の不安を取り除くという問題意識を、京都府建設交通部の技術屋さんの先輩方はお持ちになったわけですね。そしてその結果、こういうハンドブックが生まれていきました。技術の、あるいは経験の継承がすごく難しくなってきたわけですね。数少ない中堅職員が災害対応の業務にあたったと。本当に大変ですね。
中: 特に平成29年と昨年起きました災害は非常に大きかったので。
絹: 西村さんも災害現場に出張しておられたんですか。
西: 本庁勤務なので、そんなには出てないんですが、私は検査をする部署にいるので、災害が起こってすぐに検査に行ったので、検査が終わった後、現場を回ったりもしました。
絹: 西村さんが災害現場で印象的だったのはどこですか。
西: 福知山の府道で山崩れがあって、通行止めになっている現場がありましたね。
絹: あちらの業者である我々の仲間も八面六臂の活躍でしたものね。
中: 二年連続の大きな災害だったので、中北部が中心にやられたということで、南部の土木事務所とか本庁職員が北部の応援に行くという体制を取りました。
絹: そんななかで八面六臂の活躍をされて、府の方もそれから地元の我々建設の仲間もやっておられたと。でもベテラン陣が間もなくゴソっと抜けていくというのを、なんとかしようぜという機運が京都府の中に持ち上がってまいりました。若手に伝えるための道具ですけど、今までもマニュアルとかあるんでしょう?
 

●はじめの一歩のためのハンドブック

西: アニュアルはあるんですけど文章が多くて、一年目に入ってきた人には専門用語も多いのでなかなか言葉も理解できないし、ワンステップ上がるのが大変なんです。そのために聞きたいけれども中堅職員がいないという現状で、今回のハンドブックはそのワンステップ上がる前の0.5ステップ、一旦踏み台になるようなものを作成したということです。
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絹: ハードルを下げてやろうかと。技術屋さんとして現場を踏んでいくのに、苦労が少しでも減って、不安が少なくなるためにと、そのように思われたわけですね。中坊さんはこのハンドブックをご覧になってどう感じられました?
中: 大変良いものができたなと思っています。
絹:  おっしゃるように、検査をする時の箇所、こういうふうに見るといいよというような図表がかなり多くて、マニュアルでもかなり読みやすそうな、持ってたら助かるなという感じがしますよね。
市販品ではないし、他府県、政令指定都市で同じようなことをやってないかと色々自問自答しておられたようですね(笑)。
西: 私はハンドブックを作ってくれと言われたんですけど、一人でそういったハンドブックを作るのは、通常業務もありますのでこれはちょっと無理かなと。 
絹: これ、厚さ1cm5mmくらいありますよ。
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●市販品も先行事例もなく、一から作ることになりました 

西: 200ページあるんですけど、ハンドブックを作ることが目的ではないと思うんです。若い人たちがステップアップできるようなハンドブックを手元に届けることが目的ですので、市販品がもしあればそれを渡せば目的達成だなと(笑)。それでインターネット等、あちこち調べたんですけど、発注者サイドの若い人が読むものがちょっとなかったんです。次に他府県、政令都市でも同じ問題に直面しているはずで、先行して作っているところがあればと、全国調査をしたんですけど、技術者のためのマニュアルを作っておられるところはあったものの1~3年目の若手に特定したようなものはなかったんです。
絹: ということは京都府の中坊さんや西村さんの着眼点はすごく新しかったわけですね。他のところがやってなかったわけですから。だからこそ『日経コンストラクション』最新号で京都府のこの動きは面白いと取り上げられたのを僕が読んだわけです。
日々現場監督に奮闘している、採用後1年から3年目までの若手土木技術職員をターゲットに選ばれた事が素晴らしいですね。現場監督を地元の我々のような建設屋が公共事業を発注していただいて、それを受注して、「ちゃんとやっているか」と。設計図書通り、性能はちゃんと品質が出るようにどのように目配りをしたらいいのかの虎の巻の入門編を、平成31年の3月までに作りきるとお尻を切られたわけですか。
西: お尻を切られたんです。新規採用職員が4月に来ますので、来た時にその机の上にちゃんと置けるようにという明確な目標をもって取り組んだということですね。
 

●プロジェクト始動―課の壁を越えて

絹: 「現場監督のいろは編、作成プロジェクト始動」と書いてありますけど、プロジェクトメンバーの人数はどのくらいですか。
西: メンバーは全部で10人なんですけど、現場を十分に経験しているけれども、現場から離れてそんなに間がない30代後半の職員で構成しました。
絹: その辺の層がおられるというのは羨ましいですね。うちらの民間中小企業はその辺の層が少ないんです。大ベテランが息子みたいな人に教えているという(笑)。大ベテランからしたら、30代後半、あるいは40代くらいの、間を繋いで先輩役になってくれる人が欲しいなと思うし、若手の技術者はやっぱりお父ちゃんと同じ年代の先輩とは喋る言葉も違うわけで(笑)、でもいいですねえ。「写真や図を多く入れ、新卒職員にわかりやすく見る気を起こるものにした」と書いておられますが、プロジェクトメンバーの10人、よく集まりましたね。
中: メンバーについては、土木の工事で行きますと、道路と河川、大きく分けてその2つがあるんですが、そういうところの課から、道路計画課、道路建設課、道路管理課、河川課、それから砂防課から有志を募って取り組んだという状況です。
絹: 有志ということは、「お前出ていけ」と上司がケツを叩いたのではないのですか?そんなこともあるけれども「俺がやる!」という人もいた?
西: その通りです。両方いると思います。
絹: その元締めが西村さん。西村さんは「俺がやる」派?中坊さんに言われた派?
西: 言われた派です(笑)。
絹: プロジェクトというくらいだから、自分の職分の範囲からはみ出るものとして送り出されてくるわけですよね。
西: 通常業務のどうしても後から、プラスアルファになるので、ワーキングチーム員は大変だったろうなと思います。
絹: 中坊さんは西村さんの上役でいらっしゃいますから、「西村はこの辺、苦労してるなあ」というのは、見ておられましたか?
中: 先ほども言っておりましたように、皆さん通常業務をきっちりやりながら、この業務をお願いしていることもあるのと、時間が限られているというなかで、より効率的に物事を進めていく上で、色んな課を連携した取り組みにしなければならない。目標を持って、いつまでに何をしなければならないというものを明確に示しながらやっていただいたという状況です。
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●「京力グランプリ」で優秀賞を受賞しました!

絹: すごく基本的なことをお聞きします。我々の感覚では京都府さんは巨大企業です。広域振興局や出先、京都府警察本部も京都府ですし、学校の先生もそうですし、全部含めると超巨大企業です。その中の1セクションである建設交通部だけでも大企業レベルかなと。そんな人たちが課の壁を越えて集まってきて、1つのプロジェクトを仕上げるというのはなかなかですよね。
先ほど教えていただいたんですけど、こういうプロジェクトは、京都府の中で14個あって、庁内コンペみたいなのをやられたんですって?
西: 毎年実施されているんですけど、「京力グランプリ」というのがありまして、各部局や広域振興局から良い取組があがってきて、それを発表するという場があるんです。
絹: ということは、このハンドブック「現場監督のいろは編」作成ワーキングは、建設交通部の代表なんですか。
西: そうです。今年の3月に「京力グランプリ」で発表しました。
絹: この「京力グランプリ」というのは、古くからやっておられるのですか?比較的新しい?山田知事の頃からやっておられたんですか?
西: そうです。
絹: 地道ですねえ。それからリスナーの皆さん、これは注目してお聞きください。「京力グランプリ」の中で、最優秀ではなかったけれど、優秀賞を獲得された、タイトルホルダーであられるそうです。そして成果物としてのハンドブックが優秀賞を取ったわけではなくて、プロセス、ワーキングチームが寄って色々工夫して、苦労してというプロセスに対して与えられたと聞きました。わざわざそういう公表があったわけですか?
西: どのプロジェクトもそうなのですが、結果を見せるのではなく、結果に至ったプロセスを発表し合う場ですので、作った物がどんなものかというのは見せてはいないです。
絹: 審査される方はどの辺の方なんですか?
西: 職員長、部長、参与等が審査員となっています。
絹: 京都府の建設交通部、我々の大切な足元であるインフラ、それから災害が起こった時の後始末や対応、復旧と、色んなことを主管されているところです。そこの30代後半の方々がこういう若手を育てるためのハンドブックを集まって作ったという動き、建設屋の中でちょっと注目されています。ですから一般の方々にはなかなか届きにくい情報かもしれませんが、あえて皆様に聞いていただけたらなと思いました。
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■エピソード2 今後の展開と私たちのおもい

●他府県からの要請も来ています
絹: 今後の展開として、これをやってみて次はどうしようとか、ここはもうちょっとああしたかったとか、なかなかこれええもん作ったわとか、何かありますか?
中: 作っただけではなく、これを使っていただいて、より良い物にしていきたいということで、使ってもらった若手職員さんからアンケートなどを寄せて改善していくことは念頭に置いてやっています。
絹: 作りっぱなしではなくて、リニューアルしていくつもりがあるということですね。それも大変ですね。私の本職は出入り業者なわけですが、その私が「分けて!見せて!」と言ったら、「これは門外不出である」ということになりそうなハンドブックかなと思ったんですが、他府県の同じような立場の方から「分けてくれ」という要請が来ているそうですね。
西: そうです。たくさんではないですが、5件くらい来て、データを送らせてもらって「是非使ってください」と。
絹: 先ほどおっしゃいましたものね。はじめ作り出す時に、他の先行事例を調べたけれどもなかった。私のように気が付いて、何か面白いことをされていると気が付いた人たちが『日経コンストラクション』を読んで来られたわけですね。例えばどの府県ですか?
西: 千葉県さんはいの一番に来られました(笑)。
絹: なぜ今笑いが起こったのかと言いますと、『日経コンストラクション』を読んでいただくとよくわかります。確か千葉県は発注者としてのランキングがあんまり良くなかったんですよね(笑)。地元の建設産業が一緒にあんまり仕事をしたくないと。正直に声を上げると、発注者だとか、色んな事業のつくり込み方や準備の仕方で我々川下の人間は泣いたり笑ったりするわけです。だから千葉県さん、やっぱり偉いですね。そういうのを真摯に受け止めてられて(笑)。「京都府さん、頼むわ、見せてくれ」とまず一番に来られたと。そんなことが起こっておりますが、本当は笑ってはいけないことかもしれません。
さあ、今後の展望、千葉県からのそういう声、あるいはこのプロジェクトにかかわられたお二人として感想を少し教えていただけませんか。やってみられていかがでした?
 

●やりだすと土木魂に火が付きます

中: やりがいはありましたね。これを使って参考にしてもらうというのもあるのと、自己満足かもしれませんけど、良い物がつくれたなと思っています。
西: はじめにやる時は、こんなに太いものではなくて薄い物でも3月に間に合わそうとみんなで声を掛け合いながらやったんですけど、みんなやっぱりやりだすと土木魂に火が付くのか、できてみたら結構分厚いしっかりした物ができたので、大変なところもあったんですけど本当にやってよかったなと思います。
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絹: リスナーの皆さん、今、西村さんが「土木魂」という言葉を使われました。技術屋さんというのは実はそういうものなんです。人に言われて何々をすると言うよりも、「ワシがこのエリアを守っているんや」と。「この道路が不通になったら地域の人がどれだけ困るか」「この水道が、電気が止まったら、倒木で電線が切れたら、ライフラインが止まった時にどうなるんや」と黙っててもやってしまう。可能であればできる限り完璧を越えてやろうとしてしまうというのが、技術屋さんの、ひょっとしたら日本人の、と言い換えたらいいのかもしれませんが、特に土木に関わる方はこういう人が多いです。そういうことも一般のリスナーの方々にちょっと覚えておいていただきたいと思います。今まで特に土木技術系の方々は、中坊さん、高倉健さんと言っても今の若い人には通じないですかね。
中: 私は知ってますけど(笑)。
西: 私もわかります(笑)。
絹: 「自分、不器用ですから」と、良い仕事をして淡々と静かに去っていく。その背中をカメラが追いかけるみたいなのは流行らないですかね(笑)。
 

●地図に残る仕事と静かな自負と

絹: 笑い話にしておりますが、我々建設産業に携わる者はなかなか脚光を浴びる事はございません。ですけれどもどこかの大手さんのコマーシャルに書かれているように「地図に残る仕事」と。あるいは当たり前に便利に日常生活をこなすために、なくてはならないインフラストラクチャー、足元を支えているという静かな自負に燃えている人たちが技術屋さんであります。それは京都府の発注者サイドである技術屋さんも、我々のような川下の施工業者も、さらにその協力企業である職人さんたちも同じであります。そういう地道な活動が色んな物事の陰にあるということをこのコミュニティFMラジオのリスナーの方々も、ちょっとどこかの片隅にお持ちいただけたらなと思います。最後に一言ずつコメントをいただけますでしょうか。
中: これからも災害復興を含めて色々お世話になっている地元の建設業者さんの協力をいただきながらやっていきたいなと思っています。
西: せっかく良い取組に参加させていただけたので、また別の機会にこの取組のノウハウを活かせたらなと思います。
絹: ありがとうございました。この番組は心を建てる公成建設の協力でお送りいたしました。
投稿日:2019/09/13
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