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まちづくりチョビット推進室
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第119回 ・「シェアと掃除は、地方移住者が生き抜くための知恵~金なし・コネなし・仕事なしの京都移住」

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まちづくり“チョビット”推進室<平成28年4月16日放送>

町家シェアハウス「お結び庵」の“掃除人”である大森氏をお招きし、京都のシェアハウスの特異点「お結び庵」の運営や、京都に移住後の掃除や片付けを通したつながりについてお話しいただきました。

<出演者>

大:

大森雄貴氏(お結び庵 管理人)

絹:

絹川雅則(公成建設株式会社)

ohmori

 絹川と大森雄貴氏(右側)

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まちづくりチョビット推進室!

Give me thirty minutes,I will show you the frontline of “まちづくり” and “まちづくり” people in KYOTO.

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絹: 皆様こんにちは。まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。
この番組は地元京都の建設屋の目から見た元気なまちづくりびとの紹介や、その活動の最新のエピソードをご紹介しております。いつものように番組のお相手は当まちづくりチョビット推進室 絹川がお送りいたします。
 

■今日のゲストは、とってもお若いです

絹: そして今日のゲストは、非常にお若い方、確かまだ20代、私からしたら息子のような年代の方をお招きしております。
大森雄貴さんです。よろしくお願いします。
大:  よろしくお願いします。
絹: さてさて、大森雄貴さん、初対面からあまり日が経っていないですけど、初めて烏丸鞍馬口付近にあります、能舞台がある大きなお屋敷と言いますか、虚白院?
大: はい、虚白院です。
絹: 皆さま、“Impact Hub Kyoto”という変わった空間をご存知でしょうか。
そちらで初めてお会いしました。大森雄貴さん、どう言ったらいいんでしょう・・・
納豆のように糸をひくと言いますか、またお話が聞きたくて、呼んじゃいました。
大:  ありがとうございます(笑)。
 

■第一章 お掃除人 そもそもの始まり
 ●摩訶不思議な大森さん・・・

絹: それではゲストの紹介、私が少しだけ紹介をさせていただきます。頂いた資料から です。
町家シェアハウス『お結び庵』の掃除人をしていらっしゃる大森雄貴さん。
ご出身は忍者の里、三重県伊賀市生まれ、関西大学を病気のために中退されて、それから心理カウンセラーとして独立の後、大阪で対話の場づくり集団の設立に携わられたというプロフィールをいただきました。
先ほど教えていただいたんですが、その場づくり集団って、『1000人ワールドカフェ@関西』って、言うんですって?
大: はい、『1000人ワールドカフェ@関西』という名前で、2013年の4月から、だいたい僕が関わっていたのは1年間になるんですけど、年間の場づくりの数は50回ほどで、延べ人数は1000人くらいを動員といった活動もさせていただいていました。
絹: ワールドカフェと言っても、わかる人にはわかるし、わからない人にはわからないけれども、私自身はワールドカフェに参加するのが大好きです。
そして「場づくりを行う傍ら、人材系ベンチャー、研修会社を経験した後、京都へ移住。
そして町家シェアハウス『お結び庵』の掃除人となる」と、また変わった経歴ですね。
大: そうですね(笑)。
絹: そして先ほどの、京都に移住された後は、
「“Impact Hub Kyoto”の事務局として、インターンシップ生の受け入れ、Impact Hub Kyoto会員が実施するイベントの運営に従事。
心と身体、両面から快適だと感じられる空間づくりを公私共に行いながら、現在では掃除教育のコンテンツ開発を行う」(笑)。
大: まだまだ途中なんですけど、そうですね(笑)。
自分の趣味が高じたことですけど、何か形にできればいいなとは思っています。
絹:  摩訶不思議な大森雄貴さんではあります。
 

 ●京都移住ということ

絹: さて、ゲストの紹介はここまでにして、追々大森さんを紐解いていきたいと思います。
そして皆様、本日のタイトルですけれども、「シェアと掃除は地方移住者が生き抜くための知恵~金なし・コネなし・仕事なしの京都移住」という感じで参りたいと思います。
移住者としての大森さんに、1つ興味があるんです。
というのは、最近ここにゲストに来てくださった方の中には、京都移住計画という8人組みの若い人がいて、そういう人のお話を聞いていると、「関東圏、首都圏には、結構京都に移住したい層が、京都の人が思うよりもたくさんいますよ」ということを教えてもらいました。
それはだいたい30代くらいで、10年プラスマイナスアルファくらいの、職業体験を持ちながら移住ということを考え始めている人たち。
で、結構女性比率が高いんですっていう・・・。
大: ほう、女性が多いんですね。
絹: 6~7割は女性だと聞きました。
はからずも大森さんが「金なし・コネなし・仕事なしの京都移住」ということで、その「京都移住」というところに何か引っ張られるものがありまして、聞いてみたいなと。
大森さんは、京都に来られる前は大阪におられたと。
大: そうですね。大阪の本町という、本当に大阪のビル街、中心街だったんですけど、そこで住んでいましたね。
 

 ●お結び庵って、どんなところ?

絹: そして京都の移住して来られた先が、先ほどの町家シェアハウスのお結び庵。
これも知る人ぞ知る、非常に濃いシェアハウスで、最近でこそシェアハウスという言葉が市民権を得て、一般的になってきたかもしれませんが、大森さんが初めてこられた頃、まだまだ珍しかったんじゃないでしょうか。そうでもない?
大: そうですね。

そのお結び庵そのものは、京都で一番初めくらいにシェアハウスとか、あるいは住み開き(自分の部屋を一般的に開放して、「誰でも来ていいよ」というような活動)を京都でも一番初めに始めておられた方が、ずっと続けておられたと言うか、その流れがあったシェアハウスという感じですね。

絹: シェアハウス、シェアハウスと言っても広うござんすという感じで、シェアハウスの中でも特異点だったかもしれないですね。
大: そうかもしれないですね。確かに。
絹: リスナーの皆さんのために、シェアハウスお結び庵の一面を、ある日のお結び庵、例えば「こんなことが起こっているよ」というのを紹介していただけますか。
大: はい。今、お結び庵というシェアハウスは、僕も含めて男女6人で共同生活を送っているところです。
絹: あ、今も現役の住人?あ、そうだよね。お掃除人だものね。
大: そうなんですよ、はい(笑)。

普段は1人ひとりに自分専用の部屋が当てられているんですけど、たまに、月に1回くらい住人会議というのを持たせていただいています。
会議と言うと堅苦しいかもしれませんが、住人同士の交流を高めながら、特に「最近こんなことがあったよ」とか、シェアハウスの運営そのもの(例えば家賃の見直しとか)の話し合いを持てる機会を月に1回ご用意させていただいています。
これはもう住人同士が、昔からずっと続けてきた流れを、僕も受け継いでそれを続けているような形ですね。

絹: というと町家シェアハウスお結び庵は、歴史的には古いんですか。
大:   そうですね。
 

 ●お結び庵のルーツ

大: お結び庵という名前に変わったのは、今から数えておよそ4~5年前なんですけど、もともと西海岸という名前の、マンションの一室を開放したコミュニティがあったんです。
その西海岸は学生のコミュニティだったんですけど、その学生コミュニティをつくったメンバーたちが、西海岸というところからお結び庵というところに場所を移しまして、そしてそこから4~5年くらいの流れを経て、今の場所、今のお結び庵という形に落ち着いているんです。
絹: 初代と言うか、お結び庵になる前の前身は西海岸というマンションの一室だったと。
そこを住み開いていた人物、コアなメンバー、イコール嘉村賢州さん・・・。
大: そうですね。これも京都では知る人ぞ知る人かもしれないですね。 
絹: この番組のゲストでだいぶ前に出ていただいたこともありますが、リスナーの皆さんには京都市の総合企画局が事務局になって、7年前に始めた京都市未来まちづくり100人委員会というのを、御存知の方がおられるかもしれません。
第5期の修了式がこの間終わりまして、7年の活動に幕を閉じたのですが、ちょっとここでそちらに脱線してもいいかな?
大: もちろんです! 
 

 ●京都市未来まちづくり100人委員会のこと、そして嘉村賢州さんのこと

絹: 京都市未来まちづくり100人委員会第4期は、住民基本台帳から7000人の人を無作為抽出して、100人委員会に参加しませんかと呼びかけました。
「京都をこうしたい」「自分なら京都にこう貢献できる」とか、なんとか暮らしやすい京都にしたいねという思いのある人100人~110人くらい集めて、毎月、それこそ先ほどのお結び庵の住人会議みたいなことを続けている人たちだったんです。
それの第1期から第3期に嘉村賢州さんが事務局のトップとしておられたということがありました。
嘉村さんからその辺を・・・お結び庵、住み開き、西海岸についてお聞きしたことがあって、ああ、若い人は変わったことをするなと、通算何千人かの人が西海岸を訪れるというか、何かそういうのは学生時代から始めてらした・・・というエピソードを思い出しました。
大: そうなんですよ。まだ彼が京都大学の学生の頃から始めた活動ですね。 
絹: 嘉村賢州さんが始めたところに、現役の住人として、お掃除人としているわけですね。
さあ、「金なし、コネなし、仕事なしの京都移住」の切り札として、お掃除が大森さんにはあるんですが、どうやってそのお掃除でいろんなところに出入りをするようになったのかというのを、代表的なエピソードがあったら教えていただきたいんですが。
 

 ●自分の掃除好きに気が付いて・・・

大: 代表的なエピソードですか・・・。
そうですねえ、まず自分が掃除が好きなんだなと、シェアハウスお結び庵に引っ越してきた時に、初めて気付いたんです。
というのも、元々僕の母親が掃除好きだったんですけど、ただ掃除というのはプライベートなことというか、あまり一般的に「私、掃除が好きなんですよ」なんて言うことじゃないじゃないですか。
ただ、シェアハウスという他人の目も入るような環境で、掃除をやっていると、「あれ、大森君、すごい掃除をしてくれるね」と注目されたり、あるいは「ありがとう、助かったよ」と声を掛けられることが増えたんです。
「あ、これはもしかしたら何か切り札になるんじゃないか」と思い始めたのが最初でしたね。
絹: 6人のシェアハウスでしょ?
だから個室に閉じこもるだけじゃなくて、共用空間、共用リビングみたいな空間もあって、お話を聞くと、掃除が苦手で、整理整頓できない人が色んなものをとっちらかしたりすると、大森さんが期限を切って「知らないよ、片付けちゃうよ」とやっちゃうそうですね。
大:  いや、これは西海岸の時代からずっと続いていたことなんです。
僕がお結び庵に入る前から、ある程度散らかってきたら、期限を切って、ドサッと片付けてしまうというのは、ある意味伝統として行われていたのかもしれないですね。 
絹: 実は私はシェアハウス経験がない、シェアルーム経験がないんですが、最近の若い人はそういうことが当たり前にできる人たちがある一定数はいるのかな?
このことが面白いなと思ったんですが、それとともにそういう住まい方、あるいは先ほど住み開くという言葉を教えていただきましたけれども、自分の家の中に閉じないで、こもってしまわないで、自分のうちの玄関を御近所に住み開いていく。
なんかそういうことが京都を、暮らしやすい、生きやすい都市にするのではないかなという仮説を持っていまして、既に住み開いていらっしゃる方々を訪ね歩いたりしていた時期があるんです。
 

 ●少しずつお掃除に出向くようになって

絹: さらにシェアハウスお掃除人たる大森雄貴さんは、自分のシェアハウスをお掃除するだけには留まらず、外へ掃除を開いていくというか、進出していかれているそうですね。それは依頼が来るんですか?
大:  いえ、もともとは自分が掃除したいからしようというのが、きっかけでした。
というのも、絹川さんに御紹介いただいた「金なし・コネなし・仕事なし」という状態でしたので、やはり京都に移住してきて暮らすためにはどうすればいいんだろうとなった時に、やっぱり自分はこんな形で人のお役に立てるんですよというのを、示していく必要があるのかなと感じたんです。
シェアハウスの掃除、リビングからお風呂から洗面台から、色々掃除していくなかで、「ありがとう」というような言葉を頂けるということがわかって、「これはもしかしたら、他のところでもお役に立てるんじゃないかな」と思ったのがきっかけです。
そしてまた嘉村賢州さんがいらっしゃったNPOの事務所(上京区の518桃李庵(ごいちや・とうりあん)という町家を改装した事務所)にも、まずはやっぱりご縁のあったところに「これから京都でよろしくお願いします」ということで・・・。
本当にちょっとずつご縁のあったところに出向いてはお掃除をしていくという、ただのボランティアがきっかけでした。
絹: ある意味、押しかけボランティアみたいなことをやっているうちに、なんかお掃除人の変なヤツがいるという評判が少しずつ立っていったんでしょうね。
大:  そうですね。「あれ、なんかきれいになってるね」「彼が来たんだよ」みたいな(笑)。 
絹: 「例のお掃除人、頼めないかな」みたいな声が掛かり出した?
大:  そうですね。ちょっとずつ声が掛かり始めて、それがきっかけで京都の烏丸口にある“Impact Hub Kyoto”というところにもご縁があって、徐々にお仕事にも関わり始めたという感じでした。 
絹: リスナーの皆さん、こういう変わった人なんです。
大:  変わった人らしいです(笑)。 
 

■第二章 今時の若いモンは・・・おもろいやん!
 ●お掃除の、次のステップ

絹: でもね、不思議に憎めないと言うか、そうやって色んなところから声がかかって、たぶん困りごとの相談なんかも、彼には入ってくるんじゃないかなとなんとなく思います。
と言いますのは、彼のフェイスブックページなんかで、透けて見えてくるのは、大きなハープ・・・。
後片付けで、お父様か、親戚のおばあちゃんかが残された大きなハープを、「ただ処分するのでは心苦しいから、誰か使ってくださる方のところに届けて」というような、非常に難しい仕事も最近こなしたんですよね
大: そうですね。あのお片付け依頼でまた1つ自分の限界を超えたような気がしました。
絹: お掃除というきっかけから、何か人と人を繋ぐというか、人とモノを繋ぐというところも、手にし始められたような・・・。
大:  そうですね、確かに。やっぱりお掃除をしていくなかで、見えてくるのが、普段自分は使わないけれども、もしかしたら別の誰かのところに渡ったら役立つんじゃないかというものが、余ってきたり、あるいは片付けていくなかで、出てきたりとかというようなことがあると思うんです。
それをそのままゴミとして処分してしまうのはもったいないなあとか、やっぱり思い出のあるものだったら大事にしていただきたいなというところで、今の時代SNSもあったりするので、それで呼びかけて繋いでいくことができたら、その結果、ちょこっとずつ繋げいくことができているのかなという気がしています。 
 

 ●京都の空き家問題の、1つのヒントとして

絹: 京都市の都市計画局の人たちとお話をした時に、京都には空き家が14万戸以上ありますと。これをどうやって活用したり、蘇らせたりするのって、大問題だよね、どうしたらいいのかなという話で、色々知恵を出して頑張っておられる方がおられますけれども、ある意味、大森雄貴さんたち、たちなのかな?まだ1人なのかな?
大: まだ1人です(笑)。
絹: そういう空いているところ、ゴミになっているのを処分したり、お掃除したりする人が仲立ちになってくれてこそ、そういう十何万戸もあるようなところが蘇るのかもしれないなと、ふと思ったりしますね。
大: そうですね、確かに。
 

 ●シェアという人間関係

大: 住み開きの話もあったと思うんですけど、もともと昭和の時代(僕は平成生まれなんですけど)、やっぱり日常的な御近所づきあいとか、放課後帰ってきた子どもたちが一緒になって遊ぶとかいった風景が、まだざらにあったんじゃないかなと思うんですけど、もしかしたら今のシェアハウスというのは、その時代が再び戻ってきているのではないかなと思ったりするところがあります。
他人の目が当たり前に届いていたような人間関係や信頼関係が、もしかしたら今はシェアハウスという形で現れているのかなと思ったり。
絹: シェアと掃除、私より大分と若い年代の方の行動様式のなかに、シェアというものが当たり前に根付いているという気付きがあるんですけど、それは間違っていますかね?
大: シェアというのは広がりつつあるのではないかなと思います。

それこそ今ではSNSなんて当たり前かもしれませんが、要は自分のプライベートなことをどんどん世界中で見られる形で発信しているわけじゃないですか。
こんなことは昔はできなくて、新聞記者さんとか、テレビ番組さん、ラジオさんもそうかもしれないですけど、そういった放送局の専売特許だったはずですけど、それがいまやあっちこっち誰もが発信できる、どんどんシェアは広がっているのかなと感じますね。

絹: 色んな性質のシェア、分け分けするというのが、住まいもそうですし、知恵もそうかもしれないし、モノもそうかもしれないし・・・

大森雄貴さんのお知り合いでImpact Hubにおられた石黒さんでしたか、その方も面白いことをおっしゃっていました。
「御近所晩ごはんというイベントをやっているんです」とおっしゃるので、「なんですか?」と聞いてみると「近所の知り合いのお家に行って、ご飯を作って一緒に食べるんです」と。
ご自身の実家は、1人暮らしの親御さんがおられるけれど遠いので、「その分近所の高齢者のところで、御近所晩ごはんと称して一緒にご飯を食べたりすることが、この頃楽しくって」と。
ええ、不思議だな、でも面白い。
そして同じシェアでもタイムシェアという考え方が、この頃あるのかな。
タイムシェアカフェが、私の知る限り、京都に3つはある。「魔法にかかったロバ」「リバーサイドカフェ」それから「ソーシャルキッチン」。

大:  ああ、ありますね。確かに。
絹: Impact Hubの近所ですよね。
大:  今日もご飯を食べてきました(笑)。 
絹: この現象は何なんだ。
住み開き、シェア、若い人たちの動き、なんか連動している、不思議・・・。
なんかこの人たちの数が増えていくと、空き家がなんとかなるかもしれないという、なんか予感がしてしかたがありません。
どう思われますか。
 

 ●キーになるのは当たり前の人間関係

大: 空き家や、御近所晩ごはんや、お掃除もそうなんですけど、人を家に入れるって、結構抵抗のある方もいらっしゃったりすると思うんです。
そうなった時に、何が必要になってくるか考えた時に、やはり当たり前の人間関係なのかなと思ったりしますね。
例えば毎朝顔を合わせるのなら「おはようございます」と挨拶を交わすであるとか、本当にそういった基本的な人間関係を紡いでいくところから、徐々にお互いに預けあえる、お掃除を預けあったり、あるいは晩ごはん、好きに冷蔵庫を使ってくれていいよというようなことも、ちょこっとずつ言い合えるような、そんな関係をつくっていくことが、何より必要なのではないかと思ったりします。
ただ、「これ必要だからやるよ」と言ったところで、もうそれは押し付けになってしまいますので、そこはお互いのバランスが大事なのかなと思ったりします。
 

 ●最近の若いヤツの、大いなる可能性

絹: リスナーの皆さんにもお聞きしたいんですけど、僕らの若い世代である時期、「新人類」だとか「宇宙人」だとか言って、若い人のことを理解できないと。「今度入ってきた新入生、わかんねえ」とか言っていた時代がありました。
古代から「今時の若い者は・・・」という言葉がパピルスにも書かれていたと聞きますけど、最近は実はそうでもないのかもしれないと思っていて、「最近の若いヤツらはすごい」ということを言っている人がちょこちょこいるんです。
なんか自然発生的に助け合ったり、住み開いたり、シェアしたり、それから安全な食べ物を一緒に作ったりとか、耕作放棄地に入っていったりとか、探していけば若い人で面白い動き、素敵な動きをしている人がいっぱいいらっしゃるなと。で、その中のお掃除というのを介して動き始めているのが大森さんかなと思っているんです。
大:  ああ、ありがとうございます。 
絹: なかなかちゃんと言語化できないけれども、なんとなく面白い、面白いだけじゃなくて、何か期待ができると思います。
リスナーの皆さん、いつにもまして、まとまりのないチョッビット推進室になってしまいましたが、もし興味があれば、大森雄貴さん、アクセスしてみてください。
大: はい、大森雄貴、あと町家シェアハウスお結び庵でも、フェイスブック、ツイッターもやっておりますので、是非そちらもご覧下さい!
絹: そして4月からは、ちょっとカタイ仕事の場も得ると。京都府の職員になっちゃう?
大: はい。なっちゃいます。
京都府庁のNPOパートナーシップセンターというところに、4月1日から就任することになりました。
絹: はい、府民力推進課協働コーディネーターですね。
あそこも面白い人が集まっている場所ですね。
大: そうかもしれないですね。
絹: 皆さん、こういう若い方が20代、30代くらいで京都にはおそらくたくさん動いていらっしゃいます。
是非是非そういう方々の存在に気がついていただきたいと思いますし、タイムシェアカフェだとか、コミュニティレストランだとか、居場所だとか、場づくりだとか、そういうことに関わっている人たち、注目していただければと思います。
我々、年上の者が抱えている問題をひょっとしたら打開してくれるヒントを、意識せずに既に動いている若者が回りにおられるのではないかと思います。
さあ、大森さん、時間になりました。ありがとうございました。
大: ありがとうございました。
絹: この番組は、心を建てる公成建設の協力と、京都市景観・まちづくりセンターの応援でお送りしました。

 

投稿日:2016/04/11
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