公成建設株式会社は、建設業を通じて、豊かな国土づくりに邁進し、広く社会に貢献します。

まちづくりチョビット推進室
TOP > 2016年 > 5月

月別アーカイブ 2016年5月

第120回 ・「京都移住計画」ってご存じですか?Part2~移住を通したまちづくり~

ラジオを開く

まちづくり“チョビット”推進室<平成28年5月7日放送>

第113回(2015年9月26日放送)で放送いたしました「京都移住計画ってご存じですか?」の続編として、代表の田村 篤史氏をお招きし、京都への移住とまちづくりの関係についてお話しいただきました。

<出演者>
田: 田村 篤史氏(京都移住計画代表兼求人担当)
絹: 絹川雅則(公成建設株式会社)
藤: アシスタント 藤井 崇(公成建設株式会社 総務部)
20160426ちょびっと2
左から藤井、田村氏

************************************************************************

まちづくりチョビット推進室!
Give me thirty minutes,I will show you the frontline of “まちづくり” and “まちづくり” people in KYOTO.
************************************************************************
絹: 皆様こんにちは。まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。
この番組は地元京都の建設屋の目から見た元気なまちづくりびとの紹介や、その活動の最新のエピソードをお伝えしております。いつものように番組のお相手は当まちづくりチョビット推進室 絹川がお送りいたします。
さて、本日のゲストでありますが、少しかな、かなりかな、私よりもだいぶ若い方ですけれども、変わった方なんです。最近、私が注目して追っかけている方です。京都移住計画、京都に移り住むと書いて、京都移住計画代表の田村篤史さんです。田村さんよろしくお願いします。
田: よろしくお願いします。こんにちは。
絹: こんにちは。そしてサブのアシスタントでわが社から総務部の…。
藤: 公成建設総務部の藤井です。よろしくお願いします。
絹: はい、藤井課長を連れてきました。二人で田村篤史さんをこれから紐解いていけたらいいなと思っております。よろしくお願いします。
本日の番組タイトル、番組のテーマでございますが、「京都移住計画って、ご存じですか?Part2~移住を通したまちづくり~」と題してお送りいたします。さあ、どんな話になりますか。皆さん、ご期待下さい。
■第一章 京都移住計画って、何?
 ●京都移住計画の成り立ち
絹: それでは田村さん、エピソード1から行きます。
各方面で、行政だとか、まちづくりに関わる都市計画研究者だとか、京都府のある部署だとか、特に移住促進センターに関わられる方々は、田村さんたちのこと、京都移住計画のことを注目している人は多いと思われるのですが、一般のリスナーの方はまだご存じない方も多いかもしれません。ですので、そもそも京都移住計画って何?という成り立ちとか、概要から教えていただけませんでしょうか。
田: では、成り立ちの方からお話しさせていただければと思うんですが、2011年の5月に京都移住計画は誕生しました。実は私が東京にいる時につくったのですが、今みたいにしっかりしていなかったので、簡単に言うとサークルみたいな感じでしょうか。いつか京都にUターンしたいとか、移り住もうと思っている人たちが集えるようなコミュニティを東京で始めたのが、最初のきっかけになります。
 ●僕自身、出戻り組です
絹: はあ、元々は東京だったんですか。で、この間のお話では、2012年に田村さんは京都に戻ってきたんでしょ。
田: そうですね。Uターンしたのは2012年です。
絹: インパクトハブ”で田村さんと※江口晋太朗さんという方のトークセッションを聞いていたんですけど、田村さんも元々京都に戻りたいという思いをもっていたんでしたっけ。
田: そうですね。就職は東京だったんですけど、5年以内には戻ってくるつもりで、そもそも出て行きました。
絹: 就職って、さらっと言われたけれども、某リクルートとか、何か人材系のでっかいところにおられたような気がするんですが、間違いですか(笑)。
田: 某リクルートさんではなく(笑)、人材系のベンチャーですね。当時していたのは、企業と人を繋ぐということでして、今、僕がやっていることと、僕の中では近しいという感覚をもっています。地域と人を繋ぐという意味で。
※1984年生まれ
編集者、ジャーナリスト
メディア、ジャーナリズム、ソーシャルイノベーション、参加型市民社会などをテーマに企画プロデュース、執筆活動を行う。
 ●東京の引力
絹: そしてあの時に、シェアハウスの運営も経験したよとか、周りで東京にいる友達で、「いつか帰りたい」と言っている人は多いけれど、「いつか」と言っている限り、「いつか」は来ないんじゃないかとか、危機感とか、ちょっと心配になったよというお話をされましたよね。それほど東京って、引力が強い所なんだって。
田: そうですね。イベントでもよく「引力」という言葉を使わせていただいているんですが、やっぱり人・モノ・情報が集まってくるという意味で、働く人たちもそこに行った方がいいんじゃなかろうかみたいなことが、刷り込まれているわけじゃないけれども、潜在的に気持ちとしてあるというのは、やっぱり大きいのかなという風には思っていますね。
絹: 昔から東京へ行くべえみたいな…。
田: 一旗あげるみたいな感覚が、今もあるのかなと。地方に行っても、やぱり大都市圏で成功をすることが、1つのロールモデルと言うか、ステータスと思われているところは、多いのではないかとは思います。
絹: でも僕がなぜ、京都移住計画という言葉の響きに魅力を感じるのか、自分で考えてみますと、東京へ行くと、あんまり好きじゃないので(ごめんなさい、東京の方…、本当に政治の中心だし、文化の中心だし、ビジネスの中心でもあるかもしれませんが)、しんどいんです。新幹線に乗って、行って帰って来るだけで、何かすごく磨り減るような気がして、私が生物として弱いのかもしれませんが、あのすさまじい通勤だとかに耐えるというのが、ものすごく人間として大変という思い、これはたぶん田村さんと共通するのかなと。
田: そうですね。僕も当時一年目は東京のサラリーマンたるもの、そういうものだという意識があったので、満員電車のラッシュとかは気にはしなかったんですが、でも何か自分のなかで「そうなの?」という心の声みたいなのがあって、それが人間らしさを損なっているような営みでしかないなと思った時に、「みんな好きでそうしてないよね」という違和感が積もり積もっていたところはあるかなと思いますね。
 ●地元に帰りやすい社会にしたい
絹:  そういう意味で、まともな神経の持ち主と言うか、非常に自分の身体の感覚に正直な方なんだなと思いました。それであの時の話に戻りますが、「地元に帰りやすい社会に、俺はしたいんだ」と言ってましたよね。
田:  はい。当時、つくった時、そうなったらいいなというのは、思いとしてありました。
絹:  それで、京都移住計画という、まずはサークルから始められて、色んな情報を集めるのに、ご自身も帰りやすい、そういう状況を周りに作りこむには、どういう条件が揃うとUターン、田村さんの場合は京都に帰りやすいのかなということを、考え始めたんですって?
 ●「居・職・住」というキーワード
田:  はい。そうですね。で、その時に、これもやりながらですけど、じゃあ情報って、具体的にどんな情報なのと思った時に出てきたのが、面白い人、面白い仕事、それから面白いといったら変ですけど住まいと言うか、それを今、言葉を変えて居場所づくりの「居」という言葉と、職業の「職」と、住まいの「住」で「居・職・住」と呼んでいるんです。
絹:  リスナーの皆さん、「ここ、テストに出ます」じゃないですけど(笑)、我々が通常使う「衣・食・住」ということじゃなくて、京都移住計画の田村さんたちが使う「居(居場所の居)・職(職業、仕事)・住(住まう所)」という情報を、田村さん達は丁寧に拾い始めました。
田: たぶんそれぞれの情報を切りだしたものはあると思うんです。仕事情報だけとか、住まいであれば、不動産のサイトがあるとか。でもはたしてそれだけで移り住むということのイメージが具体的にできるかと言うと、たぶん暮らすという部分が抜け落ちているなというのが感覚としてあって、そこに行くとどんな人たちと関わりながら、日々暮らしていくのかとか、どういうコミュニティがあって、そこに関わりを持つのだろうといった情報の方が大事なのではないか。特に京都というのはそういうコミュニティがたくさんあるまちだと思うんです。それが見える方が引力になるのだろうなと思いました。
絹: 京都に帰った時に、居場所がはたしてあるのか、どんなコミュニティがあるのか、コミュニティが見えるようにしてあげたら帰りやすくなるのではないかというところの問題意識でしたね。
■第二章 京都移住茶論(きょうといじゅうさろん)のこと
 ●サロンを始めたきっかけ
絹: そこで面白いことをやっているんですよ、彼らは(笑)。そのための集まり、イベントというのが、確か“京都移住茶論(サロン)”というイベントを、何ヶ月に一回やっていたんでしたっけ。
田: 2ヶ月に一回くらいやっていまして、今まで25~6回くらいでしょうか。
絹: すでに25~6回。と言う事は2年以上?
田: はい、そうですね(笑)。
絹: さあ、ここでは何か起こるんでしょうか。
田: これ、元々やり出したきっかけみたいなものは、最初は本当に情報だけ発信していたんですが、結構無責任なことをしているなと思ったんです。「京都へおいでよ、おいでよ」と言うだけの情報で。もう既に移り住んでいる人たちはいるのに、その人たちが京都を面白がっているかとか、京都の暮らしぶりがどうかということを見ずに「おいでよ」と言うのは、ちょっと違うなと思ったので、まずは移り住んできた人は、何を求めて京都に来たのかということを聞いて行きたいという思いから、最初移住してきた人同士のコミュニティをつくろうということで、スタートしました。
絹: まずは移住済みの人の顔の見えるサークルみたいなものをつくったと。
田: そうですね。
絹: 最初から集まりました?
田: 最初は4人です(笑)。そこから増えていって、今は平均20~30人が来ていただけるようなイベントにはなっています。
 ●こんなメンバーで開いています
絹: 実は先月だったか、先々月だったか忘れてしまいましたが、私、取材におじゃましたんです。田村さんに申し込んだ時に、「私は移住希望者でもありません。移住を検討している者でもありません。京都に生まれ育って50数年生きていますけど、紛れ込んでもええか?」と聞いたら、「いいよ!」と答えてもらって、面白かったあ(笑)。移住を検討して、東京だとか色んな所から来られた人が、約半分?
田: そうですね。だいたい半分から3分の1くらいは…。
絹:  そして移住を済ませた先輩たちが3分の2?2分の1から3分の2くらいのところで、あと異分子として京都市の職員でそういうことに興味のあるまちづくりアドバイザーの天岡さんだっけ、それと京都の建設屋である私という2人が紛れ込んで、なんでかわかりませんが盛り上がりましたね。
田: ありがとうございます。楽しんでいただいて…。
 ●それぞれが住んでいる所自慢をします
絹: もうエピソード2に勝手に流れて入っていってますけど、あの時何が起こったんだっけなあ。
1つ記憶にあるのは、京都と言っても広うござんすと。上京区、中京区、下京区、あるいは長岡京と色んなエリア、亀岡に住んでいる人もいると。それぞれの住んでいるエリア自慢をして、移住希望者に対して、「うちにおいでよ」みたいな(笑)。「ここはこんなにいいとこがあるよ」、例えば「下京区はこんなに素敵な場所だよ」「亀岡、長岡京、向日はこんなエリアで、ここが好き!」みたいなことを言っていらして、それでなんかすごく盛り上がってましたよね。
田:  そうですね。移住を検討する人たちに対して、僕らが「こうだよ」というのが、伝えようがあるようでないなと思っていて、むしろそこにもう既に住まわれている方の生の声ほどリアルなものってないので、それが伝わればいいなと。ただ、「いざ住んでいる所自慢をして」と言っても、パッと出てこない人も多かったりするんですね。でもその問いがあって、自分の住んでいる所とか地域を改めて見直すという機会があって、その人たちがまちに関わる事とかを、ちょっと意識し始めてもらうと、より京都に根付くという意味で、住む意識みたいなものは育まれるのかなと思いますね。
絹: そもそも京都移住計画をどうして田村さんはつくられたのですか、それから移住計画が京都で2年以上に渡って2ヶ月に1回開催されているイベント、京都移住茶論って、どんなことが起こっているんですかという質問に対して、リスナーの皆さん、イメージをもっていただけましたでしょうか。私が不思議だなと思ったり、面白いなと思っている事の一端を今、田村さんに語っていただきましたが、ここでまた、エピソード1に少し戻るのかもしれませんが、京都移住計画のメンバー、どんな人たちがいるのというところをお願いします。
■第三章 京都移住計画の特性
●僕たち中心メンバーのこと
田:   一緒に活動している中心メンバーが、だいたい10名くらいおりまして、先ほどお伝えした「居・職・住」という3つのキーワードと、あとは情報発信とかそういう役割みたいなところで、それぞれ担当と言うか、得意分野を活かしながら、プロジェクトとして進めさせていただいているという感じになります。
絹: 実は田村さんをここにゲストとしてお呼びする数ヶ月前に、岸本千佳さんが来てくださっているんです。その時は京都市の都市計画局の嘱託職員として。その時に、何か変わった方だなと思っていたら、NHKのU29だっけ、フリーランスの不動産業をしている若い女性ということで、全国ネットで流れちゃって、「えっ!」とびっくりしたことがありましたけど、その岸本千佳さんもコアの一人ですね。
田:  そうですね。彼女がまさにその移住計画の中の、いわゆる「移住不動産」と勝手に呼んでいますけど、不動産と人を繋ぐというところで、関わりを持ってくれています。先ほどおっしゃっていただいた変わっているというのは、何かそこで雇用関係にあるわけではなくて、プロジェクトとして一緒に動くというような、そんな感じなんですね。
 ●住んだ、その先にある景色を発信する ― 住
絹: チームを組んで動いていらして、移住計画の方々が住まいということで発信される情報は、物件情報って普通ありがちな物件情報とちょっと違うんですよね。
田: そうですね。間取りがどうかとか、アクセスがどうかということよりも、そこに住むとどういう景色がその先に見えるんだろうとか、そこの暮らしが(住む人によって本当は変わるんですが)、僕らの主観的な目線として、こういう暮らしもありなんじゃないかという提案を含めたような記事が物件のサイトには載っているという感じですね。あとは改修しながら進めるような物件があったり…(笑)。
絹: 改修しながらというのは、セルフビルドで興味のある人はどんどん触って、好きなように料理していいよと。条件的にもそんなに高くないものが多いですね。
田: そうですね。本来、即入居じゃないので、やっぱり家賃的にはその分抑えたような物件もあったりします。
絹: そういう面白いというか、人肌を感じさせる不動産の情報にアクセスする人が結構おられるわけですよね。
田: ニッチではありますが、そういうことを求めてアクセスされるんだと思います。やはり改修しながら住みたいというニーズに応えられる不動産屋さんって、なかなかないですよね。そんなことをしても、めんどくさいので。
 ●企業のストーリーごと発信する ― 職
絹: それとともに、就職という、いわゆるリクナビだとかマイナビだとかの就職サイトとは違う、図らずも今、ニッチとおっしゃいましたが、非常にニッチな就職サイトでもあるわけですよね。
田: そうですね。「居・職・住」の職の部分がまさにそれを担っているわけですけれど。
絹: ちょっと職業のところの概要をちらっと開陳していただけますでしょうか。
田: ウェブサイトの中で求人のページがありまして、京都の中の京都らしい企業、事業の内容、仕事のこだわりとか、そういったストーリーをきちんと追いかけながら、結構骨太な記事なんですが、取材をさせていただいて、発信するというところで、「そういう企業って、いいな」と思ってもらった人と企業を繋ぐという接点づくりをさせていただいているという感じですね。
絹: 何年か前、始めにその話を聞いた時には、実は全然わからなかったんです。「田村さん、何を言っているんだ」と。ところが北区にフラットエージェンシーさんという、非常に先進的な不動産業を営んでいらっしゃる会社があって、その吉田光一会長は、先ごろ御子息に社長業を譲られましたけれども、そこの就職プロセス、人材獲得というのが、京都移住計画さんのサイトを通じて複数名、若い人が入っていらっしゃるそうです。私自身がそのフラットエージェンシーさんがなさっている事を非常に尊敬して注目しておりますので、そのエピソードが若い人に伝わったとしたら、これはうれしいなと。こういう人材獲得の、まさにニッチだけど、面白いやり方があるんだなというのがやっとわかってきたんです。
 ●「会社の人となり」がわかるようなページにしたい
田: ちょっと補足的な話で言うと、フラットさんの会長から御子息に経営をバトンタッチされた際に、我々の記事の社長のインタビューの部分を息子さんに更新するという流れがあったんですけど(まだちょっと僕らがやりたい形になってはいないのですが)、できれば会長の記事も残しながら、息子さんの記事も残すみたいな形にして、その会社の歴史がずっと残り続けるような、そんな記事になっていけばと考えているんです。会長に会ったことがないけれどもという未来の社員が見た時に、その「会社の人となり」がわかるような、そんなページに育っていくといいなということを、最近ちょっと思っています。
絹: ですから京都移住計画のサイトにアクセスするような方は、就職の例えば休みが何日で、初任給がいくらでとか、仕事の内容ももちろん大切ですが、そういう情報よりも、この会社はどういう性格で、どういう上司やどういう先輩がいて、何を生きがいややりがいにしてというエピソード、物語を感じ取ろうという人が多いのかもしれませんね。
田: なるべくそれが出るような取材は心がけております。
絹: どうです?リスナーの皆さん、この辺ユニークだと思われませんか。今、職というところ、それから住というところ、さらに居場所の居と、居・職・住という三つの切り口から、京都移住計画のチーム10名とおっしゃっていましたが、目指そうしているところの一端を切り取ってみました。面白いと私は思っています。
田: ありがとうございます(笑)。
 ●人と企業を繋ぐ、イメージをつくりだす
絹: ここから先は私の妄想レベルで、実現する、しないは別なんですが、私は京都の地元で建設業を営んでおります。ご存じのように建設業というのは、現場一品生産の職種で、お天気にも左右されます。今のところ休みも多くないし、かつては3K「きつい、汚い、危険」と言われた代表選手でありました。それはだいぶ変わってきているんですが、なかなか若い大学生、高校生はわが職種にアクセスしてくださいません。さあ、これをどう打開するか。東京へ、例えば京都の建設屋たちが大挙して行って(笑)、「京都移住サロン」と言って、おっさんらが座っていて店開きしたら、おもろいかなあ、どう思われます(笑)?
田: だいぶインパクトはあると思います。就職希望の人を集めるというところかどうか、今即答はできないんですが、インパクトはあると…。
絹: どうですかね、建設業界でなくてもいいんです。でも本当に色んなまじめにと言うか、面白く地道にやっている中小企業の内容にアクセスできて、「こいつらとなら、働いていいかな」と思えて、そういう人たちが募集に応じてくれるルートが、首都圏、関東圏から京都に開かれることを、何か夢見てしまいますね。
田: どうしてもイメージが先行すると、アクセスしない人が多いなと思うので、そのイメージをどう払拭するかというところで、何か御一緒できる部分があればいいなと思います。
絹: そろそろまとめの時間になりました。何か僕ばかりしゃべっているような気がしますが、アシスタントで来てくれた総務の藤井課長、何か聞きたいこととか、感じたこととかある?
藤: 移住と言うと、昔は田舎に行くとか、そういうイメージがあったんですが、割と都会に行くというか、最近はポジティブなイメージが増えているなというところで、そういうイメージづくりと言うか、京都移住計画もそれの1つなのかなと思いますね。
 ●全国に広がる移住計画
絹: そして京都移住計画だけじゃなくて、例えば佐賀の移住計画とか、かつては6地域に移住計画があったけれども…。
田: 去年の今頃が6地域でした。
絹: 今は15地域に増えていると。しかも全国で同時多発的に動きがあるよと教えてもらいました。九州の連中は「九州変人会議」とか言っているらしい(笑)。これも面白そうやなあ。
田: やっぱり人が引力になるっているのは、大きいと思います。
絹: 「京都変人会議」というのも、十分つくれそうな気がするけど(笑)。
田: 本当にそうですね。京都は面白い人が、たくさんいるので、それこそ絹川さんのラジオに出ているようなユニークな方々を総動員して、やってみるというのも面白い。
絹: 田村さん自身もユニークな人の1人だって、理解しています?
田: (笑)
絹: 東京から京都へ来て、京都のまちのために汗をかいてやろうぜというような若い人、特に30代が結構京都を注目していて、移住したいという流れがあるそうです。そして聞いてみますと、なんと女性比率が65%?
田: はい、女性の方がちょっと多いですね。
絹: 京都の独身者よ、期待できるぜということかもしれません。リスナーの皆さん、冗談めかして言いましたが、是非、京都移住計画、田村さんたち10名の若者たち(30代かな)に、御注目下さい。そしてできれば応援を。「京都移住茶論」というキーワードで検索いただければ、アクセスできると思います。
さあ、そろそろ終わりです。この番組は、心を建てる公成建設の協力と、京都市景観・まちづくりセンターの応援でお送りしました。田村さん、ありがとうございました。
田: ありがとうございました。
投稿日:2016/05/07
PAGE TOP