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第150回 ・引きこもりシニア 生活訓練の日々@ハルハウス~兄の思い 自立をめざして
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丹: | 丹羽 國子 氏(一般社団法人 まちの縁側クニハウス 代表理事) |
絹: | 絹川 雅則 (公成建設株式会社) |
丹羽 國子 氏 |
絹: | 皆様こんにちは。まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。 この番組は地元京都の建設屋の目から見た元気なまちづくりびとのご紹介や、その活動の最新のエピソードをお届けしております。いつものように番組のお相手は当まちづくりチョビット推進室 絹川がお送りいたします。 さて、本日ゲストは久方ぶりのご登場です。当チョビット推進室、何と3回目のご登場、丹羽國子先生です。よろしくお願いします。 |
丹: | 丹羽でございます。クニさんと呼んでください。お願いします。 |
絹: | この番組のヘビーリスナーの方でしたら、ひょっとしたらご記憶かもしれません。「丹羽先生」と言ったら怒られるんですが、でも僕は佛教大学の教授でいらした時に出会っておりますので、ついつい「先生」と言ってしまいます。社会福祉学科の教授であらせられました。その前は看護婦さん?婦長?脳外科とか新生児病棟にもおられたとかおっしゃっていましたね。 |
丹: | そうです。 |
絹: | そもそも丹羽國子さんとのお出会いは、”まちの縁側 クニハウス””まちの学び舎 ハルハウス”でした。ご自宅を朝の6時から夕方の16時まで年中無休で開いていらっしゃる、とっても珍しい空間を運営していらっしゃるところに、私は入りびたるようになりました。“ハルハウス””クニハウス”検索していただくと、どんなすごいことをなさっているかわかると思います。ということで今日は”まちの学び舎 ハルハウス”の代表であられて、一般社団法人の代表理事である丹羽國子さんです。 それでは本日のタイトル、これ、どういうふうにしようと言っていたんでしたっけ。 |
丹: | 「ひきこもりシニア 生活訓練の日々@ハルハウス~兄のおもいから 自立を目指して」ということでお願いします。 |
■エピソード1 引きこもりシニアとの出会い |
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●全国の精神科病院を巡り歩いて | |
絹: | リスナーの皆さん、今日はちょっと重たいかもしれませんが聞いてください。さあ、どんなお話になりますやら。クニコ先生、エピソード1からまいりましょう。そもそもプライベートな 、非常に重たい問題ですから気を付けてお話しないといけません。御年58歳になられる男性が色々ご事情があって、30歳頃からご自宅に引きこもっておられました。そのお兄様が60代で、たぶん僕と同じくらいの年ですかね。僕は61ですけれども。 |
丹: | お兄様は62歳です。 |
絹: | そしたらほとんど同じ年ですね。そのお兄様がなんとか弟さんの面倒をずっと見てこられたんですけれども、丹羽先生のところへ、ハルハウスに来られたんですよね。なんで来られたのか、そのあたりから紐解いていただけますか。 |
丹: | はい。今年の8月の下旬にお兄様が来られて相談になりました。「自分たちは先に死ぬ。弟一人になると困るだろう。嫁や息子たちはあてにはならないし、なんとか自分の目の黒いうちに自立してほしい。行きつくところにたどり着いたのが”クニハウス”でした」と。 |
絹: | クニハウスやハルハウスの噂を、そのお兄様はどこかで聞かれたんですね。 |
丹: | そうですね。本当に若い頃から”森田療法”で2回も京都の山科や左京区で入院して、治療も受けられたそうです。それから全国の精神科病院に入院したりして…。 |
●日々の暮らしと将来への不安と |
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絹: | 色んな所にお兄様はお連れになったんですね。この間、教えていただいたところによりますと、お兄様はご自身の会社を経営されていらして、結構ご自宅にスペースがあったので、弟さんが住む離れの一階には、お兄様の息子さん夫婦がお住まいになって二階にその弟さんがお住まいになっていたと。 |
丹: | そうですね。 |
絹: | ただし、ほとんど外出されないし…。 |
丹: | もう昼も夜も寝た切りと言いますか。おなかがすくと甘いものをコンビニに買いに行かれるくらいで。何もしなかったようです。 |
絹: | で、やっぱり加齢臭と言うんでしょうか、匂いもするし…。その弟さんが30歳の頃にお母さまがお亡くなりになって、色々なご事情があって、それ以来引きこもるという状態になられた。当時は統合失調症と診断されていたと教えていただきましたね。 |
丹: | そうですね。本人が「お兄さんにいつまでも世話になっているわけにはいかないし、なんとか自分で働いてみたいと思っている」みたいなことをちらっと言われて、「これまでの生活で脳の神経細胞が栄養失調になっていますので、朝は女王様のように、昼は王様のように、夜は乞食のような食事で、生活訓練をやられたらいかがでしょう。90日で神経細胞が変わると言われていますので、100日くらいはかかると思いますけど、それでもあなたはそれをやる決心をされますか」と。「だからそれをきちんと決めたら、いらしてください。トランクは置いておいてもいいですけど」と言って引き揚げてもらいました。 |
絹: | リスナーの皆さん、ここで一つポイントです。今おっしゃったのは丹羽先生の持論であります。「早寝早起き朝ごはん。それから読書」でしたっけ。うつ病などで引きこもりと診断されて薬物投与が始まりますと、脳の構造から言って、神経細胞がどうも痩せていくらしいという研究があるようです。私は門外漢なのでわかりませんが、これは丹羽先生の持論であります。そして生活のサイクルが狂ってしまった人に、早寝早起き朝ごはん、朝ごはんは女王様でしたっけ。 |
丹: | 女王さまのように、昼ごはんは王様のように、夜は乞食のように。 |
●転地療養してみませんか |
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絹: | というような基本的な食生活と、それから人とかかわること。さらに今回クニコ先生が思われたのは転地療養がいいよと。お兄様にそうおっしゃったんですね。 |
丹: | そうです。お住まいの所から別の区域へ行った方がいいと。転地療養の方が本人もシャキッとすると思いますので、よろしかったら京都へお越しくださいということを伝えました。 そしてそれを決心したからということでお電話がありました。「ご本人から電話が欲しい」と言ったら、お兄様から本人と代わるということで、ご本人が「お願いします」と言われました。 |
絹: | 今のは口真似ですね。 |
丹: | そうです。ぼそーっと言われました。 |
絹: | もう一度、追加情報です。なぜ長いこと引きこまれていた方の62歳のお兄様がわざわざ遠くからお越しになったでしょうか。というのは、噂が色々伝染しているわけです。今まで、ハルハウス・クニハウスでこういう転地療養をされて元気になった人がいるらしいというのが人口に膾炙していると解釈できるのですが。 |
●朝日をおでこに当てましょう |
丹: | 一週間は毎朝6時にドアを叩いて、「起きてください」と起こしに行きました。そうすると帰ってきたままの姿でベッドに入って、起きたらベッドをそのまんまにしてラジオ体操という、そういう生活なんですね。ですからおじさん臭がムンムンとしています。お部屋いっぱい。それで窓を開けて、布団を干すという、もう日光が燦燦と当たる部屋ですので、それをやってもらいます。これを全部教えるんです。それで10日目くらいから、毎朝自分で行くようになりました。 |
絹: | 船岡山のラジオ体操クラブへ。 |
丹: | そうです。そしたら向こうの人も信用されたのか、ラジオ体操カードというのに印鑑を押してくださるようになっています。 |
絹: | 始めは食事も早食いで、5分で食べて後はぼーっとしておられるだけだったとおっしゃってましたね。 |
丹: | そうです。そのまんまベッドへ行って寝るんです。 |
●感謝の言葉、謝罪の言葉、出会いの言葉、別れの言葉を、言われた方がいいですよ |
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絹: | それが8日目で出かけるようになられて、フォーベイシックワーズと教えてもらったのでしたね。 |
丹: | 挨拶も何もせずに、黙って行って、黙って帰って来るわけです。「58年もそういう生活をやられたのだから無理かもしれませんが、世界共通のフォーベイシックワーズだけは言われた方がいいと思いますよ」というアドバイスをしました。フォーベイシックワーズというのは感謝の言葉で「ありがとうございます」、それから謝罪の言葉「すみませんでした」、それから出会いの言葉「おはようございます。こんにちは」、さらに「行ってきます」という別れの言葉です。別れというのは、もうその時に最後かもしれませんから。このフォーベイシックワーズというのは世界共通ですので、外国へ行かれるときには、行かれる国のフォーベイシックワーズを持っていかれるとうまくいくと思います。 |
絹: | 本当にこれ、海外に行かれる時はいいですよね。これだけ覚えて行けば、まず溶け込めますよね。 |
●毎日、どこかへ出かけてみませんか |
丹: | そうです。それで弁当代が580円とか600円とか要るんですけど、是非にとお願いしたら、京都市役所の障害の人の保健センターで許可をもらってほしいと言われたんです。そこで「私が主役じゃないのよ。あなたが主役だから自己紹介とか、書類もあなたが書いていただきたいから、私は同伴するだけですよ」ということを断わって、保健所へ二人で行きました。それで色んな書類とか面談とかありまして、一昨日許可が出まして、これで当分行けるようになりました。 |
絹: | ということは、引きこもっていらっしゃった当該のシニアの方が”むつみの家”でB型支援のお手伝いをするということで、公的な助成が”むつみの家”に入るようになるということですね。じゃあ、サポートが始まったんだ。うわああ、30からずっと引きこもっていた人が実際にそこまで行ったんですね。 |
丹: | 今度の18・19日は実家の方で月に一回のうつ病の受診日なんです。その時は一泊で行くのよと。その朝は天気が良ければシーツを洗いましょう。月に2回はシーツ交換して、全部を洗うのですが、その洗濯をやったことがない。洗濯機の使い方から糊付けから、全部教えて、もう3回か4回になりますけど、今度の18日の時も「あなた一人でできますね」と言ったら、「はい、やります」と言ったから見守りたいと思います。 |
●一つひとつ覚えてもらいました |
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絹: | ワイシャツの糊付けも「やってみる?」と言われたそうですね。その時、笑えるエピソードがありましてね、糊があるじゃないですか。「ひと瓶全部使うんですか?」と(笑)。 |
丹: | 「ひと瓶全部使って、それをまくんですか?」と言うから、「ここに注意書きが書いてあるから、それを読んで薄めて使ってください。それから洗濯機は二槽式だから、終わった後は必ず開けておかなきゃいけないのよ」とか、そういうことまで教えるんですね。生活指導ですから、苦にはなりませんけど(笑)。 |
絹: | リスナーの皆さん、ここまでお聞きになっていかがでしたでしょうか。実ははじめ、このお話を教えていただいて、ラジオの番組で語っていいものか少し逡巡したところも正直ございました。さりながらどうもこのテーマは、この長いこと引きこもっていらっしゃったシニアの方お一人のことではないのではないかと思いあたりました。色々誰にも相談できずに、あるいは色んな病院を回ってもそれらしい改善がなかったという方が、最後にたどり着かれたのが千本北大路下がるのハルハウスでありました。着実に、でも生活訓練からフォーベイシックワーズとご飯を食べること、シーツ交換…、ゴミ屋敷におられた方ですよね。信じられない…。というふうに驚きました。 |
●まずはご本人の意思確認、そして信頼できる人をつくってください |
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丹: | いや、布団干しは天気のいい日は毎日干して、9時にはきちんと出て行かれますし、「行ってきます」という声が大きくなっています。だからひきこもっている方は一日も早く決断されたほうがいい。ただし、ご本人がですよ。お父様お母さまが先回りしてやっちゃうと本人は縮こまりますので、まずはご本人の確認、そして生活訓練の信頼できる人をつくることが一番大事だと思います。 |
絹: | 本人の自発性を引き出すためには、当人との信頼関係がベースにならなければならない。これは丹羽國子先生のお言葉です。確実に本人さんとの信頼関係を築くことを、長年なさってきた方がここにおられます。是非リスナーの皆さん、丹羽國子さん、ハルハウスという名前をご記憶ください。 この番組は心を建てる公成建設の協力と京都府地域力再生プロジェクト、そして景観まちづくりセンターの応援でお送りいたしました。丹羽先生、ありがとうございました。 |
丹: | どういたしまして。 |
絹: | 皆さん、千本北大路ハルハウス覚えてね!ありがとうございました。 |
投稿日:2019/11/21
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第149回 ・若手土木技術者のためのハンドブック~現場監督のいろは編~
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中: | 中坊 傳 氏(京都府建設交通部指導検査課指導担当主幹兼係長) |
西: | 西村 浩孝 氏(京都府建設交通部指導検査課指導担当主査) |
絹: | 絹川 雅則 (公成建設株式会社) |
(左:中坊氏 右:西村氏) |
中: | そうなんです。平成の29年と30年に大きな災害が京都府では起こりまして、その復興に今、一生懸命あたっています。復興するに当たっては、中堅の者がバリバリ仕事をしている状況で、若い方の教育になかなか時間を割けない現状があるというのが実態でございます。 |
●二年連続の大きな災害にあたって |
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絹: | 初めに教えていただいたのは、若い人の不安を取り除くという問題意識を、京都府建設交通部の技術屋さんの先輩方はお持ちになったわけですね。そしてその結果、こういうハンドブックが生まれていきました。技術の、あるいは経験の継承がすごく難しくなってきたわけですね。数少ない中堅職員が災害対応の業務にあたったと。本当に大変ですね。 |
中: | 特に平成29年と昨年起きました災害は非常に大きかったので。 |
絹: | 西村さんも災害現場に出張しておられたんですか。 |
西: | 本庁勤務なので、そんなには出てないんですが、私は検査をする部署にいるので、災害が起こってすぐに検査に行ったので、検査が終わった後、現場を回ったりもしました。 |
絹: | 西村さんが災害現場で印象的だったのはどこですか。 |
西: | 福知山の府道で山崩れがあって、通行止めになっている現場がありましたね。 |
絹: | あちらの業者である我々の仲間も八面六臂の活躍でしたものね。 |
中: | 二年連続の大きな災害だったので、中北部が中心にやられたということで、南部の土木事務所とか本庁職員が北部の応援に行くという体制を取りました。 |
絹: | ということは京都府の中坊さんや西村さんの着眼点はすごく新しかったわけですね。他のところがやってなかったわけですから。だからこそ『日経コンストラクション』最新号で京都府のこの動きは面白いと取り上げられたのを僕が読んだわけです。 日々現場監督に奮闘している、採用後1年から3年目までの若手土木技術職員をターゲットに選ばれた事が素晴らしいですね。現場監督を地元の我々のような建設屋が公共事業を発注していただいて、それを受注して、「ちゃんとやっているか」と。設計図書通り、性能はちゃんと品質が出るようにどのように目配りをしたらいいのかの虎の巻の入門編を、平成31年の3月までに作りきるとお尻を切られたわけですか。 |
西: | お尻を切られたんです。新規採用職員が4月に来ますので、来た時にその机の上にちゃんと置けるようにという明確な目標をもって取り組んだということですね。 |
●プロジェクト始動―課の壁を越えて |
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絹: | 「現場監督のいろは編、作成プロジェクト始動」と書いてありますけど、プロジェクトメンバーの人数はどのくらいですか。 |
西: | メンバーは全部で10人なんですけど、現場を十分に経験しているけれども、現場から離れてそんなに間がない30代後半の職員で構成しました。 |
絹: | その辺の層がおられるというのは羨ましいですね。うちらの民間中小企業はその辺の層が少ないんです。大ベテランが息子みたいな人に教えているという(笑)。大ベテランからしたら、30代後半、あるいは40代くらいの、間を繋いで先輩役になってくれる人が欲しいなと思うし、若手の技術者はやっぱりお父ちゃんと同じ年代の先輩とは喋る言葉も違うわけで(笑)、でもいいですねえ。「写真や図を多く入れ、新卒職員にわかりやすく見る気を起こるものにした」と書いておられますが、プロジェクトメンバーの10人、よく集まりましたね。 |
中: | メンバーについては、土木の工事で行きますと、道路と河川、大きく分けてその2つがあるんですが、そういうところの課から、道路計画課、道路建設課、道路管理課、河川課、それから砂防課から有志を募って取り組んだという状況です。 |
絹: | 有志ということは、「お前出ていけ」と上司がケツを叩いたのではないのですか?そんなこともあるけれども「俺がやる!」という人もいた? |
西: | その通りです。両方いると思います。 |
絹: | その元締めが西村さん。西村さんは「俺がやる」派?中坊さんに言われた派? |
中: | 私は知ってますけど(笑)。 |
西: | 私もわかります(笑)。 |
絹: | 「自分、不器用ですから」と、良い仕事をして淡々と静かに去っていく。その背中をカメラが追いかけるみたいなのは流行らないですかね(笑)。 |
●地図に残る仕事と静かな自負と |
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絹: | 笑い話にしておりますが、我々建設産業に携わる者はなかなか脚光を浴びる事はございません。ですけれどもどこかの大手さんのコマーシャルに書かれているように「地図に残る仕事」と。あるいは当たり前に便利に日常生活をこなすために、なくてはならないインフラストラクチャー、足元を支えているという静かな自負に燃えている人たちが技術屋さんであります。それは京都府の発注者サイドである技術屋さんも、我々のような川下の施工業者も、さらにその協力企業である職人さんたちも同じであります。そういう地道な活動が色んな物事の陰にあるということをこのコミュニティFMラジオのリスナーの方々も、ちょっとどこかの片隅にお持ちいただけたらなと思います。最後に一言ずつコメントをいただけますでしょうか。 |
中: | これからも災害復興を含めて色々お世話になっている地元の建設業者さんの協力をいただきながらやっていきたいなと思っています。 |
西: | せっかく良い取組に参加させていただけたので、また別の機会にこの取組のノウハウを活かせたらなと思います。 |
絹: | ありがとうございました。この番組は心を建てる公成建設の協力でお送りいたしました。 |
投稿日:2019/09/13
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第148回 ・知らなかった堤防の話をしませんか?~河川工学の視点から~
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與: | 與田 敏昭 氏(株式会社ニュージェック 河川グループ統括代理) |
絹: | 絹川 雅則 (公成建設株式会社) |
與田 敏昭 氏 |
(よでん としあき) |
絹: | 皆様こんにちは。まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。 この番組は地元京都の建設屋の目から見た元気なまちづくりびとのご紹介や、その活動の最新のエピソードをお届けしております。いつものように番組のお相手は当まちづくりチョビット推進室 絹川がお送りいたします。 さて、本日ゲストのご紹介です。ごくごく最近、一回お会いしただけという方です。株式会社ニュージェック 與田敏昭(よでん としあき)さん、工学博士、そして建設の分野では最高峰の技術士建設部門という名刺を頂戴しました。與田さん、よろしくお願いします。 |
與: | よろしくお願いします。與田です。 |
絹: | 與田敏昭さんとの出会いは、7月23日、まだ本当にこの間です。国交省近畿地方整備局淀川河川事務所でした。私も本職は建設屋ですので、塔の川下流護岸整備他の工事で優良工事表彰を受けに行っていました。そこで出会ったのがニュージェックの與田さんであります。もちろんニュージェックさんも表彰されていたんですよね。 |
與: | そうです。業務表彰と技術者表彰をいただきました。 |
絹: | その技術者表彰を受けられたご当人が、與田さん? |
與: | そうです。 |
絹: | もちろん初めてお会いしたのですが、受賞の後の座談会を淀川河川工事の所長さん以下、幹部の方としていた時に、その與田さんのコメントが僕にとっては秀逸で、「なんかすごいことを言わはった」みたいに聞こえたわけです。そこでお別れの時に、慌てて名刺交換しに行って、「ラジオ出てください」と(笑)。まあ、そんな厚かましいお願いをしたわけです。そうしたら「いいですよ」と言ってくださったのが與田さんです。與田さん、その時のコメントをまず、ご紹介ください。 |
與: | 私、河川技術者で、河川堤防のことを取り扱っているのですが、最近は異常気象等もありまして、かなり色んな堤防の被害が増えてきています。一生懸命、マニュアル通りの堤防はつくってきてはいるんですが、昨今の状況をみると、マニュアルの堤防を越えた堤防づくりが必要ではないかと、個人的には考えていまして、そういうコメントを発信させていただきました。 |
絹: | 座談会の席上で、與田さんは近畿地整の堤防はかなりいいところまできているけれど、それだけで本当にいいの?という疑問を呈されたような気がいたしました。 |
與: | あくまでも私見ですけれど、やはり堤防というのは、市民の生活を守る一丁目一番地という位置づけでございますから、それを守るためにさらなるバージョンアップを図ってもいいのではないかと常々思っておりまして、そういう発言になったところです。 |
絹: | これ、「試験に出ますよ」じゃないですけど、皆さん、意識して下さい。七条大橋辺りから下は堤防がある。それより上流は堤防は河川技術者の目から見ると、そう見えるんだと。これは河川技術者の目から見るだけじゃなくて、一般市民にもその感覚を持ってよと思ってらっしゃる。 |
●京都におけるバックウォーター現象 |
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與: | そうですね。堤防がある所とない所では、被害に合った時の規模が全然違うということをイメージしてもらいたいなと思っています。最近の被害ですと、昨年度、倉敷市の小田川という所で堤防が切れましたけれども、あそこでは高さ的には5m~6mの水位まで上がってしまって、二階の屋根に皆が避難していたわけですけど、あれが堀込河道の所ですと、溢れても水がそのまま横に広がっていくだけなので、そういう水深にはならないんです。 |
絹: | 堀込河道ニアリーイコール鴨川・高野川が四条より上の所で溢れても、専門用語で溢水(いっすい)と言うんですよね。まあ、横へ広がっていって、床下浸水くらいかな。 |
與: | それくらいで済む所もありますが、やはり堤防が一度切れると、その高さまで水がたまっていたものが一気に流れてくることになりますので、それは甚大な被害になってしまいます。 |
絹: | 堤防が切れることを専門家は破堤(はてい)と言います。 |
與: | あと、先ほどの地形的な話で言うと、京都市内を流れる鴨川、東高瀬川、西高瀬川については、すべてこの宇治川、桂川に合流してしまうわけです。ということは、宇治川や桂川の水位が高いと、ちょっと言葉は汚いですが、糞詰まり状態で、川の水が流れなくなるんです。洪水の時に。 |
絹: | と言うと下流の宇治川の水位が高くなってしまっているとはけない。 |
與: | はけなくなって、今度は京都市内の方に逆流してくるわけです。去年キーワードになった、バックウォーターという現象が非常に起きやすいということも注意しないといけないんです。 |
絹: | 今まで、歴史上そのバックウォーター現象というのは、市内で起こったことはあったんでしょうか。 |
與: | その当時はバックウォーターというキーワードはなかったんですが、平成25年の台風18号が9月に来た時に、桂川の久我橋の所で溢水したんですが、その時に鴨川の水位が上がってしまって、そこで溢水しました。 |
絹: | 久我橋の辺りと言うと、下鳥羽あたりですか? |
與: | そうですね。あまり話題にはなっていませんが、やはり大きい川の水位が上がると、京都市内は同じような現象になりやすいという地形的特徴があります。 |
●晴れているのに、京都府南部に洪水注意報―こんなわけがあります |
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絹: | 千年の都と言われる京都で、首都が長らくあった場所だから、自然災害には強いだろうと、我々京都市民は思っておりますが、あに図らんや、時代は変わって少しその常識は疑わなければならないところに来始めているのでしょうか。 |
與: | そうですね。皆さんご存じだと思いますが、京都の八幡の所で宇治川と桂川と木津川が交わる三川合流がありますが、これがとても特徴的な地形になっていまして、結局どこかの川の水位が上がると、他の川にも影響してくるというような現象になるということです。ですから洪水の時に、基本的に宇治川は滋賀県で降った雨を全部流して来る。木津川は奈良県北部と三重県北部の水を流して来るというところがあるので、そちらの方で大雨が降ったら、そこの川の水位が上がるので、全然関係のない京都の桂川の水位まで変わって来ると。 |
絹: | となると京都で、「いいお天気だ」と安心していたら、奈良県の北部や三重県北部のドカーンと雨が降った水を運んでくる木津川と、滋賀県の琵琶湖の水位が上がっていたりすると、天ケ瀬ダムが止めてくれないと、こっちに来るわけですね。 |
與: | 天ケ瀬ダムは基本的に京都や大阪が洪水にならないように、一時的に水を止めるという役目を持っています。ですので皆さん、気づかれている方がいるかどうかわかりませんが、大雨が降って、しばらく経って、全然晴れているのに、一週間くらい京都府南部で洪水注意報が続くことがあると思うんです。それは滋賀で降った雨を、天ケ瀬ダムが少しずつ流しているので、京都の宇治川の水位が上がりますので、それに対して洪水注意報が出ているんです。 |
絹: | そうかあ。無意識に流していてはいけない情報なんですね、あれは。 |
與: | ですから今、ゲリラ豪雨みたいなものが結構ありますので、そこで宇治川の水位が高い時に、今度は京都市域に大雨がドンと降った時、出口の水位がもう上がってしまっているということも十分考えられるわけです。 |
絹: | 言葉はあれですけど、さっきの糞詰まり状態。バックウォーターが生じやすくなるぞと。 |
與: | そういうことも考えていくと、結構、京都の宇治川と桂川の囲まれた地域は、河川堤防でしっかり守られているという意識は持っていただきたいなと思いますね。 |
●堤防が切れるということ |
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絹: | なんで與田さんをお呼びしたのか、今、やっとわかってきました。このまちづくり推進室の通奏低音の一つが、普段は目立たないけれども、京都のために頑張っている人たちをお呼びして、そのお話を聞くことを喜びとしている部分があるんですけど、與田さんみたいな方々も、堤防は普段機能していたら忘れられているけれど、一旦、溢水や破堤したらえらいことになるぞと見てくださっている人のお一人だったんですね。 |
與: | 堤防は一か所切れただけでも、すごい被害が出るということがありますので、絶対守らないといけない。例えば平成27年に茨城県の鬼怒川という所で堤防が切れましたけれども、あそこは堤防が切れたのは、実は一か所だけなんですけど、40平方キロメートルという非常に広い所が浸水したんです。40平方キロメートルというと、京都で言いますと、京都駅から北側が全部浸かるくらいでして、4300人くらいがヘリコプターや船で救助されたという、非常に大きな災害になりますので。一か所切れただけなんです。だからこそ、一か所でも切れてはいけないために、やっぱり堤防というのは色んな技術を駆使して守っていくというところですね。 |
絹: | 普段、こういうことをお聞きになったことが、まずないと思います。河川工学だとか、堤防をどう守るかということ、たまには我々一般人も意識した方がいいような気がしてまいりました。 それから京都は結構危ない場所という見方もできるよと教えていただきました。というのは、先ほど京都の地形の特徴の一つは、南に宇治川、西に桂川、大きな川に囲まれていて、その堤防の高さも一番高い堤防は8mでしたっけ。 |
與: | 8mくらいある所もありますね。 |
絹: | だいぶ前になりますけど、由良川が溢れて、バスの天井に逃げてというテレビ報道の画像をご記憶の方もあるかもしれません。あれって、8mじゃないですよね。 |
與: | バスなので、3mないでしょうね。 |
絹: | あのバス2つ積みか、1.5倍くらいにした上で、浸かってしまうということが、堤防が切れると、京都の南の方? |
與: | 南の方ですね。伏見の方は非常にやはり一回切れると、水に浸かりやすい所ですね。 |
■エピソード2 堤防って、地域によって全然違うんです |
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●木津川の堤防は砂でできている? | |
與: | これまで国や府や市が一生懸命、堤防を強化してきて、まず堤防の形を大きくして、堤防の質を、体力をつけるために補強して、ほぼほぼ出来上がってきているところではあります。 |
絹: | 国のマニュアル、設計指針だとかいろんな事は、いい所まで来ているよと。決して何もなされていないわけではないということを、まずは押さえていただきたいと思います。そのうえで、與田さんはそのマニュアルを越えていく視点も持った方がいいような気がするとおっしゃっています。これをイメージしていただきやすいようにするにはどうしたらいいかな。堤防の成り立ちが地域によってどれだけ違うかというところからお願いします。 |
與: | 長年堤防を見てきて、堤防って、川によって全然違うなというところを、常に、最近特に感じています。人で言うと、姿かたちは似ているけれど、国籍が違ったら、適応するルールが違う、考え方が違うというところがあって、例えば木津川という大きな川がありますけれど、京田辺市や精華町の辺りに遊びに行かれた方がいるかもしれませんが、あの辺りの川の中にはすごく砂浜がたくさんあって、レジャーするには持って来いのいい場所なんです。木津川自体がものすごく砂の多い川なんですよね。昔の人は、堤防をつくる時には、その近くにある土をそのまま持って行ったので、その川砂で木津川の堤防というのは、ほぼつくられています。ですので工事の時に木津川の堤防を開けると、さらさらの砂の場合がよくあります。このさらさらの砂というのは、やはりイメージとしては、水を通しやすいので、ちょっと弱い感じがします。 |
絹: | さっき與田さんに素人っぽい質問をしましたけれども、砂で大丈夫なんですかと。堤防の芯と言うか、真ん中に、水をシャットアウトするような構造を入れなくていいんですかと、自分が工学系でないのをモロばれの質問をしましたけれども(笑)。実際に木津川は砂だけなんですか? |
與: | 砂とそれに対する堤防の強化ですね。色々と工学的な対策を打って、堤防を強くしています。 |
絹: | それは遮水シートをくるりんと巻いたり、それから矢板? |
與: | 遮水シートで巻いたり、矢板を打ったりしていますね。 |
●粘土質な宇治川堤防 |
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絹: | そうすると、さらさらとすごくきれいな砂がいっぱいの木津川堤防の一方で…。 |
與: | 一方、宇治川は昔、巨椋池がそばにあったことからもわかるように、土としては結構粘土っぽい土が多いんです。粘土質の土で堤防をつくっているので、水が入りにくい堤防なのですが、逆に洪水で一回堤防の内側に水が入ると、今度は抜けないんですよね。ですからその水が残ったままになって、また次の洪水が来るということで、結局堤防の土の中がちゃぷちゃぷ状態になりやすい。逆に木津川は、洪水が終わって水位が下がると、すっと水が抜けて元の状態に戻るんですよね。 |
絹: | 外から見る限りは、宇治川の堤防も木津川の堤防も同じように見えるけれども、洪水が起きた後は違うんですね。 |
與: | 全然違うんです。 |
絹: | それに対してどうしたらいいのでしょう。 |
與: | もちろん今までのマニュアルでそれぞれの堤防に対して、それぞれの現象を調べて、それなりに合うような対策は打ってきたんですが、そういうマニュアルを越えて、川の特性、洪水がこうなるとか、全体的な土はこうだからといったことを考えた地域ごとのメニュー化みたいなものも、今後は必要なのではないかと思っています。 |
■エピソード3 マニュアルを越えて |
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●これからの河川堤防は地域の人の意見を反映する必要があります | |
絹: | マニュアルを越えてという切り口は、與田さんの論で言いますと、地域住民とのかかわりだとか、地域によって変えていく必要があるよという話ですね。 |
絹: | その意思統一というか、大変だったでしょうね。 |
與: | これは地域の協力がないと成り立たないやり方ではありますが、これからの堤防づくりについては、当然治水もありますけれども、やはりそれを越えた地域との一体性というものも考えた堤防づくりを考えていかねばならないと思います。やっぱり色んなつくり方があると思いますので、その辺も考えていって、それが新しいステップになっていくのではと思っています。 |
絹: | リスナーの皆さん、今日初めてだと思います。河川工学の堤防をずっと見てくださっていた方が来てくださいました。マニュアルを越えていくということは、ひょっとしたら地域の人との協力関係が必要になってくる。そういう世界、国交省のマニュアルだけじゃなくて、それぞれの堤防の地域の砂の質にも関わる、そういうお話でした。是非是非このお話を頭のどこか、それから川を見られたら、思い出していただけたらと思います。與田さん本当にありがとうございました。 |
與: | ありがとうございました。 |
絹: | この番組は心を建てる公成建設の協力でお送りいたしました。ありがとうございました。 |
與: | ありがとうございました。 |
投稿日:2019/08/13
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第147回 ・伏見巨椋池~農のイベント・仕掛け人たち~
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まちづくり“チョビット”推進室<令和元年7月放送分>
中: | 中村 光宏 氏(ひかり餅中村本舗 代表) |
絹: | 絹川 雅則 (公成建設株式会社) |
右:中村氏(左:絹川) |
絹: | 皆様こんにちは。まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。 この番組は地元京都の建設屋の目から見た元気なまちづくりびとのご紹介や、その活動の最新のエピソードをお届けしております。いつものように番組のお相手は当まちづくりチョビット推進室 絹川がお送りいたします。 さて、本日ゲストのご紹介です。私よりもだいぶ年のお若い方で、中村光宏さんとおっしゃいます。ひかり餅中村本舗代表、御年44歳、二代目は六年生。中村光宏さんです。よろしくお願いいたします。 |
中: | ひかり餅の中村です。よろしくお願いいたします。 |
絹: | 最近出会ったところなんですよね。 |
中: | そうですね。一週間ほど前ですかね(笑)。 |
絹: | 思わず意気投合してしまいました。京都三条ラジオカフェという所で、コミュニティFMの番組を15年くらいやってますという話で、興味を持ってくださって、「出ます!」と言って頂けたので、今日は来ていただきました。 では今日の番組タイトルをまず申し上げます。「伏見巨椋池~農のイベント・仕掛け人たち~」と題してお送りいたします。 実は中村さん、でっかい農家なんですよね。 |
中: | そうですね。伏見の巨椋池の方で4ヘクタールほど、米を栽培しています。 |
絹: | フェイスブックページで覗き見る程度なんですけど、二代目さんである小学校六年生のぼっちゃんが、田植え機の運転席に座っている写真がでーんと(笑)。 |
中: | ああ、去年の写真ですね。 |
絹: | 五年生の時ですか。もうだいぶ役に立つようになってきたと書いてありましたが、4ヘクタールということは、100m×100mが4つあるわけでしょ?やっぱり近郊農家としては大農家ですよね。 先日お聞きしたところによると、お父さんが早くにお亡くなりになって、でも小さい時からお父さんが農業をされているのを見ておられたということでしたよね。 |
中: | そうですね。やっぱり親父の影響が大きいですねえ。 |
絹: | 元々アメリカンフットボールの出身で、ええガタイをされています。皆さん、田んぼラグビーって、お聞きになったことがないですか?伏見でこの6月に第2回を開催されたようです。 伏見で4ヘクタールもお米を作っている、この兄さんがどう面白いのか、まず切り口は田んぼラグビーから行きましょか。 |
中: | 行きましょ! |
■エピソード1 田んぼラグビー巨椋池編、そもそも |
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●宮本ファームさんと田んぼラグビーと | |
絹: | なんでこんなん、手伝うようになったんですか? |
中: | 伏見向島地区の宮本さん(通称、宮本ファームさん)という、僕より3つ上で、京都伏見工業高校ラグビー部出身の方がおられます。 |
絹: | あの有名な伏工ラグビー部ですね? |
中: | そうです。あの山口先生に鍛えられた年代の方なんですけど、その方が筆頭に田んぼラグビーをやっておられます。向島の田んぼラグビーが始まったのは、去年からで、今年は二回目なんですけど、全国的には福知山や群馬県など、色んな所で開催され始めたというところです。 |
絹: | さっきちらっとインターネットで予習していたら、田んぼラグビーはそもそも2015年に福知山で発祥と書いてありますね。 |
中: | そんなもんですかね。まだ新しいんです。 宮本ファームさんでは、その田んぼラグビーに参加された方に、田んぼラグビーをやった田んぼで作った米の稲刈りをしてもらうといったイベントをやっておられます。 |
●餅つきイベントやってます! |
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絹: | その田んぼラグビーのグラウンドになったのは、ひょっとして中村さんとこの田んぼですか? |
中: | いや、違います。宮本ファームさんの田んぼです。参加された方に稲刈りをしてもらって、また盛り上がるイベントして餅つきをやったりしているんですが、その部分でうちが手伝っているんです。 |
絹: | 中村さんはお餅つきとか、お餅製造とか得意技ですものね。 |
中: | そうなんです。杵と臼で種智院大学の構内を使わせて頂いて、餅つきをやっています。また、今年は餅つきイベントが二回あるんですよ。10月20日と11月2日にあるんです。 |
絹: | ここに手元資料として「伏見ひかり餅直伝、お餅体験 experience mochi pounding」これ、外国人向けに英語も入っています。「京都伏見で見つける体験型観光」と。巨椋池の近所に種智院大学があるんですが、空海上人が開かれた綜芸種智院の流れをくむ種智院大学、大学になったのは1949年ですが、非常に古い歴史のあるところで、お餅つきイベントをされるということで、すごいですね。 |
中: | 大変好評で、一気に盛り上がりますね。 |
絹: | 餅つきは、なんか日本人の血が騒ぎますものね。 |
中: | 騒ぎますねえ。これは僕の天職ですね。 |
絹: | リスナーの皆さんも、例えば町内会のイベントなどでやっておられるのではないでしょうか。私はご存知のように建設屋ですから、保育園の理事長さんとか、お客様にたくさんおられるんですが、結構保育園でも子どもさんたちを集めて、お正月にお餅をみんなでついてというイベントをやっておられます。そうしたら近所の人も集まって来られるし、お子さんもお母さんも来られて、すっごい良い雰囲気ですよね。そこでひかり餅本舗の中村さんとこは、自分とこのその4ヘクタールで作った、最高級品種羽二重米でお餅を作るんですね。 |
中: | 作ります。3年前、実際にイスラエルの観光客40人が観光バスで来られて、大盛況でした。 |
●餅つきの始まり |
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絹: | 中村さんとこに来たら、30~40人受け入れられるキャパシティがあるんですね。なかなかのもんですね。 |
中: | 受け入れられます!フェイスブックやホームページに載せて、募集するんですけど、大人1人2000円で、子ども1000円で参加できるイベントを毎月やっています。うちが餅つきをやり始めた当時は、餅つきを実際にやっているところを見せて、お客さんに喜んでもらって、僕の名前を売っていくというところが餅つきの始まりだったので、これはずっと続けようと思っていますね。 |
絹: | うちもおじいちゃんおばあちゃんが元気な時はやっていたようです。本家には臼も杵も残っていて、会社では社宅や寮では餅をついていた形跡があります。もち米を蒸して、こねこねするやつがあるじゃないですか。あれも下手でもなんとかできるし、合いの手を入れる臼とりも、手を叩かれんように、おっかなびっくりへっぴり腰で(笑)、それがまた楽しいですよね。 |
中: | もう、餅を触っているだけでテンションが上がるというか、非日常的な体験ができるというか、なかなかね、できないですから。 |
●ひかり餅のこだわり そして展開 |
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絹: | 本職のお餅製造については、年末のピークにものすごい数を作るそうですね。 |
中: | 30日、31日は、二日続けて1万個以上ついていますね。 |
絹: | リスナーの皆さん、想像できますか?一万個以上の丸餅ですか、それも長いこと機械を動かすから、ピッカピカになるとか。 |
中: | ピッカピカになるんです。美味しい餅を作るのに、つく回数が大事で、よく蒸して、よくついて、すぐ切るという3つの工程を守ってやっています。 |
絹: | 中村光宏さんが面白いのは、ビジネスとして、企業家としても、色んな所へ、例えば海外へ出ていかれる。船便で杵から臼から蒸し器からもち米まで送り込んで、あれはハワイ? |
中: | ハワイへまず行ったんです。ハワイの商談会があって、そこを通過してアメリカ本土に行けたんですけど、ロサンゼルスに行ってきましたね。 |
■エピソード2 まちを元気にしたい~伏見の仲間たちと共に |
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●第六次産業というもの | |
絹: | 「やっぱり農は大事やで」と言って、近郊農家で守ってくれている44歳の若いお兄さんが、餅つきのイベントで海外まで販路を広げつつある。それだけじゃなくて、農のイベントを中心に色んな事を伏見で、伏見が元気になるようなことを仕掛けておられる。 中村さんの兄貴分の伏工OB宮本ファームの宮本さん、この人も50前ですよね。 |
中: | 50前です。元気な農業のおっさんですねえ。 |
絹: | そもそも私と知り合ったのも、そしてこのラジオカフェに「行くよ!」と言って頂いたのも、「農業の事についてラジオでしゃべりたいねん」という言葉に「え!」と思ったわけです。田んぼづくりだとか、特に京都での近郊農業について、何か若い人にメッセージとかあります? |
中: | 僕はひときわ異例なことをやって来たんですけど、自分のカラーを大事にして、個性を大事にして、自分のやり方を暗中模索のなか、試行錯誤して、やってきたこの17年間、餅をやりだしたのが28歳の時で、今年18年目になるんですけど、今から思えばやっぱり30代というのは暗中模索の中で、これでよかったのかなと。不安ばかりで、自分がやっていることが正解なのかどうなのかわからないまま突き進んできました。それが40を過ぎると、確信めいたものが出てくるんですね。「よっしゃ、これで極めていこう」と。お餅というビジネスを大きくしていく。大きくなるためには、農家の僕が製造から販売まですると。この1つのレールを敷いた上で、あとは自分でピーアールしていくという…。 |
絹: | 誰かが教えてくれはったけど、第一次産業とか第二次産業とか第三次産業とかっていう言い方を、昔社会科で習ったじゃないですか。中村光宏さんがやっているのは、それで言うと、第六次産業とか言うらしいですね。最近新しい分類で、食材の生産から売るのまで全部やると。 |
中: | これからは生産から販売までやっている農家が残るという時代ですよね。今までは農産物を作っているだけで、よかったはよかったんですけど、これからは自分で販売していくというところに力を入れていかないと、やっぱり残れないんじゃないかと思います。 |
●「カレーなるイベント」って? |
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絹: | その中村光宏さんに私が魅力を感じたのは、伏見の納屋町商店街と竜馬通商店街、よく注目される商店街2つにも、どうやら深く浸透されているらしい。その象徴的な切り口、キーワードが、「夏至カレーなるイベント」というもので、納屋町商店街でこの間の6月21日に第三回が開催されたということですけど、これにも参画されていたんですよね。 |
中: | はい。出店者の中でうちが「ひかり餅」として、餅にカレーをかけて食べてもらうということをさせていただいて、隣に先ほど出てきました宮本ファームさんが出ていましたね。 |
絹: | 短い動画でしたけど、インターネット上にアップされているのを見ていたんですけど、長い餅網の上で、本当に美味しそうにお餅が焦げて焼けているのをひっくり返しているのが、ご本人さんかどうかわかりませんけど、その隣にはでっかい鍋で、小豆が煮えているような鍋があったりとか。いつのイベントですかね。それを商店街で丁寧になさっているんですよね。 |
中: | そうですね。すごいイベントで、「カレーなるイベント」というのは去年から始まりまして、藤崎さんという方が納屋町商店街の理事長と相談して、「こういうイベントをやろか」と立案されたんです。当初はどれだけのお客様が来ていただけるのか不安の中、開催されて、成功に終わったわけです。それで二回目、三回目と続きまして、現在に至っているという感じですね。カレーにちなんだ料理しか出せないので、はい。 |
絹: | それはその商店街にカレーにちなんだお料理をお出しになるお店がずらりと並んだわけですか。いくつぐらいですか? |
中: | 20店舗じゃなかったかな。 |
絹: | そしてクラフトビール祭みたいな感じで、食券を最初に買ってという感じですか。 |
中: | 食券ではなく、現金でしたけど、うちは。それはもう、たくさん来られましたね。やっぱりカレーが好きな人、いっぱいいはりますね(笑)。 |
●藤崎さんと京都市未来まちづくり100人委員会 |
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絹: | 私も好きです。ヘビーなリスナーの方でしたら、ひょっとしたら覚えておられるかもしれませんが、本日のゲストの中村光宏さんが紹介して下さった藤崎さん、藤崎壮滋さんは何年か前にこのスタジオに入って下さった、私と共通の友人なんです。藤崎壮滋さんは納屋町商店街と竜馬商店街共にコンサルタントとしてお入りになっていたり、寺田屋浜という寺田屋さんのお向かいに「ぴあぴあ」というスペースを運営していらっしゃいます。あれは何と表現したらいいでしょう。お店?コミュニティスペース? |
中: | 今、時間貸しの場所を貸しておられるようになっていますけど、そこでも一回、餅を販売したことがありました。 |
絹: | 五平餅を焼いておられる姿がありましたね。この間行ったら、ギターなど色んな楽器まで並べてありました。 |
中: | ライブもやっておられるようですね。藤崎さんがギターをやっておられるので、何かそういう演奏会みたいなのを、夜にやっておられるようです。 |
絹: | ライブイベント。それからビールサーバーもありましたね。藤崎壮滋さんは中村光宏さんと同い年なんですけど、私とは「京都市未来まちづくり100人委員会」というところの三期で一緒でした。公募で集まったり、自分で手を挙げて集まっていた、京都市をなんとか元気にするための「自分ならこうする」という腹に一物を持った委員さんが100人以上集まっていた会なんですけど、そこで机を並べていたんです。100人委員会に集まって来るような方はご卒業されても、放っておいても何かやっているという、その代表的な人物です。 ことほどさように伏見エリアにも今日ご紹介した、伏見巨椋池の農のイベント仕掛け人たちというような人たちの他にも、どうやら聞いてみると、調べてみると、いっぱい元気な方がおられるようです。中村光宏さんのお知り合いにはまだまだ面白い人がおられますね。 |
中: | そうですね、いっぱいいます。 |
●「子育てホッとスペースぱおぱお」のこと |
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絹: | 例えばお手元の資料にある「ぱおぱお」なんかどうです? |
中: | 「ぱおぱお」の主催者である中川真由美さんは、うちの息子と中川さんとこのお嬢ちゃんとが同じ保育園で、うちの嫁さんと中川さんがお友達で、中川さんの御主人は「リラブ」という建設業のお仕事をされています。 |
投稿日:2019/07/22
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第146回 ・こどもとはたらくオトナリラボ~オトナリラボってどんな所?
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まちづくり“チョビット”推進室<令和元年5月放送分>
芳: | 芳野 尚子 氏(オトナリラボ 代表) |
絹: | 絹川 雅則 (公成建設株式会社) |
絹: | 皆様こんにちは。まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。 この番組は地元京都の建設屋の目から見た元気なまちづくりびとのご紹介や、その活動の最新のエピソードをお届けしております。いつものように番組のお相手は当まちづくりチョビット推進室、絹川がお送りいたします。 さて、本日ゲストのご紹介から入ります。今日はお一方、偶然出会った方です。オトナリラボ代表 芳野尚子さんです。 |
芳: | はい、よろしくお願いいたします。 |
絹: | カタカナでオトナリラボ、ラボですから研究室の代表ということですね。オトナリさんて何や?という話を今日はさせていただきます。タイトルが「こどもとはたらくオトナリラボ~オトナリラボってどんな所?」と題してお送りいたします。これだけでは「何のこっちゃ、わからへん」と、たぶんリスナーの皆さんは思っていらっしゃると思うんです。ちょっと今日はゲストの紹介にも手間取りますが、お付き合いください。 ある日、ある時、某時、たぶん2~3ヶ月前だったと思います。万寿寺通をトコトコと、河原町から烏丸の方に向かって歩いておりました。そうすると「ムム、怪しい、なんか面白そう」というトンネル路地がありました。そこで私はおもむろにスマートフォンのカメラを取り出して、カシャ。そこに書いてあったのが、オトナリラボ。「これ、なんや?」と思って、数カ月忘れておりました。そしたらつい最近の4月25日、知人に誘われて、新大宮広場&SILKオープンデーというところに行った時のことです(ここも面白い所なので、後々紹介します)。京都高度技術研究所(愛称ASTEM)の傘下にあります京都ソーシャルイノベーション研究所(SILK)とオトナリラボの芳野代表も関係があるんですね。 |
芳: | ちょっとおしゃべりをさせてもらったりとか、そこのスタッフの杉原さんが個人的にされている活動のデザインの面でお手伝いをさせてもらったりとかです。 |
絹: | そこで偶然、「あ、オトナリラボはこれやったんや」というので、忘れていた問題意識、「ここはなんかある!」と思ったところの代表が、お隣に立っていらっしゃった。これぞ「共時性」ですね。 |
芳: | たまたま、はい(笑)。 |
■エピソード1 見守り保育付きコワーキングスペースという場 |
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●オトナリラボは、こんなサービスを提供します | |
絹: | では、こどもとはたらくオトナリラボ、そもそもどんなんですか?スタートあたりから紐解いていただけますか。 |
芳: | オトナリラボは、見守り保育付きコワーキングスペースというふうに言っています。ワンフロアの中にキッズスペースがあって、そこでお子さんを見守り保育のスタッフがお世話をしたリ、一緒にあそんだりしている間に、お母さんはワークルームの方でお仕事なり、自分のやりたいこと、デスクワークでできることをする時間をサービスするということになります。 |
絹: | 今日、ちょっとだけ見せていただいたら、「1歳くらいの赤ちゃんがもう寝ちゃっているので、今は上がれないけど、起きたら」、ということでした。赤ちゃんが起きたので、二階に上がると扉には赤ちゃんがハイハイして落ちないような防護フェンスも装備してありますし、お母さんがちいさい椅子に座って、赤ちゃんにご飯をあげてらっしゃった。 |
芳: | ちょうどご飯の時間だったんです。 |
●いろいろ実験しながら始めました |
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絹: | 2017年の11月にモデル的に2組の親子さん、スタートはお身内だったんですよね。それを皮切りにコワーキングスペースの営業を始められたと。 |
芳: | 18年の1月からプレオープンという形で、社内だけではなく、一般の方に広く使ってもらえるようにスタートしました。 |
絹: | そのプレオープンの前で、最初色々実験しながら、お身内の方と始められた、その日々のエピソードがありましたら、紹介いただけますか。 |
芳: | 当時、1人はもう2歳になる頃で、やっぱり外で遊びたいとか、お母さんがいるんだったら、お母さんと遊びたいとなってしまうところを、保育園だと預けてしまって、泣いていても離れてというふうになるんですけど、ちょこちょこお母さんも関わりながら、場所に慣れながら、保育のスタッフと一緒に、慣れて、時間をかなりゆっくりかけて、子どもさんとの関係性をつくりながら仕事もするという、結構仕事優先で考えるとモタモタした感じにはなるんですけど、スタッフから後で感想を聞いたら、「そういう時間を過ごせたことがすごく楽しかったし、いいものでした」ということでした。 |
絹: | 実際にお身内の女性職員から「もたついたけど、それも大切なプロセスだ」という感想を得た。そこでじゃあ、プレオープンだと。広く一般の方、お身内以外の方も来てちょうだいというのを始められたんですね。それが2018年。 |
芳: | はい、2018年の1月から3か月間がプレオープンで、4月からが正式スタートという形にしました。正式スタートからはやっと1年経ったかなというところです。 |
絹: | その間、何組かたくさんお越しになりましたか。 |
●利用料金と登録料のこと | |
絹: | 利用料金についても少しご説明をお願いします。 |
芳: | 1時間800円、半日は3時間と考えて2000円、一日だと4000円になります。その条件で見守り保育とスペースを使う料金合わせてということになります。 |
絹: | 回数券があります。半日5回分で9500円です。 |
芳: | はい、少しだけお得です。入会金などはいただいてないのですが、使われる月に対して、登録料を一ヶ月500円という形でいただいております。今月使うけど来月は使わないという形にも対応できるよう、ばらして少しずついただいたりしています。 |
絹: | リスナーの皆さん、お聞きになってどうですか?実は私はちょっとびっくりしています。というのは、私の会社にも女性の職員はおります。今、2人、建築の技術屋さんで、1人は入職7年目、8年目だったかな、第2子を出産して、今、育児休業中です。で、その人が復職して下さる時に、保育園がうまく見つかったらいいなとか、今、上のお子さんが行っている保育園にそのまま行けるのかなとか、ちょっと会社側としても不安なんです。もう1人は女性の建築技術者第2号で、今5年目くらいで、結婚されています。よく頑張る人なんですけど、赤ちゃんが生まれた時に、やっぱり産休、育休に入って、でも戻ってきてほしいなと、彼女も周りの人がそう思うような人です。その時に、たまたまうちの近所にオトナリラボがあるやんと。で、保育園にあるいは幼稚園に行く時に、お母さまと子どもさんを離す場面がありますが、僕自身も幼稚園に入った時に、泣いたそうです(笑)。あのプロセスがありますよね。だからそのプロセスを緩やかに、保育園だけじゃなくて、こういうオトナリラボ的な、中間的な施設を利用されているお母さまもおられるんですね。 |
芳: | そうですね。今、現在、来ていただいている方などもそうですね。 |
■エピソード2 オトナリラボを立ち上げた背景として |
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●毎日保育園に預けるか、仕事を諦めるかの二者択一はおかしい… | |
絹: | オトナリラボの芳野尚子さんが、なぜこういうことをなさるようになったのかという、尚子さんなりの問題意識を、少し開陳いただけませんでしょうか。 |
芳: | 私自身は子どもがもう大きくなっているんですけど、実際に自分が復職する時は、一時保育を使いながら、実家に預けながら、子育てと仕事を半々みたいな形でスタートできて、それを周りの人たちに言うと、そんな事ができる人はそうそういないという状況で…。 |
絹: | そうですね。親御さんの支援が得られる方というのはラッキーな方ですよね。 |
芳: | そういう近くに実家があるなり、親の力が得られる状況にないと、復職の時に相当な苦労がある。かつ今は保育園が人気なので、一時保育のような預け方が自由にできない状況で、そうなると毎日の保育園に預けるか、仕事をすることを諦めて家で子育てするかという、どちらかしかない2択の状態だなということに気付きまして…。 |
絹: | おかしいやないのと。仕事を辞めて子育てに専念するか、バシッと保育園に預けて復職するか、その間ってないの?というのが、違和感だったんですね。 |
芳: | で、そういうことがそうそう可能じゃない。なんとかすればとか、運がよければでないとできないというのを、もっと色んな選択肢が可能になるような事があればと思って考えたのが、見守り保育付きコワーキングスペースで、こういう場所に預けると、保育園に預けなくても、一時保育が使えるのなら使いながら、お仕事もできるし、完全に仕事から離れる期間が短くて済むと考えたわけです。 |
絹: | どうですか?私はこういう考え方をするひとを、実は不勉強で存じ上げませんでした。私が万寿寺通を歩いていて、「なんかある!」と思った、その感覚は「ああ、これやったんか」というのがちょっとずつわかってまいりました。 あと5分弱になりましたが、最後のこの時間でイベント告知をすることで、さらにリスナーの皆さんに、オトナリラボとは何ぞやみたいなところを話して頂けませんでしょうか。 |
●子育て中のお母さんたちのマルシェです |
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芳: | 今度の5月26日に、先ほど絹川さんにもお話頂いた、新大宮広場という北区に新しい広場ができまして、そちらの方で”my turn’s MARKET”というマルシェのイベントがあります。 |
絹: | “my turn”というのは「私の順番よ」という意味だそうです。 |
芳: | “my turn”というグループがありまして、そのグループはこれまでお仕事をされてきたけれども、子育てで1回仕事から離れている方などが集まって、自分たちがこれから発揮したいものであったり、手作りのものなどを持ち寄って、マルシェにするというイベントになっています。 |
絹: | “my turn”さんというのは、20代後半から40代くらいまでの子育て世代の女性ばかりのメンバーで構成されています。元キャビンアテンダントチーム、バックオフィスチームが4~5名おられて、子供服のパタンナーさんとか、介護福祉士、アロマセラピスト、あとはオトナリラボの代表さんのようにデザイン系に強い人とか、色んなタレントを持った人が集まっているグループが関わっておられます。 |
芳: | はい、お母さんたちのチームということで。オトナリラボもちょっと関わらせてもらっていて、デザイナーの中に手作り工作とかが得意な者もいますので、そういうブースを出します。他にもアクセサリーだったり、飲食だったり、色んなブースが出るので、良かったら是非親子で楽しみに来てください。5月26日の日曜日です。 |
絹: | 新大宮広場で検索ください。フェイスブックページもあります。 リスナーの皆さん、お聞きになってどうでしたか?私はまちを歩いていて万寿寺通でオトナリラボのこのロゴに出会って、何かあると感じました。それはやっぱり私自身も会社の女性スタッフの復職に関して色々悩んでいたことがあったからです。悩んで探すと、こういう素敵な人たちに巡り合うことがあります。だから問題意識を持ってまちを歩くのは大事だなと思っています。京都には芳野尚子さんのように、ほっといてもこの京都が住みやすくなるような活動を、勝手にやっていらっしゃる方がごまんといらっしゃいます。そういう人たちを探し当てるのも、このまちづくりチョビット推進室の目的かなと思っています。 |
●オトナリラボで、是非検索を! |
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絹: | こういうオトナリラボさんのような活動にもし興味を持たれましたら、フェイスブック等で探して万寿寺富小路東入ルへお運びください。 この番組は心を建てる公成建設の協力と京都府地域力再生プロジェクト、我らが京都市景観・まちづくりセンターの応援でお送りいたしました。オトナリラボ代表の芳野尚子さん、今日はいきなりご招待して、よく出演していただきました。ありがとうございました。 |
芳: | ありがとうございました。是非オトナリラボで、親子で有意義な時間を過ごしていただけたらと思います。 |
絹: | 三軒長屋の真ん中です。隣にお母さまがいます。お母さまは手作りバッグを作っておられて、色んな方が集まれて多目的スペースでもあります。離乳食講座もやってまーす!検索をお願いします。 |
芳: | 色んな事をやっていますので、是非! |
投稿日:2019/05/09
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