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第156回 ・小川通今出川上ルに怪しげなお寺を見つけました~社会実験寺院寳幢寺の挑戦

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松: 松波 龍源 氏(寳幢寺 僧院長) 
絹: 絹川 雅則(公成建設株式会社)
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        松波 龍源 氏

 

絹: 皆様こんにちは。まちづくりチョビット推進室の時間がやってまいりました。
この番組は地元京都の建設屋の目から見た元気なまちづくりびとのご紹介や、その活動の最新のエピソードをお届けしております。いつものように番組のお相手は当まちづくりチョビット推進室 絹川がお送りいたします。
さて、本日のゲストでありますが、チョビット推進室では二番目の宗教者のご登場になります。これがあれよあれよといううちに決まってしまいました。今日のゲストは松波龍源さんです。松波龍源僧院長、よろしくお願いいたします。
松: よろしくお願いいたします。
絹: 松波さんとの出会いと、プロフィールをこちらで勝手に調べた下資料に基づいて、少しだけ皆さんにお話しします。
松波龍源さん、プロフィール
出身地はお父様は石川県、お母様は熊本県、だから石川と熊本のハーフでいらっしゃいます。活動地域は京都府。1978年生まれ。学生時代に武道と仏教に出会われて、生涯の道とすることを決意されました。なんと武術の境涯を深めるために、単身中国北京に渡られて、5年間の武術修行を行われました。この辺がぐっと私、鷲掴みにされたところでございます。帰国後、ご縁を得られて仏門に入られます。真言立宗総本山西大寺。これは奈良ですよね。
松: そうです。
絹: あのでかい西大寺にて、四度加行(しどけぎょう)、伝法灌頂(でんぽうかんじょう)を受法。様々な伝統的伝授を受けると同時に日本仏教のみに囚われず、ミャンマーやチベットなどの高僧に師事をされます。それだけじゃなくて、山岳修行や霊地巡礼などの修業をお積みになっておられます。お若い方なんですが、21世紀の日本と世界にフィットした仏教修行の在り方を模索されている宗教者であるというご紹介が、手元の資料にあります。僧院長、こんな紹介でいいですか?
松: なにか過分なご紹介ありがとうございます。恥ずかしいです。
絹: 釈尊や弘法大師さまの後を追って行かれつつ、今の日本に無理のない仏教を追いかける活動のなかで、瞑想法もご提唱になっているということですので、その辺も後ほど触れていただきたいと思います。
松: はい、ぜひ。
絹: 大切なことを忘れておりました。本日の番組のタイトルと言いますか、テーマをこれから申し上げます。京都の方が聞いておられるので土地勘はあるでしょうね。「小川通今出川上ルに怪しげなお寺を見つけました~社会実験寺院寳幢寺の挑戦」と題してお送りいたします。それではエピソード1「そもそも実験寺院とはなんぞや」あたりから語っていただけますか。
 

■エピソード1 そもそも実験寺院とはなんぞ 

 

●一般家庭の出身なので、私のお寺はありません

松: もともと僕は普通の一般家庭の出身で、お寺の子というわけではありません。自分で望んで、興味をもって仏門に入ったのですが、一方で私のお寺というのはないんですね。
絹: 初めておじゃました時に、その小川通の今出川上ル、お寺っぽい雰囲気じゃないですものね。
松: そうです。もともと西陣織の会社の跡地をお借りしてやっております。
絹: それも「結構安くで、広い場所、借りられたんです」とおっしゃっていましたね。
松: そうなんです。大家さんが本当に素晴らしいご理解のある方で、非常に親切に相談に乗っていただけました。
絹: 実は恐々ですけど(笑)、数度、私は既におじゃましております。
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●出会いはミャンマー仏教 

松: ありがとうございます(笑)。もともと仏教に触れたのは大学院生の時が初めてで、しかも日本仏教ではなかったんです。
絹: ミャンマーの仏教だったと書いてありますね。
松: そうなんです。大学は大阪外国語大学という、今はもうないんですけど、そういうところのビルマ語学科というところにいまして、そこでミャンマー仏教の研究をやっていたんです。
絹: またマニアックな…。
松: すごくマニアックですよね。それでミャンマーに調査で行きますと、あちらの国では仏教というのが完全に生活の中に溶け込んでいるんです。GDPでは日本の30分の1程度ですから、当然豊かではなくて、モノはなかったり、お金もないんだけれども、何かみんなが生き生きして幸せそうに見えたんです。それはなぜかというと仏教の世界観で彼らは生きている。すごく親切だし。
振り返って日本も、一応仏教国ということになるのだと思うのですが、仏教というものが、人々のリアルな生活にあまり役割を果たしていないんじゃないかというふうに感じたんですね。
 

●絹川の仏教修業―親父に騙されまして…

絹: なんかわかる気がします。ちょっとだけ自分の過去を語らせていただきますと、20代の頃に私、親父に騙されて、お寺に閉じ込められたことがあるんです。一週間ほど。
松: なんかすごい体験ですね(笑)。
絹: 九州のお寺だったんですけど、うち、建設会社でしょ。で、京都に道場を建てさせて頂いて、親父は忙しくて本山にご挨拶に行けなくて、「ご挨拶に行ってこい」と九州まで、学生時代に行ったんですけど、檀家総代の方と親父と話ができていまして、「コイツ、一週間ちょっと痛めつけてもらえませんか」と言って、そういう話ができていたところへ、フラッと行ってしもたと。で、もう、読経三昧、作務三昧、「わかるまで帰さない」という目にあいまして、でも修業の若いお坊さんと一緒だったので、休み時間に「こんなんでええんかな、仏教は」みたいな話を、やっぱり学生ですから熱く語っていたという、そんなアホな経験がございます(笑)。
松: なかなか貴重な体験ですね。それは。
絹: 最後はものすごく追い詰められますので、天狗の鼻をポッキリ折っていただいて、涙を流しながら「自分は虫けら以下でございます」というようなところまで、ご住職が追い込んでくださいまして、「帰っていいよ」ということで、無事に生還しましたけれども(笑)。
 

●仏教の精神に触れる機会のない日本

松: そんな感じで、お寺の中に普通の人が入っていって、なんらかの仏教にかかわる体験をすることって、観光で行って仏像とか伽藍を拝観する以外に、今の日本って、ほとんどないと思うんです。
絹: レアですよね。私みたいな騙されて行くって、なかなかそれも珍しいですよね。
松: 極めてレアなケースだと思うんです。なので仏教が言っている、本当は何をお釈迦様が伝えたかったのかということに、触れる機会なんて、自分で興味をもって、それこそ学校とかで勉強しない限り、小学校、中学校、高校でも習わないですしね。なかなかそういう機会がないというのは、問題と言うか、もったいないなあとすごく思っていたんです。
 

●寳幢寺、こんな意味を込めています

絹: その「怪しげなお寺、寳幢寺、実験寺院」ですけど、寳幢寺という字もラジオですから、どんな字を書くのか、リスナーの方には伝わらないと思いますので、寳幢寺の漢字の書き方を教えていただけませんか。
松: これが難しいんですよね。検索するのに変換しにくいと言いますか(笑)。寳幢寺の「寳」は宝物の「宝」です。
絹: 旧字体ですよね。
松: 旧字体を使っていますが、普通の「宝」でも大丈夫ですけど、「幢」が問題で、巾偏に童と書くんです。
絹: 僕、実は事前に予習して調べました。なんか仏様の軍隊の旗印という意味があるらしいと。
松: そうなんです。「旗」という意味がありまして。
絹: 仏様の軍隊で、僧院長自身が単身、武道修行を5年中国へ乗り込んでいるというので、なんかそこらへんが関係があるのかなと。
松: 「旗」って、シンボルですから、「ちょっと変わった仏教というものが、ここにありますよ」という旗を掲げようと。筵旗を掲げて意気を欲すみたいな、そんなイメージですね。
 

●みんなでつくりあげる実験寺院としてーわからないからやってみよう

絹: なるほど。で、実験寺院の実験たるところは、どの辺にあるんですか。
松: まず今まで日本になかった形をやってみたい。それはミャンマーとかチベットでは当たり前の形だと思うんですけど、お坊さんたち(出家者)と、普通の在家さんの、一般社会の人たちの役割をちゃんと分けて、お坊さんたちはお金ということには関わらない。寄付だけで運営をしていく。そして一般の地域の人たち、今はインターネットで全世界と繋がりますから、我々に関わってくれるすべての人たちと、ここに関わっているすべての出家者が、みんなでお寺の在り方を決めていく、つくっていくということをやってみようと。そんな感じで実験という言い方をしています。そういう意味で、宗派にもこだわりたくないし、国にも囚われたくない。21世紀の日本、この京都という所で、できうる形の、フィットする形の仏教がどんなものなのかわからないです。わからないので、やってみようという意味が込められています。 
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  (一般社団法人 日本仏教徒協会Twitterより抜粋)

 

絹: リスナーの皆さん、今の実験寺院の在り方というのも、本当に入り口からちょっと中を覗いたくらいのところなので、なかなか想像をしていただきにくいと思うのですが、これから僧院長が具体的なエピソードを語ってくださいますので。けったいなおもろい事をしはるんですわあ(笑)、ねえ。
松: そうですね。結果的にそうなってしまったという感じなんですが、面白いですよね。
絹: ではそろそろエピソード2でもって、実験寺院の実験とは、具体的にどんなことをされたのか、リスナーの方々に想像してもらいましょうか。
 

■エピソード2 実験って、具体的にどんなこと? 

 

●「取引」から離れたい

松: まず一つ大きな実験の柱として、我々は「取引」というところから、ちょっと離れてみようということをやっています。完全に「お布施」と呼ばれる寄付です。皆さんからの見返りを期待しない。「100円あげるから100円の価値のあるものをください」というトレードの世界から少し離れまして、「あなたにこれをもらってほしい」と。それをお互いが交換して(交換があってもなくてもいいんですけど)、それを造語ですけれども「喜びを送りあう」と書いて「喜贈」と呼んでいます。
 

●「喜贈」ということ

絹: 「喜捨」じゃなくて、「喜贈」であると。捨てるんじゃなくて、贈るんだと。
松: プレゼントのし合いと言いますか、贈り物が交わされていく、そこに喜びが生まれていくというような世界観があってもいいじゃないかと。もちろん等価交換の売買、取引というのは、社会のシステムなので大事なのですが、それだけではしんどいじゃない?という考え方ですね。そうじゃなくて、喜びをプレゼントしあって、理解し合える人たちが、価値を増大させていく、喜びを増やしていくということができないか、これがまさに実験だと思っています。
絹: 今のお話からイメージするのは、「お裾分け」という、日本の懐かしい言葉だとか、「シェアリングエコノミー」というカタカナの言葉とか…。
松: そうですね。「ギフトエコノミー」とか、そんなことも言われていますが、まさにそうだと思うんですね。
絹: その辺の言葉にも、何か一朝事あるごとに、今回は武漢コロナ肺炎の洗礼を浴びたわけですけど、従来以上に助け合いと言うか、喜贈と言うか、そういう流れができるのではないかと、そんな仮説を持ちました。
松: 私もそう思いました。それを2500年前からインドでおっしゃっていたのが、お釈迦様ということになるのかなと感じています。
絹: そう思ったら、すごい早いですよねえ、お釈迦様。
松: 本当に天才としか言いようがないなと思うんですけど、本当に不信感だと思うんです。私がこれを持っておかないと私が必要な時に使えないから、あなたにはあげませんよというね。そうではなくて、みんながみんなを助け合うという関係だから、あなたが今必要で、私は大丈夫なら、あなたにあげますよ。それが回っていけばいいじゃないという考え方ですね。
 

●20世紀型のエゴイズムの終焉

絹: 私の周りにちょっとずつそういう人が増えつつあるような気がしているんです。実は。
松: それは素晴らしいことだと思います。
絹: なにか世の中の流れが、少し逆転しつつあるみたいな、そういう人たちと知り合うことが個人的には増えてきております。
松: 世界全体的に見ても、環境破壊とか人種差別の問題でもめていますけれども、20世紀型のエゴイズムという在り方が、人間という種としてもう限界なのかなと。そういうタイミングが来ているのかなという気がしますので、どうなっていくんだろうというのは楽しみだなと思っています。
 

●大根300本プロジェクト

絹: さて、では具体的なエピソードで、例の「大根300本プロジェクト」教えていただけませんか。
松: それは滋賀県の守山にあるラトナファームという農家さんなんです。今井さんという方が一人でやっておられるんですが、彼はうちによく瞑想をしに来てくださるんです。珍しいですよね、瞑想をする農家。
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絹: 珍しいですね(笑)。
松: 非常にまじめな方で、原則無農薬で、本当に野菜を自分の子どものようにかわいがりながら育てておられる農家さんなんですけれど、彼が今の日本の流通システムがちょっとしんどいということをおっしゃっていたんですね。どれだけ頑張って手をかけて大根を作っても、やっぱり1円でも安く、安く、安くと言われてしまう。しかもちょっとでも傷が入ったり、規格に合わないとゴミとして廃棄されてしまう。それって、レストランの食べ残しというレベルじゃないですよね。畑で植わっている数千本の大根の何分の1かは、出荷されることもなくゴミになってしまう。それを彼は非常に悲しいとおっしゃっていて、この冬も大根がたくさんできたのだけれども、やっぱり何百本単位で廃棄になってしまう。食べるのには全く問題がないのに、流通・販売の問題で、農家としてはどうしようもないと。それを捨てるには忍びないし、この世界に一矢報いたいという思いもあるしということで、出荷できない野菜をお寺に全部寄付しますと。
絹: 本堂にずらっと並んだ300本はそれだったわけですね。
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松: そうなんです。それをお手伝いも兼ねて、うちによく遊びに来てくれる京都大学の学生さんたちと一緒に大根を抜きに行くところから行かせてもらい、持って帰ってきました。せっかく農家さんが喜贈していただいたわけですから、我々はそれをお寺という立場で社会に喜贈しようと考えました。そのまま差し上げてもよかったのですが、せっかくなので私が一本一本疫病封じの梵字を書きまして、病気封じの御祈りをし、お守りとして祈祷した大根を差し上げますよということです。赤字になっても構わないと思いましたので、送料も我々もちで、北海道でも沖縄でも発送しますと言ったところ、絹川さん始めとして色んな方々が興味をもって下さいました。喜贈ということに共感してくださり「それならばこれを役立ててください」とお金やら、別の食べ物やらを置いて行って下さったわけです。それで完全に成り立ってしまったと言いますか。
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絹: ほう、物々交換的に「ちょっとこれも置いて帰りますわ」と言う人がいっぱいいたんですか。
松: ありましたね。
絹: ちょっと聞きかじりましてね、面白いなと思って、恐々おじゃまして、5本ほど梵字が書かれた大根を頂いたんです。それを知り合いだとか、うちは建設会社なので独身寮がありますから、独身寮の寮監さんに「疫病除けのお祈り付きだから、大根おろしにでもして料理して食べて」と。それから山科のこども食堂を運営されている方にも使っていただいて、もちろん我が家でも一本頂戴しましたし。おかげさまで霊験あらたかというとちょっと怪しいですけど、うちの会社、今のところ感染者は出ずに過ごさせていただいております。現場もほとんど止まらずに。ありがとうございました。
松: 何よりです。  
絹: で、すぐになくなったんですよね。
松: そうなんです。300本はさすがに何本かは腐らせてしまうかもと、最初は思っていたんですが、割とあっという間に、葉っぱまでもらっていただきまして(笑)。
絹: 僕がこの社会実験寺院寳幢寺さんに注目したきっかけは、この不思議な大根300本プロジェクトというエピソードでした。
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●いわば仏教の見本市みたいな… 

絹: この他にも、まだまだこの続きは何をどう実験していかれるのか予想がつきません。でも僧院長の周りには色々面白い人が集われるようで、居候のような大学院生だとかおられるんですよね。
松: いますね(笑)。
絹: そのうちミャンマーからの修行僧も受け入れられるかもしれませんし。
松: はい、それは言っておりまして、ミャンマーとかチベットとかタイ、スリランカと繋がりをもって、うちに常駐してもらい、いわば仏教の見本市みたいな感じで、うちに来たら世界中の仏教が一通りレビューできますよと。例えばスリランカの坊さんが気に入ったら、スリランカ仏教を教えてもらえますよということはしたいですね。それは資金さえあれば、今すぐにでもできそうかなとは思うのですが。
 

●本堂は色んな方が色んな事に使ってくださっています

絹: というような野望も計画も持っていらっしゃいますし、それだけではなくて、本堂には何やら武器のようなものも置いておられますし、あの本堂は武術修行の場にもなりそうですし、フリーダンスのような動画も見たことがありますが。
松: そうですね。色んな方が色んな事に使ってくださいます。100平米ありますから、工場跡地ですので広いので。
絹: リスナーの皆さん、普通のお寺ではありません。だからやりたいことを僧院長や奥さまや事務長や大学院生の居候だとかにご相談されると、色んな事が起きる可能性の高い不思議な場所だと思います。
 

●オンライン瞑想のこと

絹: それとオンラインで瞑想の指導と言いますか、最近、少しだけしていただいた経験があるのですが、僧院長が医療関係者と色々試しておられる事も少しだけ紹介していただけますか。
松: 日本仏教の弱点みたいなものかなと思ったのが、この瞑想の修業ということです。儀式などは素晴らしいものがあるのですが、個人的に瞑想をして自分の境涯を高めていくということが、少しおざなりにされがちだった歴史があるのかなという気がしています。そのあたりをチベットやミャンマーから補って、21世紀の日本という忙しく大変な社会にフィットする形で再構築できないかと考えています。例えば「毎日一時間座禅しなさい」と言われても無理じゃないですか。できたらいいんですけど、ちょっと辛いと思うので、そうではない形で、理想的ではないかもしれないけれども、これぐらいだったら効果はあるだろうというものを、つくって出していかないとと思ったわけです。「一時間も座禅しなければならないのなら、できないわ」となると、興味を持った人に残念ですよね。そういう形で研究をしまして、一つ自分なりの形というものをつくりあげまして、それを認めていただき、わかるかたにはわかってくださったわけです。病院のお医者さんや心理カウンセラーの方々からは結構評価していただいて、一緒にコラボして何かやっていこうということはおこなわれています。本堂で瞑想指導をやっていたのですが、コロナウイルスの問題で、なかなか集まってもらうのも難しくなっているので、できるのならオンラインでやってみようかと始めかけているところです。
絹: この試みも大変面白い。興味を惹かれます。というのも当まちづくりチョビット推進室におきましても、数回前のゲストが岸本早苗さんとおっしゃいまして、ハーバード大学の大学院でマインドフルネスとマインドフルセルフコンパッションの修業を積まれた方です。私自身も興味がありまして、その方から習ったことがあります。
リスナーの皆さん、小川通今出川上ルに何やら怪しげなお寺・寳幢寺、社会実験寺院がございます。ここには何かがあります。怪しげに思えても怪しくありません。もしよろしければお訪ね頂きたく思います。ちょっと変わっていますけど、いい、面白い人たちが集っておられます。
この番組は心を建てる公成建設の協力と京都府地域力再生プロジェクト、そして我らが京都市景観まちづくりセンターの応援でお送りいたしました。松波僧院長ありがとうございました。
松: どうもありがとうございました。

 

投稿日:2020/06/23
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