公成建設株式会社は、建設業を通じて、豊かな国土づくりに邁進し、広く社会に貢献します。

まちづくりチョビット推進室
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月別アーカイブ 2022年4月

第176回 ・どうして国政へ?~吉井あきらさんの思いとは…

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吉: 吉井 あきら 氏(京都府参議院選挙区支部長・京都市会議員)
絹: 絹川 雅則(公成建設株式会社)
         (吉井 あきら 氏)
YouTube動画URL:https://youtu.be/nOHYq6uE5lI

 

絹: 皆様こんにちは。まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。
この番組は地元京都の建設屋の目から見た元気なまちづくりびとのご紹介や、その活動の最新のエピソードをお話しております。いつものように番組のお相手は当まちづくりチョビット推進室 絹川がお送りいたします。
さて、本日のゲスト紹介です。我がチョビット推進室としては、初めてのジャンルのゲストのご登場です。現、京都市会議員。要は、議員さんですわ。京都市の市会議員で、吉井あきらさんという男前の先生がいはります。何故か「吉井あきらさんにお話を聞いてみよう!」と思い立ちまして。心臓強お、今日は呼んでしまいました。では、吉井あきらさんです。お声をひとつどうぞ。
吉: はい。皆様こんにちは。吉井あきらでございます。今日はちょっと緊張しています。よろしくお願いします。
絹: でも吉井さんは「前にもこのスタジオで別の番組出たことあるよ」と言うてはります(笑)
吉: そうですね(笑)
絹: よろしくお願いします。
吉: よろしくお願いします。
絹: それでは吉井さんのプロフィール、資料に基づきちょっとだけご紹介いたしますね。お生まれになったのは、昭和42年。僕は昭和33年ですから、ちょっと僕の方が上です。山科区でお生まれになって、山科幼稚園。どこかで聞いたことがある幼稚園です。
吉: あ!ありがとうございます。
絹: え、うちが建てた幼稚園!
吉: ええ!そうなんですか(笑)
絹: 西念寺さんですよね。白旗先生ですか。そして山科幼稚園から山科小学校へ。安祥寺中学校時代には野球に励み、中学卒業後、父親が働かれるゴルフ練習場にてゴルフに打ち込む。さっきお話してた、洛東産業さんの大野木先輩のところでやってはった。
吉: はい、やってました。大変お世話になりました。今でもお世話になっています。
絹: 高校時代には、日本ジュニアゴルフ選手権に出場された。洛南高校。今、洛南高校ってごっつ難しい高校になったんちゃいましたっけ。
吉: はい、今はね。私の時はそないに……(笑)頑張ってくれてます。
絹: 洛南高校をご卒業後、京都産業大学経営学部に進学。ゴルフ部主将として、プロゴルファーを目指してはった。そりゃあええ体してはりますもん!
吉: ありがとうございます。親に感謝です。
絹: ゴルフ練習場で、アシスタントプロ活動。その後、ティーチングプロライセンスを取得。というようなプロフィールです。その後、政治家さんとしての続きを読みますと、平成13年は京都府第二選挙区支部長の山本直彦氏の秘書として、政治の世界にお入りになった。そして、平成17年衆議院の総選挙で山本朋広衆議院議員の当選後、公設第一秘書として活動を続けられ、平成19年統一地方選挙にて、山科区選挙区より京都市の市会議員に当選なさって以来、連続四期当選を続けてらっしゃるという方です。お母様、奥様、ご子息3人の6人家族。趣味はゴルフ。当たり前ですよね。ライセンス持ってはるんだもん。それからサッカーもお好きです。わあ、羨ましいな。身長185センチ、体重85キロ。私95キロです。
吉: 体重は、今はかなり増加しています(笑)
絹: 増加していますか(笑)これにて、プロフィールのご紹介を一旦閉じさせていただきます。番組のタイトルとテーマを今日、リスナーのみなさん、どうしようかなあと迷ったんですけど、勇気を振り絞ったタイトルにいたします。聞いてください。番組タイトルを申し上げます。「どうして国政へ?~吉井あきらさんの思いとは…」と題してお送りいたします。ちょっと変えようかな。「どうして国政に行かれるんですか?どういう思いですか?」それだけ聞きたくて、今日お呼びしたようなもんでございます。ということで、まずエピソード1から入らせていただきます。
 

■エピソード1 我が国の歴史と伝統を胸に自分たちの国は自分たちで守る

絹: 質問の一発目、第一問でございます。手元資料の中で、あるいはホームページでうたってらっしゃる吉井あきらさんの理念の中に「ああ、いいな」と思うものがあったんです。『我が国の歴史と伝統を胸に自分たちの国は自分たちで守る』というのを、黒々と太字でまず入れてくれてはるんですよ。これわたし、すごく嬉しくって。まず、ここから口火を切っていただけないでしょうか。以前だったらね、選挙の時にこういう国防とかこんなことを言うと、票を減らしたりして。政治家さんは避けて通ってはった話題で、日本のことが大好きな人たちや、日本っていい国やな、という人たちからは、なんやそういう行動パターン取らざるを得ないのはのは分かるけど、ちょっと残念やなって思ってたおじさんおばさんがいたんちゃうかなーって思ってまして。このへん、吉井あきらさんの言葉で語り始めていただけたら嬉しいです。
吉: ありがとうございます。『自分たちの国は自分たちで守る』というここの部分、まさにロシアがウクライナに侵攻する前から書いていました。今ね、ロシアがウクライナ侵攻ということで、本当にテレビの映像で多くの方が被害に遭われて、また子どもたちが被害にあってるのを見て、本当に胸が痛むんです。ただ一方で、祖国を守るために戦っている兵士たちもいると。国を守る、祖国を守るということの意味を本当に考えさせられますし、本当に改めて国を守ることっていうのは、今こそ真剣に考えていかなければならないという風に思っています。
絹: リスナーの皆さん、こういう発言をすると議員の方々にとっては、損になってしまうかもしれない。自分の存立基盤を危うくするかもしれないということに対して、こうやって発言してくれる方っていうのは大事に思いませんか?議員先生の中には、自分が当選するためだけに動いてはる方もいるや否や……ですが、吉井あきらさんはそういうタイプじゃなさそうですよ。ということで、口火を切っていただきましたけれど、本当に私は地元の建設屋の親父でございまして、政治には疎いんですけども、安全保障って専門の先生の話を心して聞いていると、実は難しく考えなくてもいいのかもしれないと思うんです。例えば、奥さんやガールフレンドと一緒に歩いていますやろ。「おい姉ちゃん、俺に付き合えや」と変な行儀の悪い連中に絡まれた時に、男やったらどうするんですか?という話でしょ。そのときに、憲法9条が尊いとおっしゃる方々は「憲法9条って唱えればみんな退散される」というようにすごい翻訳かもしれないけれど、実感としては僕はそういうふうに感じてまして。そのへん、どうなんでしょう。学校でも習わへんかったし。
吉: ちょっと話がそれるかもしれないんですけど、例えば、投票率が低いとよく言いますよね。もっともっと選挙管理委員会や区役所が車を回して投票率を上げろ、と。そんなん上がるはずがないですよね。厳しい。選挙があるというのは伝えられますけれど、やっぱそこは私自身、教育でしっかりと子どもたちに、今でも少しは教えてますけど取る時間が少なすぎて、我々の時代でもどれだけ自分自身の1票が大切かというのは教えてもらってなかったという風に思うので、いかに教育が大切かっていうことが今すごく分かりますし。
絹: 学校時代ね、例えば日本史の歴史のことを思い出すとね、縄文・弥生あたりから始まって、近現代史とか勉強する時間がなかったじゃないですか。あれは、教育の中に日本の周りのお国の、行儀のいいところばかりじゃないと思うけど、前の戦争のこと、前の前の戦争のこと、あんまり考えないように考えないように、難しいことは避けてきた教育の歴史やったんちゃうかなあと僕自身がそう思っています。大人になってから勉強して、やっと分かるみたいな。
吉: そうですね。先ほど絹川さんが仰った、誰かと2人で歩いていて、もし絡まれた時に守れないじゃないかと。おっしゃる通り。逆に、夜寝る時、鍵戸締まりしますよね。それは、やはり寝てる間に誰かが入ってこないように。同じことだと思いますし、自分の家族は守っていく。それはもう国としても同じだと思う。だからと言って、日米安全保障の部分がある中で、極端なことは私自身は言うつもりはないんです。けれども、その中で現実問題、コトが起こった時、今の状況で本当に国が守れるのか。政治はやはり先を見据えてやっていかなあかん部分と、現実を踏まえてやっていかなあかん部分があるので、その部分はしっかりと考えながら進めていかないと、と思いますね。
絹: 触れにくい拉致被害者を取り戻す、ということもちゃんと言っててくれますね。
吉: そうですね。日本国の中で、なんの罪もない方がいきなり拉致をされて、違う国へ連れていかれる。我々自身、やっぱりどこまで行っても他人事のように感じてる部分があるのではないかと。「すぐ取り戻してほしい」っていうのは、自分の子供がそういう状況になれば、そう思われると思うんですよね。じゃあ日本国として何ができるのか。今何をやらなければならないのか。そういったことを考えた時に、今の日本の国防の状況、これでいいのかどうかっていうのありますよね。
絹: かつて自衛隊の方々が、自分が自衛隊員であることを、例えば制服着て外に出かけられないとか、転勤をしても住居が見つけにくいとか。転校を子供さんにさせたくても、なかなか学校が受け入れないとか。偏ったいじめに類するようなことも見聞きしたことがございまして。でも最近、災害が多発するようになって、自衛隊員さんにいかに助けていただいているのかということを、腰まで泥に埋まって救出されている陸自の方の映像とかも届くようになりましたから、評価は変わりつつあるけれども、先ほどのガールフレンドの例え話や自宅に泥棒・強盗が入った時の例え話、我が国の自衛隊員に与えられている枠、足枷、腕枷によりますと、誰かがぶん殴られたり、大怪我をしたり、はたまた殺されたり、命を失ったりして、初めて培った訓練の防衛が使える、道具が使える、武器が使えるという、信じられないようなことをずっと知らされずに、どうやら来ていたように今は感じているんですよね。
吉: 絹川さんの仰る通りで、どこかでお話しさせてもらったことなんですけど、昔ストーカー殺人ってありましたよね。当時は警察も動いてましたけど、基本的な警察の考え方は「民事は不介入」だと仰っていました。でも、ストーカーによって亡くなられたということで、そこで変わったんですよ。仰るように、亡くならないと変わらないという悲しい現実があって。北朝鮮からミサイルが発射されている。これも今、たまたま被害が出ていないだけかもしれない。もし被害が出たときを思うと、如何ともし難いですよね。
絹: あの、いきなり初っ端からしくじったかなという重たいクエスチョンを投げてしまいまして、申し訳ありません。
吉: いえいえ(笑)
絹: でもね、我が口からそういう問いが出てきたってことは、本心でずっとそれを思ってて。私のような一般素人でもこういうことを口にすると、周りから石が飛んでくるんじゃないかという、怯えの部分がかつてはあったんです。若い頃、同級生たちと酒を酌み交わしてそういう話をして「なんとかせなあかんちゃうか!」と言ってたけど「おい絹川、外でそんなこと言ったらあかんよ。変人だと思われるぞ。」と。でも、状況変わってると思いませんか?最近は。
吉: 仰る通りですね。
絹: 中国の日本の主要都市へのミサイルのロックオン状態は、常にもうスイッチ押せば自動的に壊滅出来るような戦力・装備をお隣さんの大国はお持ちになっていて、というのとあまりにもアンバランスやなあと思っていて。北朝鮮からのミサイルがボチャンと東側の海に落ちても、知らんうちに慣れてる自分たち…
吉: そうですね。島国というのもあるかもしれないですね。
絹: 特に我々のような高齢者は、テレビと新聞がメインの、それらのメディアをオールドメディアと仰る方の言い方を採用しますけど、オールドメディアの方々の発信することがいかに偏っているかということをご存じない方がまだかなりおられる。ひょっとしたら、私もミニメディアのコミュニティFMで発信し続けるのも、そういう思いが背景にあるのかもしれません。こういうところでしたら、実際に吉井さんのように議席を以て活動されている方の生の声を、少なくとも京都市民・舞鶴市民に届けられる。ここでね、刻一刻と変化する国際情報に対応する外交安全保障大事ですよね。再構築をやりたいんやと、国民の声を聞きながら、俺は憲法改正を進めるぞ!って書いてくれてはるんです。これは、一票でしょう!と思う一人です。こういうことを発言すると、抵抗する方がまだまだおいでになられますけど、ぜひ躊躇わずにお進みいただければなと期待いたします。
吉: ありがとうございます。憲法改正もするのかしないのか、ということは最後は国民が決められるということなので、極端なことは言うつもりはないんですけども、私が思うのはいろんな選択肢といいますか、憲法改正も含めて議論をしていくことっていうのが非常に大切であると思います。今回のロシアのウクライナ侵攻っていうのも対岸の火事ではないと思います。
絹: そうですよね。いつも9条、9条、9条って皆さんが騒がれますけど、でも自民党案の憲法改正の草案というか、正確な呼び方は分かりませんけども、そこに自衛の行動は妨げない!ってやつ入れましょ!っていうのがありましたよね。我々は侵略は絶対にしない!と。隣の家まで泥棒に入ったり強盗に入ったりは絶対にしないけど、入ってきたらあるいは入ってくるそぶりを見せたら、防衛行動・自衛っていうのが一家の長の務めやんか!というのを入れましょうか、というのを言ってくれてはりますもんね。
 

■エピソード2 秩序ある資本主義社会の構築とは

絹: それでは、次の「秩序ある資本主義社会の構築」。これは、秘書の山本さんから「触れて」って言われているんです。
吉: (笑)ありがとうございます。
絹: ちょっと触れていただけますか?
吉: はい。ここ30年ぐらいでしょうかね。やはり、ずっと見てますと世界の成長率ってだいたい平均GDP2.39倍くらいです。アメリカ2.4倍。中国の14倍っていうのは正しいかどうか分からないですけど、今話題のロシアは4倍、韓国2.5倍。日本を見るとどうなのかというと、日本だけが主要国の中でマイナスという形なんですね。日本だけ見ると、マイナス。どこにどう原因があったのかという。今かなり財政の部分は、国会の中で、自民党の中でも、議論をされておるんですけども、財政規律のそこの部分を先にやっていこうということが念頭にあった上で予算を組んできてたという部分でなかなか難しい。私自身は、これまで民間でできることは民間に。あらゆる部分においてそういう形でやってきましたけれど、需要がないのに供給という民間の方が、そこには行かないですよね。需要があって初めてということなんで。だから海外もそうなんですけど、今厳しい状況であれば、デフレから脱しきれない状況であれば、国がしっかり手当てをしていくと。そこから持って行って、予算は単年度ですけど、長期の計画を立てていく。そこに民間の方が乗っかって計画を立てていくという循環が必要なんじゃないかと思っています。
絹: キーワードは積極的な財政出動。行うべく時にはやる。成長分野に向けた大胆な投資はやろう、という。旧大蔵省か。財政規律原理主義とは私はちゃうで、と言うてはるように私には聞こえました。ということは、西田昌司先生のお仲間ですね?
吉: (笑)。MMTですね。現代貨幣理論。あのことがどうのではなくて、25年30年の経過・結果を見て、これまでの進め方は間違っていたと私は思いますし、転換していくべきだと思っています。
絹: 財務省の方々がレトリックでお使いになる国民一人当たりの借金がいくらいくら、という恐ろしく間違ったレトリックを西田先生も噛みついてはりますが。省益あって国益なしということの典型例かもしれませんね、思っているのは私だけ?って。すごく大切なことなんですけれども、吉井あきら先生が仰ったように25年30年の実績を見ると、他国、中国は別にしてGDPを見ると、なんでこんなに差が出るの?舵取り間違ったに決まってるやんっていう簡単な言葉で誤解を恐れずにひらがなで言ってしまうと、そう言ってしまってもいいのかしら。
吉: 仰る通りですね。私自身は国力が弱っているということで、国防という部分にまで全て響いてきますし、ここの部分はね、なんとしても転換していかないと日本が今のままでは沈没してしまうと思います。
絹: そうですよね。そういう風になったときにお喜びになったり、ニコッと笑われるのは、ご近所のあまりお行儀がよろしくないご近所さんだったりするのかな。だから日本が弱くなる方向に一生懸命働いている人たちがいてはるとしたら、そういう人に代わって吉井先生みたいな人が中央に行っていただいたらって。「どうして国政?」ってこっちから聞いてるのに、先生の思いを勝手に言ってしまってはいけませんでしたね。
吉: ありがとうございます。
絹: ああ、あともう1分半…
吉: おお、一瞬で時間が経ちました…
絹: ごめんなさい、進行が下手くそで…
吉: 違います!私が喋り過ぎちゃって。
絹: いいえ、とんでもないです。最後に!柔らかい話を一発。お休みの日、なかなか取れへんと思いますけど、何をしてはりますの?
吉: 最近は全然休みがないんですけど、コロナになって、夜もほとんど会合がなくなって、食事を家で食べることになって。ほとんど外でご飯だったんですけど、家で食事をすることがあって。
絹: ひょっとして料理?
吉: そうですね、家内にはちょっと負担かかってたかもわからないけど食事をする。一方で、少ない休みの中で、これもコロナでということなんですけど、家内とウォーキングに行きました!
絹: 羨ましい!リスナーの皆さん、吉井あきらさんのひととなりをお伝え出来たでしょうか?この番組は心を建てる公成建設の協力と京都府地域力再生プロジェクト、そして京都市景観まちづくりセンターの応援でお送りいたしました。吉井さん、またきてくださいね!
吉: またよろしくお願いします!ありがとうございます!
絹: 時間切れです!さようなら!
投稿日:2022/04/22

第175回 ・子ども食堂からグループホームへ~まだまだ模索中 子ども食堂・どんげねの挑戦

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盛: 盛武 政裕 氏(天ぷらや 笑人 Wa-Road 笑主)
さ: 盛武 さゆり 氏(天ぷらや 笑人 Wa-Road 女将・夫人)
絹: 絹川 雅則(公成建設株式会社)
       (右:盛武 政裕 氏 左:さゆり夫人)

 

絹: 皆様こんにちは。まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。
この番組は地元京都の建設屋の目から見た元気なまちづくりびとのご紹介や、その活動の最新のエピソードをご紹介しております。いつものように番組のお相手は当まちづくりチョビット推進室 絹川がお送りいたします。
さて、本日のゲスト、ご夫婦をお迎えしております。皆さんは山科の土地勘はありますか?京都市山科区の日ノ岡の交差点の近所に天ぷら屋さんがあります。その名も「笑う人」と書いて「わろうど」。「てんぷら屋笑人(Wa-Road)」。普通は店主と言うのですが、ここでは「笑主」と書いてあります。盛武政裕さんです。よろしくお願いいたします。
盛: 僕からなんですね(笑)。どうも、初めまして。初めてのラジオの収録ということで、珍しく緊張しておりますけれども。よろしくお願いいたします。
絹: 次はその奥さま、盛武さゆりさんです。同じく「てんぷら屋笑人(Wa-Road)」。ホームページを見たら、口だけ番長(笑)&女将と書いてあります。
盛: 結構激しめですけどね(笑)。
絹: さゆりさん、よろしくお願いいたします。
さ: はい、よろしくお願いいたします。口だけなんですけど、他にも色々就労支援の事業所「すぴん」もやっております。今日はお願いいたします。
絹: 口だけ違うやないかい!と、言いたくなりますね(笑)。
ということで、リスナーの皆さん、京都にはこういう凄いことをしているご夫婦がおられますよというのが、今日の番組の趣旨です。おいおいと紐解いてまいります。
今日の番組タイトルをまず、申し上げておきましょう。「子ども食堂からグループホームへ~まだまだ模索中 子ども食堂・どんげねの挑戦」と題してお送りいたします。皆さま、どんなお話が飛び出しますかご期待下さい。
ゲスト紹介、もうちょっと深めたいので、笑主の盛武政裕さんに質問です。パートナーであらせられる盛武さゆりさんとは如何なる方ですか、短く述べよ。
盛: 簡潔に言うと、生命力と生活力に溢れた人。まあ無駄のない、すごい生き方をされる方でね。知っている人はその通り!と思うと思います。まあ、グイグイいかはります。
絹: では奥さまの盛武さゆりさん、御主人、笑主の盛武政裕さんとはいかなる人物ぞ、短く述べてください。
さ: 気性が激しいんですけど、とってもわかりやすく心根は熱き男やと思っています。また歌が好きなもので、ライブとかも精力的にやっていて、趣味にも生きていますという感じです。
絹: はい、ありがとうございます。確か九州男児です。「どんげね」という子ども食堂の愛称は、九州のどの地方の言葉でしたか。
盛: 僕は生まれが宮崎なんです。宮崎でも北と南と西と東では結構方言がバラバラなんですけど、僕の生まれ育った宮崎市では「どんげね」というのは、こちらでは「どない?」という声掛けの時に、「元気か?」とか「ご飯食べてるか?」とか、そういう優しい声掛けなんですね。
絹: 「調子どう?」みたいな。
盛: そうそう。だから例えば親戚の家に行って、「どんげね?」と言うと、「うん、がんばっちょるよ」とか、身体の調子から色んな事から気遣う言葉なんです。すごい優しい言葉です。
 
         (「天ぷらや 笑人 Wa-Road」HPより)
 

■エピソード1 てんぷら屋笑人が、なぜ子ども食堂を始めたのか

●ハンデのある人にも気軽に入っていただきたい
絹: さあ、本題に入りましょう。そもそもなぜ日ノ岡で、てんぷら屋さん、笑人さんが子ども食堂を始められたのですかというあたりから紐解いて行きましょう。
さ: 実は自身の子どもに障害がありまして、外食する場所にもすごく気を遣う時期がありました。そこで自分の店にそういう障害のある方でも気軽に入っていただきたいという思いを持っていたところ、山科青少年活動センターさんが「子ども食堂を始めませんか?」という講演会をされました。それに参加したのがきっかけで、子ども食堂という形で色んな方に来ていただけるのではないかと始めました。
 

●“やませい”の大場さんとの出会いから

絹: 実は山科青少年活動センター(愛称:やませい)の大場孝弘さん(第126回131回放送出演)は、この番組のゲストに2回もお迎えした方なんです。あの人に出会ってしまったんですね?
さ: 出会ってしまったんです。「盛武さん、これはやらねば!」みたいになって。
絹: 当時のことを思い起こしますと、大場さんは山科に子ども食堂のネットワークを築きたいとの思いを持っていらっしゃった。「一人で何もかもやろうと思ったら大変だけど、月に一回くらいなら私とこでもやれるという人が、山科じゅうで1ダース集まったら、両手集まったらすごいことが起きる」と言っておられて、その一角として引きずり込まれたのが盛武さんなんですね?
さ: はい(笑)。飲食店がやる強みがやっぱりあるかなというのがありました。皆さんまず場所がネックになってくるのですが、うちは飲食店なので、衛生面から設備的な面から整っているので、非常にやりやすかった、始めやすいかなとは思いました。
絹: この間、ズームの会議で大人カフェという所で、盛武さんが登壇されて、「笑人カフェどんげね」について、喋っておられたのですが、そこでのメモをちょっと読みますね。
笑人どんげね、これは宮崎弁です。
子ども食堂は毎月第二土曜日、12時から14時
子どもさんは200円
友達が友達を呼んでくるという形になっています。
どんげねさんの特徴は(お嬢様が障がいをお持ちですので)、ハンデのある人たちも気兼ねなく来てほしいと、ハンデのある人の予約限定で行っています。
それが特徴なんですね。唯一無二なんですね。他の所はそんなのはなかなかないですよね。
ということで始まりました。いつ頃からでしたっけ?
さ: 2016年の11月からです。
絹: 2016年と言うと、もう長いですね。6年目ですか。よう続かはりましたねえ。
盛: 止めずにきたから続いているという感じで。
 
 
 
  (笑人カフェどんげね?~子ども食堂~の様子 「天ぷらや 笑人 Wa-Road」Facebookより)
 

■エピソード2 就労支援施設「すぴん」のこと

●ハンデのある子の就労って、どうなるんだろう…
絹: ホームページを見せていただきますと、てんぷら屋さんをなさって、子ども食堂をなさって、その他に奥さまが平仮名で「すぴん」という就労継続支援B型事業所という所の代表も務めていらっしゃいます。その就労継続支援B型は昔で言う作業所と、子ども食堂ではどちらが先ですか?
さ: 子ども食堂が先です。で、やはり子ども食堂、18歳までは守られていますが、18歳以降、就労ってどうなるんだろうと考えたわけです。自身の子どもの事を考えた時にやはり障がいのある方の就労先はすごく限られているし、かといって自分がわかっているわけではないので、「よし、自分でやってみよう」と決意しました。子ども食堂がベースになり、「すぴん」が開所できたということです。
 

●施設外就労先「笑人」 - 飲食だからって特別なことはないんです

絹: それでまたホームページを斜め読みの浅い知識ですけど、「すぴん」さんの所に施設外就労先が「笑人」であると書いてある。ということは、御主人と一緒になさっているてんぷら屋さんで、就労支援施設に勤めていらっしゃる障がいのある人が実際に働いておられるということですね。
盛: そうです。はい。
絹: 食べ物屋さんでどういう形で働かれるのかなと、たぶんリスナーの方もはてなマークが出てくると思うのですが、そこのところを説明していただけますか。
盛: 時間的には午前9時半くらいかな。もう1人スタッフが手伝ってくれているんですが、多い時は3人くらい、利用者さんが来られます。飲食だからと言って特別なことはなく、まず基本的に一番大事なのが掃除ですね。トイレからオモテもしなければならないし、割合バリエーションがあるんですね。
絹: 門掃きしたはる写真、載ってました!
盛: そうですね。厨房の中はタタキですし、床はフローリングですし、トイレがあったり、たまには裏の庭の掃除もあるんですけど、掃除だけでも結構楽しめます。それから片付け、洗い物、下ごしらえですね。野菜を洗って皮をむく、切る、あとは盛り付けとか。また弁当の配達が週に何度かあるんですけど、一緒に…。
 

●達成感を味わってほしい…

絹: そうなんですよ。盛武さんとこのお弁当が結構人気で、配達も受けておられるんですね。
盛: そうです。それもスタッフと一緒にお届けして、お客さんの顔を見て、ちゃんと配達するという、やはり作ったものがどういう風にお客さんの所に届くのかというところまで見てもらう。そこに携わってもらうという、職を通じて達成感を味わっていただければと思いがあります。
 
 
       (「天ぷらや 笑人 Wa-Road」のお弁当)
絹: ご主人が多岐に渡る趣味と言うか、歌が好きでライブをやったりとか、料理塾を主催したりとか、色んな事をされます。で、行ったら楽器が置いてあったりとか。
そしてこれもホームページでちらっと見た画像ですが、メンバーさんと一緒にピザ窯を自作したり、フローリングをはって、ペンキ塗りみたいな画像もなかったですか?
さ: ウッドデッキ作りをしましたね。
 

●静原で農作業もやっています

絹: それから静原応援隊農作業、これなんかちょっと惹かれるものがあるんですけど、これも「すぴん」さんの活動ですか?
さ: そうです。京都産業大学さんとのコラボです。「静原応援隊」という静原の町おこしと言いますか、農地の活性化で産大の学生さんがやっていることに「すぴん」が参加させていただきました。
農園をお借りしてジャガイモを植えて収穫するというところを去年はやって、今年はもうちょっと広い区画をやろうかなと思っております。
盛: ちょっと作物を増やしていこうかなと。
さ: 自給自足を(笑)。
盛: なんかこれ、行けるんじゃないかと思ったら、どこからでも行けますからね。
 

●市が立つと出店もしています!

絹: 気になったのは、その静原応援隊の作業だけではなくて、どこかのイベントに市が立つと、物を売りに皆さんで出かけていく写真が1つや2つやなかったと思いますが(笑)。
さ: 行商に(笑)。無印良品さんは子ども食堂にお野菜を提供していただいたりするので、無印さんに繋がる市というのに出店させていただいたり、やはり子ども食堂つながりで「すぴん」は今あるようなものなので、そこは大事に縁を頂いて、出店場所としてご提供いただいております。
絹: 無印さん、やらはりまんなあ。
さ: はい!それから毘沙門市も4月2日、3日にあるんですけど、こちらにも出店させていただく予定でございます。
 
  (「無印良品 京都山科」での出店 「天ぷらや 笑人 Wa-Road」Facebookより)
 

●様々な企業や行政とご縁をいただきながら

絹: そもそもは山科青少年活動センターの「子ども食堂やりませんか」という問いかけで発進された子ども食堂と、「すぴん」という就労支援、昔で言う作業所を動かしていかれるなかで、今さゆりさんから無印さん他からご縁を頂いてということですけど、色んな人から「こんな助成金とかサポートの仕組みがあるから、やってみたら?」と、入れ知恵しに来られたそうですね。
さ: そうなんです。オムロンさんのご協力もいただきましたし、京都府の方の「こどもの城」という助成金とか、「こんなんもあるよ」ということで助けていただいております。
絹: それが不思議なねえ。山科では盛武さんとこの「どんげね」さんみたいな子ども食堂をやっている人が片手で収まらないくらい…。
さ: そうですねえ。増えましたね。
絹: 今、両手くらいあるんですか。
さ: はい、あると思います。
 

●実は公成建設、子ども食堂にちょっとかすっています

絹: 山科子ども食堂ネットワーク(愛称:ちゃぶ台ネットワーク)、あるんです。そしてうちもちょっとだけかすっていまして、建設会社ですから独身寮が山科にあるんです。そこの寮監さんで服部さんという方が自分でも子ども食堂っぽいことをやりたいと言って、盛武さんたちと交流があるそうです。
さ: はい、最初はボランティアでご一緒させていただき、自分でもやりはじめられて、すごいなと思っておりました。
絹: 寮監さんは普段料理をされますから。若い社員さんに弁当をつくったり、夕食を出したりと、メニューを作るのはお手の物らしく(笑)。
さ: お上手だと思います。
絹: 山科って、非常に面白い土地柄でそういう助け合いの風土と言いますか、「家庭菜園で野菜を作ったけど余ったから使って」とか、フードロスに取り組んでいらっしゃる方が協力に来られたりするんですって?
さ: フードバンクさんからのご提供だったり、社協さん(社会福祉協議会)からのご提供で、「フードロス、今関心を集めているんですけど、賞味期限間際のものを有効活用してください」と子ども食堂に助成してくださっています。
盛: ご近所さんもいただいたお菓子とかを、ちょこちょこと頂いております。
絹: リスナーの皆さん、いい話でしょ?きっと知らなかった人もおられると思うんです。ですから一見てんぷら屋さんだけど、色んな事をしておられると。日ノ岡の交差点、左に入ったところを、ちょっと見に行かれたらいかがですか。
さ: なんてことはないので、入ってください。
 

■エピソード3 障がい者のグループホームを立ち上げました

●障がいのある方が地域で一人暮らしをしていくために
絹: それがまた、今度は新しい事を始められたという噂をききまして、盛武さんにラジオのゲストに来て、その話を来ていただけませんかとお願いしたのは、グループホームまではじめてしまおうという…そのグループホームとはどういうことか、説明をお願いしたいんですが。
さ: 障がい者のグループホームを立ち上げました。3月1日に開所したのですが、やはり障害のある方が親元を離れ、一人暮らしをするのは、いろいろな壁がある。そのサポートを手厚くして、一人暮らしを手助けするというホームになっております。私どもがやっているのはマンション型と言って、マンションを何部屋かご提供するという形を取らせて頂いていますが、一軒家タイプのものをやっていらっしゃる所は多いです。
絹: 世の中にはそういうグループホームがもう既に何軒もあるわけですか。
さ: そうです。もう満床状態が続いていて…。
 

●家主さん・地主さんのご理解があってこそ

絹: ところがですよ、例えば地主なり家主の立場に立ちましょうか。仮に私がお金持ちで借家を持っておりましたと。あるいは賃貸マンションを経営しておりましたと。「障がい者のグループホームをやりたいので、貸してください」と来られると、「んんん、ちょっと…」と躊躇うかもしれません。今回、成功裏に3月から発進されたということは、「いいですよ、借りてください」とおっしゃった家主さんは確実にいらっしゃったということですね。
さ: はい、いらっしゃいましたね。
絹: その方もすごい方ですよね。
さ: そうですね。何回か見に来られて「いいですよ」と言っていただけましたね。
絹: そこではやっぱり色々悩みだとか、交渉だとか、もっと言えばドッタンバッタンあったんですか?
さ: ありましたね。今も続いているんですけど。
絹: あれ、聞いてよかったかしら(笑)。
さ: いやあ、ちょっとね、がんばります(笑)。
絹: 僕は本当に奇特な家主さんがいてくださって、本当に良かったなと思います。世の中捨てたもんやないなと思いますね。
盛: 本当にそうなんです。ありがたいんです。今、2人入居が決まりまして、あとは順々に体験していただいて入居にいくという手順なんですけど。
絹: 世の中にはSDGsだとか、多様性だとか、かっこいい言葉が流れてますけど、そうやって賃貸型マンションで障がい者のグループホームをやるって、そっちの方がストンと腹落ちしますよね。現実にそういうことなんやと。たぶんご近所の方や大家さんは不安に思われたかもしれないけれども、盛武さんたちのなさっている事をご覧になって、きっと「ここやったら」と思われたに違いないというのは、なんとなくわかります。
 

●公営住宅の空き室でグループホームを

絹: 本当にその辺がすごい事に手を出されたなという感覚がしたもので、是非ここに来ていただいてお話を聞きたかったんです。私の知人の中にも障がいをお持ちの御子息がいらして、山田木工所という会社を経営されている山田さんが同じ思いをお持ちになっているというのをかつて知ったことがあります。障がい者のグループホームを色んな所で自前で建てたくて検討したけれども、なかなかうまいこと行かないと。今、山田さんが京都市の都市計画局の住宅室の公営住宅管理の人たちに交渉しているのは「市営住宅空いているでしょ、そこを貸して」と。そこで障がい者のグループホームをやりたいということを申し入れておられます。たしかさゆりさんはどこかで山田さんのことをご存じで、意識していらっしゃったということを、前おっしゃってましたよね。
さ: そうです。ココネット会議というのがあって、就労支援のための会議なんですけど、そこでハンデのある方の就労受け入れ先として山田木工所さんが紹介されていて、私は一方的に存じ上げているだけなんですけど、素晴らしい取組をされているなと注目をさせていただいてました。
絹: 色んな方々が色んな思いで活動されていて、その後姿を横目で見て、「この人すごいな」と思っている人は、例えば盛武さんのようにおられます。山田さんの活動も京都市の人たちが向島ニュータウンの中で空いている部屋を、愛隣館という障がい者のための社会福祉法人のグループホームに使ってもらって立ち上げたという事例が最近成立しました。これもまちづくりチョビット推進室の最近のゲストにお呼びしたのですが、京都市もただ何も仕事をしてないわけじゃなくて、公営住宅市営住宅の目的外使用という法律の壁があるらしいです。行政の方は今までと違う事をするとすごく抵抗があるみたいで、でも意味のあることだからと挑戦した行政マンたちが実際におりましてね、まずは社会福祉法人に対して空き室を使ってもらいましたと。「民間の山田木工所のような所にも開放したらどうやねん」と僕はそばでつぶやきますでしょ(笑)。すると「いきなり絹川さん、そこまで行けますかいな。そっちへ向けてちょっとずつステップアップしていきます」と今、頑張っておられます。
 

●もっと、もっと、ネットワークを広げたい

絹: 洛西ニュータウンの中にも京都府さんと京都市さんがコラボして空き室に障がい者グループホームの第二弾を計画されているという噂は聞きます。
ですから福祉法人の方は福祉法人で、全く民間からこうやって盛武さんのように一般のマンションを借りて動かしていかれる、そういう方が緩やかなコラボをして、「自分はこんなことをやったらうまくいったよ」「こんなこと困っているから助けて」という助け合いが起こって、行政と民間の交流が生まれるといいですね。
さ: はい。ネットワークいただきたいと思います。
絹: この間笑人にふらっといらっしゃったという徳永室長のこと、ちょっと教えていただけませんか。どんな人でした?
さ: すごく柔らかくて感じのいい人でしたね。
絹: 僕はあまり保健福祉局のことは知らないのですが、障がい者保健福祉推進室の徳永さんという方がふらっと笑人さんに訪ねて見にこられたと。ということは注目されているんですね。
さ: いやあ、たまたまじゃなかったですかねえ。
絹: 民間で頑張っている人、行政でサポートしようとしている人は探せばいます。そういう人たちを結びつけることができたら素敵だなと皆さん思いませんか?京都の中には黙ってこういうことをされている方がまだまだおられます。是非山科をお通りの際は、日ノ岡の交差点、てんぷら屋さん、どんなんかなと覗いてみていただけたらと思います。
両: よろしくお願いいたします。
絹: 是非応援を、サポートをお願いいたします。
この番組は心を建てる公成建設の協力と京都府地域力再生プロジェクト、そして京都市景観まちづくりセンターの応援でお送りいたしました。リスナーの皆さん、てんぷら屋さん、笑人、どんげね。覚えてくださいね!ありがとうございました。
両: ありがとうございました。
投稿日:2022/04/22

第174回 ・鹿谷ワンダービレッジって何?~亀岡を有機農業の町にするムーブメント

ラジオを開く

玉: 玉山 久高 氏(株式会社玉山工業 代表取締役)
る: 玉山 るりこ 氏(夫人)
絹: 絹川 雅則(公成建設株式会社)
       (左:玉山 久高 氏  右:るりこ夫人)

 

絹: 皆様こんにちは。まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。
この番組は地元京都の建設屋の目から見た元気なまちづくりびとのご紹介や、その活動の最新のエピソードをご紹介しております。いつものように番組のお相手は当まちづくりチョビット推進室 絹川がお送りいたします。
さて、本日のゲストのご紹介です。思いっきりご近所さんなんです(笑)。この方をゲストにお呼びするというのは、最初予想もしておりませんでした。偶然、次のゲストの方が私の自宅の真ん前に引っ越してこられたと(笑)。こんな事件もそうないと思いますが…。
ご紹介申し上げます。株式会社玉山工業代表取締役玉山久高さんです。玉山さん、よろしくお願いします。
玉: はい、よろしくお願いします。
絹: そしてその奥さまのるりこさん。玉山るりこさん、よろしくお願いします。
る: はい、よろしくお願いいたします。
絹: 番組の中ではお二方のなれそめはなんてことは、聞かないようにします(笑)。リスナーの皆さん、このお二方、とんでもないことをしているんです。おいおいお話をしてまいります。では玉山さんご夫妻と決めました番組タイトルを申し上げます。「鹿谷ワンダービレッジって何?亀岡を有機農業の町にするムーブメント」と題してお送りいたします。
玉山ご夫妻とはまだ本当にお付き合いが浅いんです。この間ゲストの出演交渉に会社に行って、少しお話をさせていただきました。まあ、なんというか面白い方みたいです。玉山久高社長は、武闘派でもあらせられて、芦原空手ってマニアの人ならご存知かもしれませんが、フルコンタクトの空手を若い時にやっておられて、奥さんに「怪我が続くし、そろそろやめたら?」って、今おとなしくされていると(笑)。
る: そうです(笑)。
絹: ご本業はものづくりと申しますか、プロの職人さんたちをネットワークして、京都の中小企業の先駆けと言いますか、新たな生産ネットワークに挑戦されているというところと、「セブンシー」というチームも率いていらっしゃいます。が、今日は全然それとは違うんです。
この番組のヘビーリスナーの方々でしたら、進行役の絹川君が手を抜いて、自己紹介の代わりに他己紹介をやるということをご存知だと思います。今日はまずウォーミングアップの代わりに玉山久高さん、質問です。奥さまのるりこさんとはいかなる人物ぞ、短く述べよ。
玉: 体温も高いんですけど、心も温かく、温かみのある女性だと思います。
絹: 合格!では奥さまのるりこさん、パートナーの玉山久高さんはいかなる人物ですか。短くお述べくださいませ。
る: 夫であり、兄であり、友人であり、とても信念が強くて、懐が深くて、思いやりがあって…、ほめ過ぎやね(笑)。帰りにご飯を奢ってもらいます(笑)。
絹: はい(笑)、今日のゲストはこういう方々です。
 

■エピソード1 鹿谷ワンダービレッジって、そもそもなに?

●25,000㎡の原っぱ?
絹: 皆さん、鹿谷ワンダービレッジって、ご存知でしょうか。私は人に誘われてまいりました。僕は亀岡にあまり土地勘がないのですが、直近のインターチェンジどこでしたっけ?
玉: 一番近いのが大井インターですかね。
絹: 車で行きました。京都市内から縦貫道を使いますから、僕の家は上京区で、そこからだと40~45分で着きます。そういう距離になんと25,000㎡の広大な原っぱと言いますか、耕作放棄地があります。私の知人が「絹川君、悪い事言わんから一回覗いてみいひん?」と言われて、仕事をさぼって覗きに行きました。ところが耕作放棄地と言うから、ボロボロの所かと思ったら、スタッフの方々が湿地帯を畑などに戻されて、日本の原風景みたいな形になって、「誰が来てもええよ」という原っぱがドーンとあるんです。それが「鹿の谷」と書いて鹿谷ワンダービレッジという愛称で、サポート会員は今、180人とおっしゃいましたよね。
そんな広い所、畑にもなるし、遊び場にもなるし、温室もあるし、拠点のハウスもありました。ここでちょっとだけホームページの一部を読みます。
 

●鹿谷ワンダービレッジのホームページから

鹿谷ワンダービレッジ
約25,000㎡の広大な土地と田畑。
この地をみんなで手作りしていく。
それが鹿谷ワンダービレッジです。
私たちが目指すのは
「自然とともに生きるこれからの暮らし」を
みんなでつくること・

・滞在/宿泊もできる自然栽培農園
「Wonder Farm」
・移動式キッチンカーカフェ
「Wonder Café」
・プレハブ小屋の宿泊施設
「Wonder Guest House」
竹/木で作る子どもの遊び婆
「Wonder Kids Fields」
ヤギやポニーとふれあう
「Wonder Animal Park」
……

       (鹿谷ワンダービレッジHPより)
 

●オーナーはうちのお向かいさんだった!

絹: これは将来計画も現在できているのも含まれているようですが、こういう所の存在を知って、絹川君はショックを受けました。無茶苦茶居心地ええやんかと。このオーナーどんな人?って、スタッフの人たちに聞いたら、「偶然、絹川さんのご自宅のお向かいに越してきましたよ、オーナー」と(笑)。こんな偶然あるかいなということで、ご無理を言って、ゲストに来ていただきました。ではここでマイクをゲストのお二方にお渡しして、僕の言葉では伝わりきらない、ワンダービレッジ、なんでこんなんしはったん?というところから、口火を切っていただけますか?
 

●コンセプトは“フィンドフォン”というスコットランドの不思議な村

絹: この鹿谷ワンダービレッジのホームページの最後には、「Presented by 風韻土本(ふぃんどほん)」と書いてある。この「風韻土本(ふぃんどほん)」って、マニアの人というか、ある種の人はよく知っている言葉なんです。僕、実はそれに引っかかったわけです。ピーンときて、「え、フィンドフォンって、こんなとこに?」って。その辺りも含めてお願いします。
る: いえいえ、漢字は当て字なんですけど、コンセプトはフィンドフォンをモデルに考えているんです。
絹: スコットランドにあった不思議な場所で、そこで色んな人たちが集まって、荒れ地なのになぜか巨大な作物が育ち始めたという、色んな現象が起きたという文献はかつて読んだことがあります。
る: とても特殊な能力のあるヒーラーの方がいらっしゃって、数々の方の病気を瞬時に治したりとか、そういったことを、私も文献で読みました。
絹: 日本からもフィンドフォンに訪ねに行かれた方が何人かおられたり、そこはそういう不思議なことだけではなくて、ちゃんと精神科医や心理学者など、学術的な背景を持った人たちもそのコミュニティにたくさんおられたということを読んだことがあります。
     (facebook“風韻土本~ふぃんどほん~”より)
 

●農業を中心に自由に楽しんでもらう 子どもも大人も

絹: さあ、そのフィンドフォンという名前を冠された方々、イコールこのオーナーであるお二方ですが、このワンダービレッジでは今、何が起こっているのでしょうか。
玉: 始めたのが2015年ですからちょうど7年前ですか。
絹: 2015年の3月にオープニングイベントがあったのよ、と教えていただきましたよね。
玉: 志は高く、頑張ってやってきました。今、プロデューサーとして持田さんという方を中心に企画運営をしていただいています。元々彼はイベント屋なので、みんなに来てもらって、自由にというか、農業を中心に楽しんでもらいたいと。自然の中で子どもたちは遊び、大人たちも癒されながら活動して、週末は特にイベントが多いので、また月曜日から日常の生活に戻って頑張ってもらうという形でやっております。
絹: 先日二度目の訪問をさせていただいた時に、寒い日でした。焚火を焚いていただいて、焚火の周りにコアメンバーと言うか、寒いのにわざわざ来る物好きな連中(笑)、色んな男性も女性もおられました。鹿谷ワンダービレッジのスタッフの方たちもおられて、「さあ、みんな今年は何をしたい?」という相談事から始まる輪の中に、私も座らせていただいて、オーナーである玉山ご夫妻はお話を聞いていますと、「好きにして」と(笑)。
玉: そうですね。みんなが楽しめるように。
 
                (鹿谷ワンダービレッジHPより)
 

●食の大切さを伝えたい

絹: 本当に里山の日本の原風景と言える場所です。ちょっと歩いたらバッタが飛び出す、色んな野草も摘み草をして、野草料理の専門家の西本方さんを呼んで、一緒に野草料理を楽しんだり、鯉こくを作ったり、お汁粉を作ったりというイベントを丁寧に積み重ねて、「みんな来て」と。
「ここへ来ると何かちょっと元気になれるかもよ」というオープンデーという仕組みをつくっていらっしゃいますよね。そこに180人の登録者がいる。今で180人ですから、これからどんどん増えていくような気がしますね。オーナーご夫妻も時々はお顔を出しに行かれるんですか?
玉: そうですね。
る: 時々は時間の空いた時に参加しますし、皆さんが食の大切さということに気付いていただいて、今日食べた野菜は自分の体の細胞になっていくということを、本当にその根本的な大切さに気付いていただけたらと。ここで作った美味しい野菜を食べて、元気になっていただけると思いますし。
 

■エピソード2 農業学校構想のこと ~有機農業のプロを育てたい ~

●元々の発想は学校で、そこから村づくりへ
絹: 私はそのオープンデーに、「スタッフの方々、コアメンバーの方々、好きにここでやってもいいよ。色んな事を発想して」というフィールドに、何か引っ張られるような形で覗きに行ったのですが、オーナーご夫妻の思いの中にはそういう鹿谷ワンダービレッジという広大な場所を通じて、農業学校構想というのがあるそうですね。そのことについて少しお話しいただけませんでしょうか。
玉: 元々の発想は学校なのですが、農業を亀岡だけでなく、日本全体で健全な形で引き継いで行こうと思うと、どうしても村づくりをしていく必要がありまして…。農地もあって、山もあって、そこが循環しているなかで、村づくりをしていかないと、農業だけを考えてもなかなか難しい。また、農業をコアに生活をしていただける人を育てていくというのが、社会的な課題でもありますので、学校をやっていても、亀岡で目指したいのは本当のプロの中規模以上のプロの農家さんを、有機農業者を育てられるような学校を目指して構想中です。
 

●25,000㎡の土地、お貸し頂いている部分が多いんです

絹: 広大な25,000㎡という耕作放棄地をポンとお買い求めになって…。
玉: そこはちょっと微妙で(笑)、何分の1かは私の所有になっているんですが、あとは村の方々に無償でお貸し頂いてます。
絹: そういうことなんですか!要は耕作放棄地として置いておかなければならなくなってしまっていたのを、玉山さんご夫妻が来られたことによって、放っておかなくても済むと。世話してくれたら助かるんやけど、借りてくれる?無償でと。
る: 放っておけば土地は荒れますし、草もぼうぼうに生えてきて、ひどい所は葦みたいな、もうどうしようもない状態になっていくのですが、スタッフの皆さんに(本当にご苦労なのですが)、いつも暑い中も草刈りをしていただいて、丁寧に管理してもらっているおかげで、あんな風に蘇ったという。貸していただいている方もそれを見て、喜んでいただいていますし、それは良かったなと思っています。
 

●亀岡市役所としても有難い話で

絹: すごいことを、今、奥さまはさらっと言われましたけど、実は亀岡市の市長さん、桂川さんという顔の濃い市長さんがいらっしゃるんですけど(笑)、亀岡市役所にとってもなにかすごいうれしいらしいですね。あんな事をしてくれる人が来たと。耕作放棄地が知らんうちに蘇っているやんかと。そこで「子どもたち来てもいいよ」とか、「一緒に遊び場つくろう」とか、「ええー、この人何者?」と思っているに違いないけど、でもうれしいというところでしょうね。地元の役所の人にしたら。
そういう遊び場だけでなくて、農業学校をつくっていきたいと。プロの中規模農家養成というのは、有機農業専業で食べていける人たちを養成するためにということですよね。リスナーの皆さん、めちゃくちゃ奇特だと思いません?
 

●専業農家を育成する意味でも、食生活の啓発の意味でも

絹: 玉山さんに教えていただいたんですけど、今も農家さんはおられるけれども、兼業農家さんがほとんどだと。専業で食っていける、年収で1000万円くらいあって、家族で食っていけるというような人はなかなかいらっしゃらないと。えらい難しいテーマに挑戦しておられますね。
玉: これは一番難しいビジネスじゃないかと思いますね。
る: でもやっぱり何はなくとも健康が一番じゃないですか。私もたまたま昨日、刀根健さんというステージ4の癌から生還された方の『僕は、死なない。』という本を目にして(まだ途中までしか読んでいないのですが)、そういった方々がまず考えられるのが、食生活の見直しからなんです。皆さんが普段色々悩んでいらっしゃる病気の数々は、やはりそれが起因していることもたくさんあると思います。それの啓発になれればいいと思いますし、子どもたちのためにも、最近は昔にはなかった病気が多いじゃないですか。やっぱりそれも食生活から来ている所が多いと思いますので、皆さんにそういうことの大切さというのを知っていただくことに繋げていくためにも、農業学校というのは大事だなと思います。
 

●オーガニックnicoの中村社長が農業学校の校長に?

絹: 一見聞くと、堅苦しいように聞こえるけれども、全然そんなこと、鹿谷ワンダービレッジに行ったら感じないんですよね。大きく手を広げて「おいで!」って、言ってもらっている。
その実、非常に大真面目にオーガニックnicoという会社の中村社長(この分野では有名な方らしいです)を校長に招聘するというような準備を進めていらっしゃるとお聞きしました。この方はなんと10年くらい前から有機農業に取り組んでいらっしゃって、元オムロンのレーザーの研究者であられると。この中村社長のお父上が京都大学の農学部で土づくりの研究をされていたり、シュタイナー教育の本を翻訳されていたりするという方です。ある種の方には「えー!シュタイナー!」とかっていう感じになるかと思います。
そして非常に居心地のいい、みんなが寄るとホッとする鹿谷ワンダービレッジでありながら、その実、ちゃんと食っていける有機農業のプロを育てたいという壮大な構想も、「一般社団法人一宇」をおつくりになって支えていこうとするご夫妻がここにおられます。そしてみんなで野菜づくりにチャレンジと。ホームページを見ますと子どもたちが田植えしている姿があります。
時間も押してきましたので、今後予定されているこんなイベントがあるよというのを、告知いただけますか。
        (鹿谷ワンダービレッジHPより)
 

●鹿谷ワンダービレッジ、3月のイベント告知です!

る: 今のところの予定ですが、3月の12日(土)と13日(日)にピザ窯づくりを予定しております。そのあと3月27日(日)にお米作りの準備のために、苗づくりをイベントとしてする予定です。
絹: 進行役の絹川は下心がありまして、私の初孫が今3歳でございます。息子夫婦が亀岡に住んでおります。わが初孫が育っていく時に、田植えの真似事、それから里山の日本の原風景の中で駆け回ってトンボと遊ぶ、そういう風にならへんかなあというスケベ根性をもって(笑)、取材をしております。
私と同じような思いを持っている親御さんや爺さん婆さんはたくさんいると思いますので、もし鹿谷ワンダービレッジの存在をお知りになった方々は、是非一度覗いてみられることをお勧めします。本当に癒されると言いますか、また来たいなと思わせる場所です。そこは日々、どうやら進化しているようでございます。
る: なんの垣根もありませんし、お子様だけでなく、仕事に疲れた方でも、いつでもどなたでも覗いていただいて、普段の仮面を脱いで、本当に自分らしく生き生きと過ごしていただける、みんなウェルカムで迎えてくれると思います。あったかい人たちばかりなので。
絹: 25,000㎡をポンと玉山さんが買わはった!なんと剛毅な人や!と思っていたら、違ったみたいです(笑)。一部その土地をお買い求めになったことで、周りの方がそんな奇特な方がいるのなら、この土地も、この土地もと寄って寄って寄って25,000㎡になったと。これ、奇跡みたいな話ですよね。
る: 最初はなかなかね、外から来た人たちなので、「ちゃんとできるの?」と思っていらっしゃった方もいらっしゃいましたけど、だんだん信頼して頂いて、「うちも借りてください」って、どんどん名乗りをあげていただいている感じです。
 

●古い家をシェアハウスに そして温室も

絹: それで宿舎と言いますか、古いお家も借りて、シェアハウス的に運用をしようという実験的な事もされていたと聞きますし、温室も立派な温室を持っていらっしゃるとか。
玉: それはnicoさんと一緒につくったんです。
絹: リスナーの皆さん、本当に奇特なご夫妻がここにおられます。でもこんな方々が自分たちの周りにおられるということが1つの救いだと思いますし、是非お気づきになられた方は、亀岡の鹿谷ワンダービレッジ、検索するだけではなくて、覗いてみられてはいかがでしょうか。
この頃、若い方の中には、農を求めて、農への回帰を果たそうとする人たちが増えてきています。また、そういう方だけではなくて、実際の兼業農家の跡継ぎさんの中でも悩んでいらっしゃる方、「農業をやりたいけれども、やればやるほど赤字になる。でも先祖伝来の田畑をなんとか守りたい」という方々に1つの回答を提出できないかと模索していらっしゃるのが、このご夫妻だと感じております。是非鹿谷ワンダービレッジ、そしてオーナーである玉山久高・るりこご夫妻、ご記憶の片隅に入れていただければと思います。
この番組は心を建てる公成建設の協力と京都府地域力再生プロジェクト、そして京都市景観まちづくりセンターの応援でお送りいたしました。玉山久高さん、るりこさん、ありがとうございました。
ありがとうございました。
投稿日:2022/02/10
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